パンチェン・ラマ6世、ロサンペルテンイェーシェー師(1738年 - 1780年)は、第6代のパンチェン・ラマである。
生い立ち
清帝国チベット出身。チベット人。
パンチェン・ラマ
著書に「シャンバラへの道案内書」があり、翻訳されてヨーロッパに紹介された。
清朝の招聘を受けて1779年に北京を訪れて清帝国の乾隆帝と謁見した。冊封を受けて清朝のチベットに対する宗主権を認めたとともに、乾隆帝にチベット仏教の戒を授けた。しかしながら、間もなく天然痘を発病し、1780年に北京で入寂した。
2人の兄弟
1780年のパンチェン・ラマ6世の死去後、その2人の兄弟で会計係のドゥンパ・リンポチェとシャマルパ10世が相対立するようになった[1]。彼らは、タシルンポ寺の財産およびパンチェン・ラマが受け取った捧げものに対する遺産相続を求めた[1]。
脚注
注釈
出典
参考文献