マドセン機関銃 (デンマーク語 : Madsen-maskingeværet )はデンマーク で開発された軽機関銃 である。
20世紀の初頭に開発された機関銃で、設計当初から“軽機関銃”(兵士が手で運搬できる、攻勢的な運用のできる機関銃)として開発されたものとしては世界最初のものである。
“マドセン機関銃”の名は、製造メーカー、およびデンマークを始めとして世界各国に採用を働きかけたデンマークの大臣の名に因む。
概要
本銃は軽機関銃 と呼ばれる兵器の中で最初期のものの一つであり、世界の34ヶ国に広まった。また、80年以上に渡って世界中の様々な戦争や紛争において広汎に戦闘に投入された[ 2] 。
開発国のデンマークを始め、広く世界中の国や武装組織に導入されて用いられ、1900年代 の初頭から、メキシコ革命 、日露戦争 、第一次世界大戦 、国共内戦 、チャコ戦争 、そして第二次世界大戦 といった20世紀 初頭から中盤までに発生した多くの戦争で使用され、第二次世界大戦後も多数の国や組織で装備され続けた。
21世紀 に至ってもブラジル の警察組織で現役で使用されていることが、2009年 に撮影された報道写真で確認されている(後述「#ブラジルでの継続使用 」の節参照)。
開発とその経緯
設計が行われたのは1880年代 のことで、1864年 の第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 において、特に激戦として知られるドゥッブル堡塁の戦い に際して、数に勝る敵軍に対しては、防衛側が有利とされる陣地防御 戦闘であっても、火力、特に歩兵 部隊の個人火力に劣っていては劣勢を免れない、という経験と戦訓をデンマーク軍が得たことに起因している。これに対処するためには大砲 (砲兵 部隊)の増勢だけではなく歩兵部隊の火力を増大させることが必要で、兵士が用いる小銃 を連射できるものとする必要がある、という結論が出され、「自動連発が可能な小銃 」もしくは「小銃より多少大きく重い程度の連射火器 」の開発が急務である、とされた。
上述の結論に基づいてデンマークにおいて開発されたものに、"Forsøgsrekylgevær "(「自己装弾小銃」の意)”として開発された半自動式の小銃 があった。これは1883年 、デンマーク軍の砲兵将校であったヴィルヘルム・H・O・マドセン(Willhelm H. O. Madsen)大尉によって発案され、国営兵器工廠の技官であるユリアス・A・ラスムッセン(Julius A. Rasmussen)によって設計された。この“自己装弾小銃”は1886年 に試作品が完成、1887年 にはデンマーク軍より試験用に70丁が発注され、1888年 には"M.1888 Forsøgsrekylgevær "として制式採用された。このM.1888が、半自動式ながら世界最初の自動小銃であり、世界最初の制式自動小銃である。
1889年 、彼らの所得した特許は投資家によって買い取られ、この画期的な武器を製造するための共同事業体 (企業合同 )としてDRS(Dansk Rekyl Riffel Syndikat A/S, 後にはDansk Industri Syndikat A/Sに改名)が創設された。W・マドセン自身は軍務のために事業からは離れざるをえなかったが、その傘下の開発製造部門として1900年 に設立された会社には出資し、マドセン社(Compagnie Madsen A/S, 後にDRSがA.P. モラー・マースク の傘下に入った際に統合された)を設立した。
1892年 、デンマーク陸軍は「要塞防衛用兵器」としてM.1888の10発装弾板式の装弾数を20発弾倉式とした改良型を発注したが、200丁の発注に対して86丁が納入されたのみである。
1896年 、M.1888に注目したデンマーク海軍は、DRSに対し、海兵隊用のカービン 銃としてM.1888を軽量小型に改修し、10発装弾の弾倉式とした新型小銃を求めた。この要求に対し、1899年 にDRSの責任者となったテオドル・ショービュー(Theodor Schoubue)中尉は、1888年式自己装弾ライフルに独自の改良を加えて幾つかの特許を取得し、ショービューによる改良型は"M.1896 Forsøgsrekylgevær "として採用された[ 注釈 1] 。M.1896は1896年 に60丁+がデンマーク海兵隊に納入され、翌1897年 には海軍要塞の防衛兵器として50丁が追加発注されて納入されている。
M.1888、M.1896共にその火力の高さは高評価であったものの、実際に使用した陸軍および海兵隊からは、装弾数の物足りなさや、連続射撃時の耐久性の低さといった点が指摘され、ショービューはM.1896を元に、小銃ではなく機関銃 として発展させた設計とし、1901年 には新たな特許を所得した。同年、デンマーク軍事担当大臣に就任したW・H・O・マドセンはこれを採用するよう働きかけ、ショービューの設計した機関銃は1902年 にはデンマーク陸軍 に採用された。マドセンはデンマーク以外の各国にも積極的に採用を働きかけ、この軽機関銃は製造会社名、更には各国に採用を働きかけるために積極的にセールスを行ったマドセンにちなんで“マドセン機関銃”(デンマーク語 : Madsen-maskingeværet , 英語 : Madsen MachineGun )と名付けられた。
設計
マドセン機関銃の作動サイクル図。下から順に弾薬の装填、閉鎖・撃発、空薬莢の抽出を示す。
マドセン機関銃は他の自動火器に用いられない、珍しくてより精巧な作動機構を持っている。本銃は、反動利用の閉鎖システムと、ヒンジ様のボルトを融合した機構を使用する。これはピーボディ・マルティニー小銃のレバーアクション式薬室閉鎖装置にならった構造であった[ 2] 。この反動利用方式はショートリコイルとロングリコイルを混用した機構を採用している。実包の発射後、最初の反動の衝撃は銃身、バレルエクステンション、ボルトを後方へ駆動させる。ボルト右側面に設けられたピンが、機関部右側面に装備された作動用カムプレートの溝に沿って後退する。12.7mmの移動の後、ボルトはカムにより上方へ上げられ、遊底から解放される。これは反動利用のうち、ショートリコイルの部分に相当する。銃身およびバレルエクステンションは、薬莢および弾頭の全長をわずかに超える点まで、後方への駆動を続ける。これは反動利用のうちロングリコイルの部分に相当し、本銃の低い発射速度の原因となっている。
ブリーチが露出した後、銃身下部に装着されていた、変わった形のレバー様をしたエキストラクター兼エジェクターが後方へと回転する。これは空薬莢を抽出し、機関部底部を通して排莢する。それからボルトの作動カムは、ボルトに下側のピボットへ面するよう圧迫し、ボルト左側面の弾薬供給溝と薬室が一列になるよう並べる。ボルトと銃身が前進して元へと戻る間、バレルエクステンション左後方に装備された給弾レバーは前方へと回転し、新しい弾薬を装填する。
弾倉はレシーバーの真上ではなく、左上に挿入される。弾倉の先端には先頭の弾薬を保持するためのリップが無く、その代わりとして側面に板バネ状のクリップが取り付けられている。弾倉を銃へ差し込むと、挿入口に当たったクリップが開いて弾薬を解放する。弾薬はレシーバーの左側面から機関部の中へ送り込まれ、射撃後の空薬莢や手動で抜かれた未発射弾は機関部の真下へ排出される。
実戦投入
第一次世界大戦まで
1928年のノルウェー兵士、1名がマドセン機関銃を携行している。
本銃は生産コストが高いとされていたが、信頼性も有名であった。マドセン軽機関銃は、第一次世界大戦 の前後に12の異なる口径 [ 3] で34ヶ国に販売された。また軍閥 が勢力を展開した1916年から1928年にかけての中国大陸 で戦闘に用いられた。
本銃はロシア帝国 軍に広く用いられた。ロシア軍は1,250挺を購入し、日露戦争 中に投入した。ドイツ帝国 軍は1914年 に7.92mm口径仕様の本銃を用いた。装備部隊は歩兵中隊、山岳部隊、後期には突撃歩兵であり、これらは第一次世界大戦 中に実戦投入された。
戦間期
本銃は1920年代と1930年代初期にパラグアイ により購入された。この国は、グランチャコ 地域に対するボリビア との領有問題について、静かに戦備を整えていた。この軽機関銃は1932年 から1935年 にかけて戦われたチャコ戦争 でパラグアイ軍に使用された。戦争開始時、約400挺が配備されており、戦争の進行に伴ってさらに多数の軽機関銃が購入された[ 4] 。
ブラジル は1930年代後期にイタリア から約23両のCV-35 タンケッテ を導入したが、大多数の車両は口径7mmの連装マドセン軽機関銃で武装していた[ 5] 。
第二次世界大戦
1940年 4月から6月、ドイツ軍 によるノルウェー侵攻作戦 の段階でも、マドセン機関銃はいまだにノルウェー軍 の標準的な軽機関銃として運用されていた。6.5x55mm弾 を使用するM/22、3,500挺がノルウェーの防衛に用いられた。1940年までに、各ノルウェー歩兵分隊は1挺のマドセン機関銃を割り当てられた。この武器は以前、別々の機関銃分隊に集められていた物である[ 6] [ 7] 。ノルウェー軍の歩兵大隊は、36挺のマドセン軽機関銃および9挺のM/29重機関銃(ブローニングM1917重機関銃 )を標準装備として保有した。
しかしマドセン軽機関銃は、数発の射撃で作動不良を起こす傾向があり、ノルウェー軍兵士には好まれず、こうしたことからJomfru Madsen (処女のマドセン)というあだ名がついた[ 8] 。鹵獲 されたマドセン軽機関銃は戦中を通じてドイツ陸軍 の二線級部隊に使用され、またデンマーク陸軍 は1955年 まで最後のマドセン軽機関銃を退役させなかった。
口径6.5mmのマドセン軽機関銃は、戦間期の終わりまで王立オランダ領東インド諸島軍(KNIL)の標準的な機材であった。何挺かは捕獲され、東インド諸島 の陥落の後、日本軍 によって使用された。
戦後
アイルランド は合計24丁のマドセン機関銃を保有した。これらは全て.303口径であった。これらの軽機はランズヴェルク L60軽戦車、リーランド装甲車、ランズヴェルク L180装甲車およびダッジ装甲車に装備された。1950年代になると、アイルランドの各部局に残されたこれらの武装は、ブローニングM1919重機関銃 に換装された[ 1] 。
ポルトガル植民地戦争
1960年代および1970年代のポルトガルの植民地戦争 の際に、ポルトガル陸軍 はマドセン軽機関銃を使用した。マドセン軽機関銃の運用の一つは、Auto-Metralhadora-Daimler 4 × 4 Mod.F/64 装甲車の代用武装であった。これはダイムラー偵察車 に、砲塔に似た構造を追加して改修したものである[ 9] 。
ブラジルでの継続使用
マドセン機関銃はブラジルのリオデジャネイロ州 に配備されたミリタリーポリス によって使われ続けた。弾種は7.62mmのNATO弾である[ 10] 。一部の銃は麻薬密売人から押収されて任務に流用された(ほとんどはアルゼンチン陸軍 の中古品、またごく少数は博物館から盗まれたものである)[ 11] 。しかしブラジル警察が用いるマドセン軽機関銃の大部分はブラジル陸軍 から来たものである。これらは30口径 の兵器であるが、7.62mm NATO弾 に適合するよう改修が加えられている。
公式な発表ではブラジル軍は1996年 にマドセン軽機関銃を退役させたとしている。ブラジル警察の銃も2008年 にはもっと現代的で高い発射速度を持つ銃に更新された[ 12] 。しかしながら、2009年 10月19日、ブラジル警察と麻薬密売人との衝突の最中に撮られた写真は、鮮明にマドセン軽機関銃がブラジル警察によってまだ使われていることを示した[ 13] 。
使用国
登場作品
『エイプリル・ソルジャーズ ナチス・北欧大侵略』(原題:9.April (デンマーク語版 )
1940年 4月 のヴェーザー演習作戦 (ナチス・ドイツ によるノルウェー とデンマーク への侵攻作戦)をデンマーク陸軍の1小隊の視点から描いたデンマーク映画。原題の"9.April"(4月9日 )とは侵攻作戦が始まった日を示す。マドセン軽機関銃は当時のデンマーク軍の主力機関銃であるため、主役の小隊の装備として登場する。
『紅の豚 』
空賊が使用。
『バトルフィールド1 』
『バトルフィールドV 』
援護兵の武器として登場。
脚注
注釈
^ このため、前述のM.1888がM.1896と共に“マドセン-ラスムッセンライフル(Madsen-Rasmussen Rifle)”と呼ばれることに対し、しばしばM.1896を特定的に指して“ショービューライフル(Schoubue Rifle)”と呼ぶことがある。
出典
^ a b c Karl Martin, Irish Army Vehicles, Transport & Armour Since 1922, Karl Martin 2002.
^ a b c Kokalis, Peter. Weapons Tests And Evaluations: The Best Of Soldier Of Fortune. Paladin Press. 2001. pp15?16.
^ deactivated-guns.co.uk: Madsen machine gun
^ An Outline History of the Paraguayan Army Archived 2012年2月11日, at the Wayback Machine .
^ Kirk Jr., William A. (2003年3月12日). “Brazil ”. Tanks! Armoured Warfare Prior to 1946 . Florida State University . 2009年2月27日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年6月21日 閲覧。
^ Holm, Terje H. (1987) (Norwegian). 1940 – igjen? . Oslo : Norwegian Armed Forces Museum. p. 26. ISBN 82-991167-2-4
^ View from the trenches ASL journal Issue 31 May-Jun 2000
^ Jaklin, Asbjorn (2006) (Norwegian). Nordfronten - Hitlers skjebneomrade . Oslo: Gyldendal . p. 32. ISBN 978-82-05-34537-9
^ Abbott, Peter (2005). Modern African Wars (2): Angola and Mozambique 1961–1974 . Oxford : Osprey Publishing . p. 7. ISBN 978-0-85045-843-5
^ Madsen Light Machine Gun website
^ News article about Argentine guns found with drug dealers [リンク切れ ] (ポルトガル語)
^ Strategy Page on Madsen guns.
^ Photo slideshow on clash between Brazilian police and drug traffickers.
^ a b Gander, Terry J.; Hogg, Ian V. Jane's Infantry Weapons 1995/1996 . Jane's Information Group; 21 edition (May 1995). ISBN 978-0710612410 .
^ Lugosi, Jozsef (2008). “Gyalogsagi fegyverek 1868?2008”. In Lugosi, Jozsef; Marko, Gyorgy. Hazank dics?segere: 160 eves a Magyar Honvedseg . Budapest: Zrinyi Kiado. p. 382. ISBN 978-963-327-461-3
参考文献・参照元
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
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外部リンク