1896年9月1日号の表紙
『バニティ・フェア (Vanity Fair )』は、1868年 から1914年 まで刊行されていた、イギリス の週刊誌 。
歴史
「政治、社会、文学の諸々を毎週紹介 (A Weekly Show of Political, Social and Literary Wares)」と副題が付けられていたこの雑誌は、トマス・ギブソン・ボウルズ (Thomas Gibson Bowles ) が、ヴィクトリア朝 社会の当代的な虚栄を暴くことを目的として創刊したものであった。創刊号は、1868年 11月7日 にロンドン で発売された。この雑誌は、ファッション、時事、演劇、書籍、社交行事、最新のスキャンダルなどの記事を読者に提供し、さらに連載小説 や、言葉遊びゲーム、その他の雑多な情報を掲載していた。
ボウルズは、この雑誌の記事の大部分を、「ジェフ・ジュニア (Jehu Junior)」など様々な筆名を使って自ら執筆していたが、ほかにもルイス・キャロル 、ウィリー・ワイルド (Willie Wilde )、P・G・ウッドハウス 、ジェシー・ポープ (Jessie Pope ) や、1904年 6月から1906年 10月まで編集者も務めたバートラム・フレッチャー・ロビンソン (Bertram Fletcher Robinson ) などが寄稿していた[ 1] 。
1911年 、既に財政的に行き詰まりかけていた『バニティ・フェア』誌は、フランク・ハリス からトマス・アリソン (Thomas Allinson ) へ売却された。しかし、アリソンはこの雑誌の立て直しに失敗し、1914年 2月5日 には『バニティ・フェア』の最終号が刊行され、同誌は『Hearth and Home 』誌に統合された。
風刺画
『バニティ・フェア』のほとんどの号には、同時代の人気者やお偉方などを取り上げたカリカチュア を、全頁大の多色刷りリトグラフ で掲載しており、この雑誌の名物として当時も[ 2] 、今日でもよく知られている[ 3] 。取り上げられた人物には、芸術家、スポーツ選手、王族、政治家、科学者、作家、俳優、軍人、宗教関係者、実業家、学者などがいた。のべ2000点以上が掲載されたカリカチュアは、同時代の画像による記録となっており、この雑誌の最も重要な文化遺産と考えられている。このカリカチュアは、各国の様々な描き手によっており,その中にはマックス・ビアボーム (Max Beerbohm )、サー ・レスリー・ウォード (Leslie Ward :作品に「Spy」や「Drawl」と署名した)、イタリア人 であるカルロ・ペリグリーニ (Carlo Pellegrini :「Singe」、「Ape」)、メルキオーレ・デルフィコ (Melchiorre Delfico :「Delfico」)、リボリオ・プロスペリ (Liborio Prosperi :「Lib」)や、フランス人 のジェームズ・ティソ (James Jacques Tissot :「Coïdé」)、アメリカ人のトーマス・ナスト などがいた[ 4] 。
ギャラリー
出典・脚注
関連項目
外部リンク