フィレンツェの地主階級の家に生まれた。1859年からフィレンツェの美術学校(Accademia delle Arti del Disegno)で彫刻家のコストーリ(Aristodemo Costoli)に学んだ[1]。同じ年に第二次イタリア独立戦争に友人の画家、テレマコ・シニョリーニとともに参加した[1]。翌年、戦争の結果生まれた、トスカーナ臨時政府の募集した戦争記念の美術作品のコンペティションにサヴォイア国王カルロ・アルベルトの像の案で応募し、入賞したが、アカデミーの会員に不評で制作を依頼されることはなかった[1][2]。