大沼 保吉(おおぬま やすきち、1873年〈明治6年〉2月3日[1] - 1962年〈昭和37年〉10月22日[1])は、日本の造り酒屋経営者。政治家。寿虎屋酒造経営者(第8代)。千代寿虎屋酒造経営者(初代)。山形市長(第10代・3期)。山形県会議員(1期)。山形市会議員(4期)。山形市名誉市民(第1号)。山形商工会議所会頭(第6代)。山形県酒造組合連合会会長。山形市東南村山郡酒造組合組合長(初代)。
『いつも嘘は言わぬ』・『言った事には責任を持って実行する』が格言であった。
来歴
栄典・受賞
その他の役職
- 山形県商品陳列所供託会会長
- 山形殖産無尽株式会社監査役
- 荒屋合資会社出資社員
出版物
- 著書
- 『大沼保吉翁回想録』 1963年6月 後藤嘉一(編著) 大沼保吉翁回想録編纂委員会(出版)
- 関連書籍
- 『千代寿虎屋酒造史』 1989年8月 大沼義之助(著) 千代寿虎屋酒造(出版)
- 『酒蔵片々 - 幼少編』 2004年1月 大沼保義(著) 千代寿虎屋酒造株式会社(出版)
親族
- 父:加藤定蔵 - 保吉が生まれる前年の1872年(明治5年)8月に死去。
- 母:加藤シウ - 十日町の名門商家・高田金兵エの二女。
- 伯母:大沼ひさ - 十日町の名門商家・高田金兵エの長女。虎屋6代目経営者・大沼勘四郎の妻
- 養父:大沼金治 - 塗師町の榎森伊兵衛の次男。虎屋7代目経営者
- 養母:大沼てる - 虎屋6代目経営者・大沼勘四郎の長女。
- 前妻:大沼ウン - 金治の二女。(保吉とは従叔父と従姪の関係)
- 婿養子:大沼貞蔵 - 医師、医学博士、山形県医師会初代会長
- 長女:大沼セン - 貞蔵の前妻
- 後妻:大沼セイ - 金治の三女。(保吉とは従叔父と従姪の関係)
脚注
外部リンク
出典
- 『大沼保吉翁回想録』 1963年6月 後藤嘉一(編著) 大沼保吉翁回想録編纂委員会(出版)
- 『千代寿虎屋酒造史』 1989年8月 大沼義之助(著) 千代寿虎屋酒造(出版)
- 『酒蔵片々 - 幼少編』 2004年1月 大沼保義(著) 千代寿虎屋酒造株式会社(出版)
- 『官報』 1962年10月29日 本紙 10761 叙任及辞令
- 『山形県議会八十年史 Ⅲ-付録 歴代県議会議員一覧表』 1967年 山形県議会(編纂・出版)
- 『山形市史』 山形市(編纂)
- 『百年のあゆみ』 山形商工会議所100周年記念事業委員会(編) 山形商工会議所(出版)
- 『山形商工会議所史 上巻』 1972年11月 後藤嘉一(著) 山形商工会議所(出版)
- 寿虎屋酒造HP「寿虎屋酒造の歴史」
- 『全国市長銘鑑・自治制実施五十周年記念』 1938年 帝国自治協会 (著・出版)