寺地 拳四朗(てらじ けんしろう、1992年1月6日 - )は、日本のプロボクサー。京都府城陽市出身。B.M.Bボクシングジム所属。現WBC世界フライ級王者。元WBAスーパー・WBC世界ライトフライ級統一王者。世界2階級制覇王者。
京都府のボクシングジム所属選手として初の世界王者である。以前は拳四朗のリングネームを使用していた。
人物
- 名前の拳四朗の由来は漫画『北斗の拳』の主人公・ケンシロウから採られたものであるが[3]、拳四朗本人はあまり字を読むのは好きじゃなく漫画を読まないため、北斗の拳を1度も読んだことがない[4]。入場曲も、テレビアニメ『北斗の拳』のオープニングテーマ曲であるクリスタルキングの「愛をとりもどせ!!」を使用している。ロサレス戦では、同じくオープニングテーマ曲であるTOM★CATの「TOUGH BOY」とのメドレーで入場した。
- 元日本ミドル級王者で元OPBF東洋太平洋ライトヘビー級王者の寺地永の次男。父親との関係は良好だが、普段はボクシングの話をすることはまったくなく、試合後のアドバイスもあまりない[5]。
- 従兄弟に競艇選手の是澤孝宏がいる[6]。
- もともとは競艇選手である従兄弟の是澤孝宏の影響で賞金がよく選手寿命も長い競艇選手になりたいと思っていたが、ボクシングで日本ランキングに入れば競艇選手の特別推薦がもらえると聞いたことと、高校のスポーツ推薦のためにボクシングを始めた。ボクシングは好きなわけではなく競艇選手になるための仕事として続けていたが、2017年に世界王者になったことで、ボクシングが自分に向いていると思い、競艇選手はもういいかなという気持ちになったという。しかしその後もボクシングが楽しいと思うことはなかったが、世界王座を防衛していくうちに徐々に楽しいと思うようになり、特に三迫ジムでトレーナーの加藤健太に教わるようになったことで、新しい知識が増え技術的なことや身体の使い方などを理解できるようになったことで、ボクシングを好きになっていったと語っている[5]。
- 試合勝利後にダブルピースをするのが恒例であった。
来歴
中学校3年の時に「行ける高校がない」と先生に言われて、ボクシングをすればスポーツ推薦で高校に行けるという話になり、さらに従兄弟が競艇選手だった影響で競艇選手になりたかったが、ボクシングで日本ランキング5位以内に入ったら競艇選手になるための特別推薦がもらえると聞いたことで[5]、最初は嫌々であったが中学校3年からボクシングを始める[3][4]、父親の永によると「無理やりやらせた面もある」とのこと[7]。奈良県立奈良朱雀高等学校時代には、インターハイや国体に出場経験がある。2009年の高校3年次のインターハイ決勝ではモスキート級で2学年下の井上尚弥(神奈川県立新磯高等学校)に3Rレフェリーストップコンテストで敗れている[8]。
高校卒業後、関西大学人間健康学部に進学。関西大学時代には、大学4年次に国体で成年男子ライトフライ級に於いて優勝を、全日本選手権で準優勝を果たした[9][4]。しかし、高校で一度、大学でも一度、競艇学校の入学試験を受けており、ボクシングに対する執着はあまりなかった[4]。なお関西大学ボクシング部時代の同期に坂晃典がいる。
2014年、大学を卒業と同時にプロ入りを決意し、父が経営するB.M.Bボクシングジムからプロデビューするべく3月17日にB級プロテストを受験し、無事合格した[10]。リングネームを下の名前のみを取って『拳四朗』とし[注 1]、同年8月3日、松下IMPホール(大阪市中央区)にてヘリ・アモル(インドネシア)とプロデビュー6回戦を行い、判定勝ちを収めた[12][13][14][15][16][17]。
2015年8月10日には後楽園ホールで大前貴史(中日)とライトフライ級8回戦を行って4R59秒TKO勝ちを収め[18]、同月26日には日本ライトフライ級1位にランクインし[19]、同年10月12日に後楽園ホールでロリー・スマルポン(フィリピン)とWBC世界ライトフライ級ユース王座決定戦を行い、10回判定勝ちを収め王座獲得に成功した[20]。同年12月27日には大山崎町立体育館で日本ライトフライ級王者の堀川謙一(SFマキ)と対戦し、10回3-0(98-93が2者、97-93)の判定勝ちを収め、プロ6戦目にして日本王座獲得に成功した[21]。
2016年1月14日にWBO世界ライトフライ級15位にランクインし[22][23]、同月22日にプロ・アマチュア年間表彰で上述の堀川戦が年間最高試合に選出され[24]、同年3月2日には京都府城陽市に拳四朗後援会が発足[25]、同年4月14日に後楽園ホールで角谷淳志(金沢)と対戦し、初回2分53秒TKO勝ちを収め日本王座の初防衛に成功[26]、同年8月7日には大阪府立体育会館で自身の持つ日本ライトフライ級王座と空位のOPBF東洋太平洋ライトフライ級王座を懸け日本ライトフライ級5位の大内淳雅(姫路木下)と対戦し[3]、3-0の判定勝ちを収め日本王座の2度目の防衛並びにOPBF王座の獲得に成功した[27]。親子2代で日本王座とOPBF王座の2冠を果たしたのは国内初の快挙である[27]。そして同年暮れの12月8日には後楽園ホールでレスター・アブタン(フィリピン)を相手にOPBF王座の初防衛戦を行い、3回1分57秒TKO勝ちを収めOPBF王座の初防衛に成功した[28]。
2017年に入り、一度は4月2日に久田哲也(ハラダボクシングジム)と日本王座の3度目の防衛戦を行う予定だったが、3月21日に日本ボクシングコミッションに対して日本ライトフライ級王座を返上したため試合は中止となった[29]。
WBC世界王座獲得
2017年5月20日、有明コロシアムでWBC世界ライトフライ級王者ガニガン・ロペス(メキシコ)と対戦し、12回2-0(115-113×2、114-114)の判定勝ちを収め、プロ10戦目にして世界王座獲得に成功した[30][31]。
2017年10月22日、両国国技館で元WBC世界ライトフライ級王者でWBC世界ライトフライ級1位のペドロ・ゲバラ(メキシコ)と対戦し、12回2-0(115-113、116-112、114-114)の判定勝ちを収め、初防衛に成功した[32][33]。
2017年12月30日、横浜文化体育館で行われた「FUJI BOXING 2017」でWBC世界ライトフライ級11位でWBAフェデカリブライトフライ級王者のヒルベルト・ペドロサ(パナマ)と対戦し、4回1分12秒TKO勝ちを収め、2度目の防衛に成功した[34][35]。
2018年1月12日、WBCの2018年1月度の月間優秀選手賞に選出された[36][37]。
2018年、3度目の防衛戦としてガニガン・ロペスとの再戦が決定、試合日は一度は4月15日の横浜アリーナ[注 2]での開催に設定されたものの、その後5月25日の大田区総合体育館[注 3]での開催に変更された[38]。
2018年5月25日、大田区総合体育館にて、元WBC世界ライトフライ級王者でWBC世界ライトフライ級1位のガニガン・ロペスと再戦し、2回1分58秒KO勝ちを収め、3度目の防衛に成功した[39]。
2018年10月7日、横浜アリーナにて元IBF世界ライトフライ級王者のミラン・メリンド(フィリピン)と対戦し、7RTKO勝ちを収め、、4度目の防衛に成功した[40]。
2018年12月30日、大田区総合体育館にてWBCライトフライ級8位のサウル・フアレス(メキシコ)と対戦し、3-0(119-109×2、120-108)の判定勝ちを収め、5度目の防衛に成功した [41]。
2019年7月12日、大阪府立体育会館第1競技場でWBCライトフライ級1位のジョナサン・タコニング(フィリピン)と対戦し、3ラウンドの途中で偶然のバッティングによりタコニングが負傷したことで減点を取られたが、4Rに右ストレートでタコニングをマットに沈め、4回1分0秒TKO勝ちを収め、6度目の王座防衛に成功した[42]。この試合まで拳四朗のリングネームを使用した。
2019年12月23日、横浜アリーナでIBF世界ライトフライ級王者のフェリックス・アルバラード(ニカラグア)と王座統一戦を行う予定であったが、アルバラードが体調不良になり中止となった。代わりとして、元WBA世界ライトフライ級暫定王者でWBC世界同級14位のランディ・ペタルコリン(フィリピン)を相手に防衛戦を行うことを発表した。また、リングネームを本名の『寺地拳四朗』に変更することも発表された[43]。
2019年12月23日、横浜アリーナでペタルコリンと対戦。3回に右ボディフックなどで一気に3度のダウン、4回に左ボディフックを決めて4度目のダウンを奪ったところでレフェリーが試合を止め、4回1分8秒TKO勝ちを収め、7度目の王座防衛に成功した[44]。
2020年11月26日発売の週刊文春にて、7月に酒に酔った寺地が東京都内のマンション敷地に不法侵入し、他人の車を破損させる、器物損壊騒動を起こしていたことが報じられた[45]。寺地はこの日、謝罪文をマスコミ各社に送付した。被害者との示談は成立しているという[46]。12月2日、プロモーターである真正ジムの山下正人会長より、本件の影響により、12月に予定されていた同級1位・久田哲也(ハラダ)を相手とした8度目の防衛戦の中止が発表された[47]。12月15日、JBCは寺地に対し、制裁金300万円、3か月間のライセンス停止、6か月の社会奉仕の処分を下した[48]。
2021年4月24日、延期されていた久田哲也との防衛戦が大阪府立体育会館で行われ、2回にワンツーでダウンを奪うなどして、12回3-0(119-108、118-109×2)で判定勝ちを収め、8度目の王座防衛に成功した[49]。
2021年9月22日、京都市体育館でWBC世界ライトフライ級1位で元日本同級王者の矢吹正道を相手に9度目の防衛戦を行うも、10回2分59秒TKO負けを喫し、王座から陥落した[50]。
試合後、寺地陣営は、試合の攻防で寺地が右目上をカットした場面をめぐり、レフェリーがパンチによるものとした判定に対し、「故意のバッティング」として、問題の場面の映像を添えてJBCに10月5日付で質問状を送付した[51]。10月27日、寺地側に、JBCから「バッティングか有効打によるか判断できず、矢吹を減点せず、試合を続行したレフェリーの判断に特段の問題はない」といった趣旨の回答書が届く。11月8日、所属ジムのBMBジム寺地永会長が会見し、「試合結果に文句はない」とした上で、「JBCの不誠実さを垣間みた」とJBCの回答を不服とし再抗議[52]。11月15日、試合の興行権を持つ真正ジム・山下正人会長、矢吹が所属する緑ジム・松尾敏郎会長、BMBジム寺地永会長が会見を開き、WBCから再戦命令が届き、両陣営で合意の上、再戦を行うことを発表。またWBCが10月18日付でJBCに再戦を命令していたが、JBCは11月10日までこれを両陣営に伝えていなかったことについて、JBCが隠蔽しようとしていた疑いがあるとして、寺地会長は「10月中に再戦命令は出ていたのに、JBCが言うには会見を開いてから出たと。つじつまが合わない」と、松尾会長は「再戦命令は出ていないと言われていたのに今月になって出ていると。もう少しきちっとした判断ができないのか」とJBCへの不信感をあらわにした[53][54][55][56][57]。
2021年11月24日、東京・水道橋の後楽園飯店にて会見を行い、現役続行を表明[58]。
2022年3月19日、京都市体育館でWBC世界ライトフライ級王者の矢吹正道と6か月ぶりにダイレクトリマッチで再戦し、3回1分11秒KO勝ちを収め王座獲得に成功した。なおこの試合はABEMAで無料独占生配信された[59][60]。
WBAスーパー王者との統一戦
2022年9月14日、東京都内で開かれた記者会見において、WBA世界ライトフライ級スーパー王者京口紘人(ワタナベ)との2団体王座統一戦が11月1日にさいたまスーパーアリーナで開催されることが正式発表された。
2022年11月1日、WBA世界ライトフライ級スーパー王者京口紘人と2団体王座統一戦を行い、5回に1度目のダウンを奪い、7回に2度目のダウンを奪ったところで2分36秒TKO勝ちを収め、WBAスーパー王座及びリングマガジン王座を獲得するとともにWBC王座の初防衛に成功し、日本人男子としては5人目となる分立2団体間の統一王者、世界王者同士の統一戦勝利しては4人目となった[61]。試合の模様は日本国内はAmazon Prime Video、海外はESPN+(アメリカ)、DAZN(アメリカ以外の海外)で配信された[62]。
2023年3月24日、WBO世界ライトフライ級王者ジョナサン・ゴンサレスと3団体王座統一戦を4月8日に行う予定だったが、ゴンサレスがマイコプラズマ肺炎に罹ったため試合中止になったことが発表された[63]。同年3月29日に代役としてWBA世界フライ級2位のアンソニー・オラスクアガに対戦相手が変更されたことが発表された[64]。
2023年4月8日、有明アリーナでWBA世界フライ級2位のアンソニー・オラスクアガと対戦し[65][66]、オラスクアガと壮絶な打ち合いの末、9回58秒TKOで下し、WBC王座2度目、WBA王座の初防衛に成功した[65][66][67]。
2023年9月18日、有明アリーナでWBA世界ライトフライ級4位、WBC世界ライトフライ級1位で指名挑戦者ヘッキー・ブドラーと対戦し、9回2分19秒TKO勝ちを収めWBA王座は2度目、WBC王座は3度目の防衛に成功した[68]。
2024年1月23日、エディオンアリーナ大阪でWBA世界ライトフライ級1位、WBC世界ライトフライ級2位で元WBA世界ライトフライ級レギュラー王者のカルロス・カニサレスと対戦し、12回2-0(113-113、114-112×2)の判定勝ちを収めWBA王座は3度目、WBCは4度目の防衛に成功した[69]。
フライ級
フライ級転向に伴い、2024年7月15日付でWBAスーパー・WBC世界ライトフライ級王座を返上した[70]。
2024年10月13日、有明アリーナで元WBC世界フライ級王者ならびに同級2位のクリストファー・ロサーレスとWBC世界同級王座決定戦を行い[71]、ロサーレスの鼻骨骨折によるレフェリーストップで11回6秒TKO勝ちし、2階級制覇を達成した[72]。
戦績
- アマチュアボクシング:74戦 58勝 (20KO・RSC) 16敗
- プロボクシング:25戦 24勝 (15KO) 1敗
獲得タイトル
- 日本ライトフライ級王座(防衛2=返上)
- OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座(防衛1=返上)
- WBCユースライトフライ級王座(防衛0=返上)
- WBC世界ライトフライ級王座(1期目: 防衛8、2期目: 防衛4=返上)
- WBA世界ライトフライ級スーパー王座(防衛3=返上)
- リングマガジン世界ライトフライ級王座
- WBC世界フライ級王座(防衛0)
受賞
出演
テレビ
映画
脚注
注釈
- ^ 日本ボクシングコミッション(JBC)では名前だけのリングネームは認めていないため、拳四朗を「けん・しろう」として届け出たという[11]。
- ^ 当日は村田諒太(WBA世界ミドル級王者)の初防衛戦及び比嘉大吾(WBC世界フライ級王者)の3回目の防衛戦とのセットで三大タイトルマッチとして設定されていた。
- ^ 当日は井上尚弥(元WBO世界スーパーフライ級王者)がWBA世界バンタム級王者ジェームス・マクドネルに挑戦する試合が開催される。
出典
関連項目
外部リンク
日本のプロボクシング世界王者(太字は現王者) |
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女子 |
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JBC 非公認 |
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関連項目 | |
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