ニューデリー空中衝突事故

ニューデリー空中衝突事故
サウジアラビア航空763便・ カザフスタン航空1907便
事故の概要
日付 1996年11月12日
概要 カザフスタン航空機のパイロットエラーによる空中衝突
現場 インドの旗 インド ニューデリー
負傷者総数 0
死者総数 349 (全員)
生存者総数 0
第1機体

1986年に撮影された事故機
機種 ボーイング747-100B
運用者 サウジアラビアの旗 サウジアラビア航空
機体記号 HZ-AIH
出発地 インドの旗 インディラ・ガンディー国際空港
経由地 サウジアラビアの旗 ダーラン国際空港
目的地 サウジアラビアの旗 ジッダ国際空港
乗客数 289
乗員数 23
負傷者数
(死者除く)
0
死者数 312 (全員)
生存者数 0
第2機体

1994年に撮影された事故機
機種 イリューシンIl-76
運用者 カザフスタンの旗 カザフスタン航空
機体記号 UN-76435
出発地 カザフスタンの旗 シムケント国際空港
目的地 インドの旗 インディラ・ガンディー国際空港
乗客数 27
乗員数 10
負傷者数
(死者除く)
0
死者数 37 (全員)
生存者数 0
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事故現場の位置
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事故現場
事故現場の位置

ニューデリー空中衝突事故(ニューデリーくうちゅうしょうとつじこ、英語:Charkhi Dadri mid-air collision)は、1996年インドで発生した空中衝突事故(航空事故)である(別名:チャルキ・ダドリ空中衝突事故)。この事故では両機の乗員乗客合わせて349名全員が死亡し、民間航空機による空中衝突事故としては世界最悪であり[1][2]、またインド国内で最多の死者数を出した航空事故である[3][4]。航空機事故ではテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故日本航空123便墜落事故に続いて、世界3番目の死者数を出した事故である。

事故機の情報

サウジアラビア航空763便

サウジアラビア航空763便(ボーイング747-100B、機体記号:HZ-AIH、1982年製造。インド・ニューデリーサウジアラビア王国ダーラン経由同国ジッダ行き)には、乗員23名と乗客289名の合計312名が搭乗していた[5]

機長は45歳男性で、9,837時間の飛行時間を持つ経験豊富なパイロットであった[6]。ほかに副操縦士、航空機関士が乗務していた。

乗客の国籍については複数の説がある。1996年11月14日に掲載された記事によると、インド人215名が搭乗し、その多くがサウジアラビアに出稼ぎに向かうインド人労働者であったとされる。またネパール人が40人、アメリカ人が3人搭乗していたとされる[7]。それに対して別の記事では、乗客名簿にはネパール人9人、パキスタン人3人、アメリカ人2人、バングラデシュ人1人、イギリス人1人、サウジアラビア人1人を含む他国籍の17人が含まれていたと報じられている[8]。12人の乗員はサウジアラビア人であり、そのうち5人はテロ対策の当局者であった[9]

カザフスタン航空1907便

カザフスタン航空1907便(イリューシンIl-76貨物機、機体記号:UN-76435、1992年製造。カザフスタン共和国シムケント発インド・ニューデリー行きチャーター便)には、乗員10名と乗客27名の合計37名が搭乗していた。機長は44歳男性で、9,229時間の飛行時間を有する経験豊富なパイロットであった[6]。ほかに副操縦士、航空機関士、航法士、そして航空管制官との交信を担当する通信士が乗務していた。

1907便はキルギスの会社がチャーターしており、乗客は主にインドへ買い物に向かうロシア系キルギス人であった[8][10][7]。またキルギスの貿易商13人が搭乗していた[9]

事故の概略

現地時間1996年11月12日18時32分(世界標準時13時02分)、763便はニューデリーのインディラ・ガンディー国際空港を離陸した。同じ頃、1907便はインディラ・ガンディー国際空港への着陸に向けて763便と同じ空域を降下中であった[11]。両機はガンディー国際空港のアプローチ管制の管制官と交信をとっていた[12]

離陸直後、763便は初期高度である10,000フィート(3,050m)までの上昇が許可された。一方の1907便は高度23,000フィート (7,000 m)で当該空域に入り、18時32分にインディラ・ガンディー国際空港管制塔に対して高度23,000フィートを飛行していることを報告した。18時34分、1907便は15,000フィート(4,550m)までの降下を許可された。18時36分、763便は1907便と同じ航路を逆方向に進む形で、14,000フィート(4,250m)までの上昇が許可された。18時38分、763便は14,000フィートまで上昇したことを報告し、さらに高度を上げることを要求した。しかし同じ航路に1907便が飛行していたため、管制官は763便に対して高度維持を指示し、763便の副操縦士も復唱した[12]

18時39分、1907便は管制官に指示された15,000フィートに到達したことを報告したが、実際はそれよりも高い16,348フィート(5,000m)を飛行しており降下中であった[13][14]。管制官は1907便に対して、12時の方向約14海里 (26 km; 16 mi)の地点に、正対して進行してくるサウジアラビア航空のボーイング747型機がいる事を伝え、同機を視認したら管制官に報告するよう指示した("[There is an] identified traffic 12 o'clock, reciprocal Saudia Boeing 747, 14 miles. Report if in sight.")[14]。1907便は763便を視認している事を管制官に報告した("Now looking 1907.")。なお、1907便の通信士は英語を解さない機長、副操縦士、航空機関士、航法士らに対して管制官からの通信内容を通訳していなかった。

この通報から1分も経たない18時40分に、降下中であったアメリカ空軍の貨物便(ロッキード・C-141B)から、2時の方向で「大きな爆発」を目撃したとの通報があった[15]。管制官は763便と1907便に連絡を試みたが、応答はなかった。両機は空中衝突し、1907便の左翼が763便の左翼を切り裂き、763便の左水平尾翼が1907便の垂直尾翼(垂直尾翼の上端にある水平尾翼も含む)を切断した[16]。763便は操縦不能に陥り、翼から火を噴きながら急降下、空中分解し、時速1,135kmの超音速で地面に激突した。左翼と垂直尾翼の大部分を失った1907便は衝突後約10秒間上昇を続け、高度15,700フィート (4,800 m)に達したところで失速して墜落した。両機の乗員乗客全員が死亡した[16][17]

空中衝突はニューデリーのおよそ100km西、チャルキ・ダドリ上空で起きた[18]。763便の残骸はハリヤーナ州ビワニに、1907便の残骸はハリヤーナ州ビロハーに墜落した[19]

事故原因

当初は管制官のミスが疑われたが、事故から3日後、インド政府の事故調査委員会は交信記録を精査し、「管制官に落ち度はなく、指示も適切に行なわれていた」と結論を出した[要出典]

その後、レコーダーを捜索する過程で、カザフスタン航空機の高度計が原型を留めた状態で発見されると、副操縦士席と機長席の高度計に数値のズレがあったため、高度計の故障も疑われたが、後に高度計は正常だったことが判明し、事故原因から除外された[要出典]

1907便の指定高度違反

当時のデリー高等裁判所判事が委員長を務める委員会によって調査が行われた。両機の航空会社並びに航空管制官組合から証言録取書が提出された。またブラックボックスは、ぞれぞれイギリスのファーンバラとモスクワにおいて事故調査官の監督下で解読された[20]。事故に至った最大の原因は1907便のパイロットが管制官の指示に従わなかったこととされた。従わなかった理由として、通信の問題や乱気流が挙げられている[21][22][23][24][要出典]

事故調査委員会は、事故は1907便のパイロットの過失によるものであり、ブラックボックスのデータから指定高度の15,000フィート(4,550m)から14,500フィート(4,400m)に、さらに14,000フィート(4,250m)以下にまで降下していたと判断した。報告書では、この重大な運航手順違反の要因が1907便のパイロットの英語能力の欠如にあると指摘した。1907便では管制官との交信を通信士1人に全面的に依存していた。報告書では、副操縦士または機長、あるいは両者が、最後の無線通信を誤解し763便の高度(14,000フィート、FL140)を1907便に対しての指定高度(本来は15,000フィート、FL150)と誤解した可能性があることを示唆している[21]

管制官は1907便に対して、「FL150を維持せよ」という指示と「サウディア(763便)は8マイル先、高度はFL140」という情報伝達を行った。しかしながら国際航空言語である英語によって指示した内容を、同機の機長も副操縦士もよく理解していなかった。また、通信士もその内容を直ちに翻訳して伝えなかったため、機長らは交信の中の2つのフライト・レベル("FL140"と"FL150")しか把握できなかった。この結果、機長や副操縦士が指示高度を取り違えたと推測されている。

さらに、通信士の座席には飛行計器が用意されておらず、機体の高度などの数値を知るにはほかのパイロットの肩越しに操縦席の計器を読み取る必要があり困難であったと考えられている[25]。これは直前の無線通信で15,000フィートに到達したと報告した時点でもまだ16,000フィートより上を飛行していたことからも推測される。通信士が高度が低すぎることに気付いて「高度が低すぎる!140じゃない!150だ!」と叫び、操縦士は出力を上げ上昇を試みたが、間に合わなかった。

それに対してカザフスタン航空の当局者は、パイロットが積雲の中で乱気流に対応している間に航空機が降下してしまったことが原因であると述べた[21][23][より良い情報源が必要]

またインドの航空管制官は、ほとんどの国が航行における単位にフィートと海里を使用するのに対し、カザフスタンのパイロットがメートル高度とキロメートル距離を用いることに慣れており、計算を混同することがあると指摘した[26]

衝突の数秒前に1907便はわずかに上昇し、その後両機が衝突している。これは機体が指定高度以下にいることに、1907便の通信士がその時はじめて気づいてパイロットに上昇を指示したためである。機長はスロットルを全開にして飛行機は上昇したものの、正面方向から飛行してきた763便に空中衝突することとなった。後述の航空事故番組『メーデー!:航空機事故の真実と真相』では、皮肉にももし1907便が上昇していなかったら、1907便は763便の直下を通り抜けられていた可能性があるとしている[より良い情報源が必要]

1907便のボイスレコーダーには、パイロットが地面に衝突する前にイスラム教のイスティグファルとシャハーダを唱えている様子が記録されていた[27][要出典]。航空管制官組合の弁護士は当日の気象報告を引用して乱気流の存在を否定した一方で、衝突は雲の中で発生したと述べた[25]。またこれは空中衝突を目撃したアメリカ空軍のC-141貨物便の機長、並びにその他乗組員の証言からも裏付けられた[20][28]

インディラ・ガンディー空港の設備的要因

事故を防げなかった要因として、インディラ・ガンディー国際空港のレーダー設備が挙げられた。事故当時インディラ・ガンディー空港のレーダーは旧式の一次レーダーであり、トランスポンダから発される信号を読み取ることができる二次レーダーは設置されていなかった。一次レーダーは距離と方位の測定値を生成することができたが、二次レーダーと異なり航空機の便名、高度などの追加情報は表示されなかった。

また、インディラ・ガンディー空港を発着する民間機は出発と到着の両方において同じ単一の飛行経路を共有する仕組みとなっていたことも遠因とされる。多くの空港は出発と到着において異なる飛行経路を用意しているが、1996年のニューデリーの空域は大部分がインド空軍によって占有されていたために、出発と到着が共通の飛行経路を用いていた[20]。この墜落を受けて事故調査報告書では以下の変更を勧告した[21]

  • 新たな飛行経路の設置による出発航空機と到着航空機の経路分離
  • 二次レーダーの設置
  • インド領空を飛行する民間航空機への航空機衝突防止装置(ACAS)の義務化
  • インド空軍が独占していたニューデリー上空の軍用空域の縮小

事故後

インドの民間航空総局は、インドを出入りするすべての航空機に航空機衝突防止装置(ACAS)の装備を義務付けた。すでに米国では空中衝突防止装置(TCAS)の装備が段階的に義務化されていたが、当事故をきっかけとして他国での装備義務化が進むこととなった[29]

2021年現在、事故の起きたチャルキ・ダドリ地区の行政は空中衝突の犠牲者の慰霊碑建設に向けて取り組みを進めている。犠牲者の名前などが載せられる予定で、同地区に建設予定の記念公園に設置される予定である。ハリヤーナ州政府からの承認を待っており、慰霊碑の設置にあたってインド民間航空省インド空港局、サウジアラビア大使館、カザフスタン大使館の参加を計画している[30]

この事故を扱った番組

ナショナルジオグラフィックチャンネルで放送された航空事故番組『メーデー!:航空機事故の真実と真相』の第6シーズン第4話「CRASH COURSE」がこの事故を扱っている。

  • この番組では、763便が空中分解する様子や1907便が左翼を失う場面などは描かれておらず、763便の左翼と1907便の左翼が衝突する再現CGとなっている。
  • 通信士の座席に独立した高度計が装備されておらず、操縦士席にある高度計を背中越しに見ているシーンや、空港の管制システムの古さゆえに、管制官が便名と高度の管理を鉛筆書きで行っていたシーンが描かれている。当時管制官が使用していた一次レーダーは航空機の高度がわからない旧式のものであった。二次レーダーは事故の2週間前に稼働する予定であったが、実際に導入されたのは2年後であった。
  • また、インディラ・ガンディー国際空港周辺の空域の大半をインド軍が占有しており、民間航空機の使用できる空域が限られていたため混雑していたことも事故の一因として描写している。

関連項目

脚注

  1. ^ Cooper, Kenneth J. (13 November 1996). “At Least 349 Are Killed in Collision”. The Washington Post. オリジナルの26 June 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130626103717/http://www.washingtonpost.com/wp-srv/inatl/longterm/flight801/stories/1996crash.htm 
  2. ^ Ashraf, Syed Firdaus. “Charkhi Dadri collision report expected this weekend”. Rediff (New Delhi). オリジナルの10 April 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140410180434/http://www.rediff.com/news/mar/11air.htm 
  3. ^ India air safety profile”. Aviation Safety Network. 10 April 2014閲覧。
  4. ^ Burns, John F. (13 November 1996). “Two Airliners Collide in Midair, Killing All 351 Aboard in India”. The New York Times. オリジナルの6 March 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140306143403/http://www.nytimes.com/1996/11/13/world/two-airliners-collide-in-midair-killing-all-351-aboard-in-india.html?pagewanted=print&src=pm 
  5. ^ Kingsley-Jones, Max; Learmount, David (20 September 1996). “Collision raises doubts on ATC routeings”. Flight International. Flightglobal. オリジナルの1 January 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150101143223/http://www.flightglobal.com/news/articles/collision-raises-doubts-on-atc-routeings-10013/  
  6. ^ a b Civil aviation aircraft accident summary for the year 1996”. Directorate General of Civil Aviation. 3 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月13日閲覧。 
  7. ^ a b Burns, John F. (14 November 1996). “Indian Officials Gather Evidence on Midair Collision”. The New York Times. オリジナルの3 January 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150103165051/http://www.nytimes.com/1996/11/14/world/indian-officials-gather-evidence-on-midair-collision.html?pagewanted=print&src=pm  
  8. ^ a b Burns, John F. (13 November 1996). “Two Airliners Collide in Midair, Killing All 351 Aboard in India”. The New York Times. オリジナルの6 March 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140306143403/http://www.nytimes.com/1996/11/13/world/two-airliners-collide-in-midair-killing-all-351-aboard-in-india.html?pagewanted=print&src=pm 
  9. ^ a b “Pilot error focus of India collision investigation”. New Delhi: CNN. (14 November 1996). オリジナルの28 January 2000時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20000128142927/http://cnn.com/WORLD/9611/14/india/index.html 
  10. ^ Burns, John F. (5 May 1997). “One Jet in Crash Over India Ruled Off Course”. The New York Times. オリジナルの3 March 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180303160858/http://www.nytimes.com/1997/05/05/world/one-jet-in-crash-over-india-ruled-off-course.html 
  11. ^ Kingsley-Jones, Max; Learmount, David (20 September 1996). “Collision raises doubts on ATC routeings”. Flight International. Flightglobal. オリジナルの1 January 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150101143223/http://www.flightglobal.com/news/articles/collision-raises-doubts-on-atc-routeings-10013/  
  12. ^ a b Lahoti. “Report of Court of Inquiry on Mid-Air Collision Between Saudi Arabian Boeing 747 and Kazakhstan IL-76 on 12th November, 1996 Near Delhi – India (Charkhi-Dadri, Haryana)”. Directorate General of Civil Aviation, Ministry of Civil Aviation. 25 May 2020閲覧。
  13. ^ Kazakhstan Airlines Flight 1907の事故詳細 - Aviation Safety Network
  14. ^ a b Lahoti. “Report of Court of Inquiry on Mid-Air Collision Between Saudi Arabian Boeing 747 and Kazakhstan IL-76 on 12th November, 1996 Near Delhi – India (Charkhi-Dadri, Haryana)”. Directorate General of Civil Aviation, Ministry of Civil Aviation. 25 May 2020閲覧。
  15. ^ Lahoti. “Report of Court of Inquiry on Mid-Air Collision Between Saudi Arabian Boeing 747 and Kazakhstan IL-76 on 12th November, 1996 Near Delhi – India (Charkhi-Dadri, Haryana)”. Directorate General of Civil Aviation, Ministry of Civil Aviation. 25 May 2020閲覧。
  16. ^ a b Cloudberg, Admiral (1 February 2023). “God Grant Forgiveness: The story of the Charkhi Dadri Midair Collision”. 2023年5月13日閲覧。
  17. ^ Job, Macarthur (November–December 2006), “Mid-Air Disasters”, Flight Safety Australia: p. 42, オリジナルの30 October 2008時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20081030114427/http://www.casa.gov.au/fsa/2006/dec/42-44.pdf 10 September 2009閲覧。 
  18. ^ Bellamy, Christopher (13 November 1996). “Human error is blamed for crash”. The Independent. オリジナルの26 February 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140226013332/http://www.independent.co.uk/news/world/human-error-is-blamed-for-crash-1352080.html 
  19. ^ Civil aviation aircraft accident summary for the year 1996”. Directorate General of Civil Aviation. 3 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月13日閲覧。 
  20. ^ a b c Head On – AirCrash (TV documentary). Miditech. 2007年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  21. ^ a b c d Lahoti. “Report of Court of Inquiry on Mid-Air Collision Between Saudi Arabian Boeing 747 and Kazakhstan IL-76 on 12th November, 1996 Near Delhi – India (Charkhi-Dadri, Haryana)”. Directorate General of Civil Aviation, Ministry of Civil Aviation. 25 May 2020閲覧。
  22. ^ “Turbulence factor gains ground in Charkhi-Dadri crash probe”. The Indian Express. United News of India. (26 May 1997). オリジナルの25 May 2009時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090525101011/http://www.indianexpress.com/res/web/pIe/ie/daily/19970526/14650143.html 
  23. ^ a b Kazakh aircraft held responsible for Charkhi Dadri mishap”. rediff.com (1997年). 23 May 2020時点のオリジナルよりアーカイブ2023年5月13日閲覧。
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  26. ^ McGirk, Tim (14 November 1996). “THE INDIAN AIR CRASH: Tapes point blame at Kazakh pilot”. The Independent. オリジナルの1 May 2019時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190501173653/https://www.independent.co.uk/news/world/the-indian-air-crash-tapes-point-blame-at-kazakh-pilot-1352266.html 
  27. ^ Accident report”. baaa-acro.com (December 2020). 8 April 2023閲覧。
  28. ^ “Charkhi Dadri collision occurred in "heavy clouds": US pilot”. Rediff. オリジナルの11 October 1999時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/19991011103254/http://www.rediff.com/news/may/26air.htm 4 July 2006閲覧。 
  29. ^ History & future of airborne collision avoidance” (英語). Eurocontrol (2012年3月9日). 2018年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
  30. ^ Haryana's Charkhi Dadri plans a memorial for 1996 mid-air collision victims” (2021年3月4日). 21 July 2022閲覧。

外部リンク

座標: 北緯28度36分00秒 東経76度16分26秒 / 北緯28.6度 東経76.2739度 / 28.6; 76.2739

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U.S. cricket organization This article relies largely or entirely on a single source. Relevant discussion may be found on the talk page. Please help improve this article by introducing citations to additional sources.Find sources: Major League Cricket 2000 – news · newspapers · books · scholar · JSTOR (July 2023) For the current cricket competition sanctioned by USA Cricket, see Major League Cricket. Major League CricketSportCricketFounded2000Ceas...

 

 

This article is about the Mat Kearney song. For other songs, see Nothing Left to Lose. 2006 single by Mat KearneyNothing Left to LoseSingle by Mat Kearneyfrom the album Nothing Left to Lose ReleasedMay 2006Recorded2006GenrePop rock, soft rockLength4:24 (Album Version)3:55 (Radio Edit)LabelColumbiaSongwriter(s)Mat KearneyProducer(s)Robert MarvinMat KearneyMat Kearney singles chronology Nothing Left to Lose (2006) Undeniable (2007) Nothing Left to Lose is a song by American artist Mat Kearney. ...

For the sculptor, see Agustí Querol Subirats. Municipality in Catalonia, SpainQuerolMunicipalityQuerol castle Coat of armsQuerolLocation in CataloniaCoordinates: 41°25′34″N 1°23′56″E / 41.426°N 1.399°E / 41.426; 1.399Country SpainCommunity CataloniaProvince TarragonaComarcaAlt CampGovernment • MayorMiguel Uroz Mendioroz (2015)[1]Area[2] • Total72.3 km2 (27.9 sq mi)Elevation565 m (1,...

 

 

United States historic placeJefferson HallU.S. National Register of Historic Places Jefferson Hall, 1985Interactive mapLocation1404 East Jefferson Avenue,Detroit, MichiganCoordinates42°20′6″N 83°1′50″W / 42.33500°N 83.03056°W / 42.33500; -83.03056Built1916Architectural styleLate 19th And 20th Century RevivalsDemolishedc. 1990MPSEast Jefferson Avenue Residential TRNRHP reference No.85002939[1]Added to NRHPOctober 9, 1985 Jefferson Hall...

 

 

Questa voce sull'argomento contee dell'Indiana è solo un abbozzo. Contribuisci a migliorarla secondo le convenzioni di Wikipedia. Contea di DaviessconteaLocalizzazioneStato Stati Uniti Stato federato Indiana AmministrazioneCapoluogoWashington Data di istituzione1816 TerritorioCoordinatedel capoluogo38°42′00″N 87°04′48″W38°42′00″N, 87°04′48″W (Contea di Daviess) Superficie1 131 km² Abitanti29 820 (2000) Densità26,37 ab./km² Altre informaz...

Pressure of a component gas in a mixture The atmospheric pressure is roughly equal to the sum of partial pressures of constituent gases – oxygen, nitrogen, argon, water vapor, carbon dioxide, etc. In a mixture of gases, each constituent gas has a partial pressure which is the notional pressure of that constituent gas as if it alone occupied the entire volume of the original mixture at the same temperature.[1] The total pressure of an ideal gas mixture is the sum of the partial press...

 

 

Annual telethon held in Perth, Western Australia Channel Seven Perth TelethonChannel Seven Perth Telethon logoAlso known asTelethonCreated by James Cruthers Brian Treasure Presented by Basil Zempilas (2010–present) Jeff Newman (1968–2009) Country of originAustraliaOriginal languageEnglishNo. of episodes56ProductionProduction locations TVW Studios Dianella (1968–2004) Perth Convention & Exhibition Centre (2005–2019) Crown Perth (2020–2021) Perth Stadium (2021) Perth Arena (2022�...

 

 

Andrew J. FeustelLahir25 Agustus 1965 (umur 58)Lancaster, Pennsylvania, Amerika SerikatStatusAktifKebangsaanAmerika Serikat/KanadaNama lainAndrew Jay FeustelAlmamaterOakland Community College, A.S. 1985Purdue University, B.S. 1989, M.S. 1991Queen's University, Ph.D. 1995PekerjaanGeofisikawanKarier luar angkasaAntariksawan NASAWaktu di luar angkasa225 hari 9 jam 15 menitSeleksi2000 NASA GroupTotal EVA9Total waktu EVA61 jam, 48 menit[1][2]MisiSTS-125, STS-134, Soyuz M...

Wrestling at the Olympics Wrestlingat the Games of the I OlympiadWrestling pictogramVenuePanathinaiko StadiumDates10–11 April 1896No. of events1 (1 men, 0 women)Competitors5 from 4 nations1904 → Wrestling at the1896 Summer OlympicsGreco-Romanmenvte At the 1896 Summer Olympics, one wrestling event was contested. It was organized and prepared by the Sub-Committee for Wrestling and Gymnastics. Five competitors from four nations competed. Medal summary These medals are retr...

 

 

2020年夏季奥林匹克运动会立陶宛代表團立陶宛国旗IOC編碼LTUNOC立陶宛國家奧林匹克委員會網站www.ltok.lt(立陶宛文)2020年夏季奥林匹克运动会(東京)2021年7月23日至8月8日(受2019冠状病毒病疫情影响推迟,但仍保留原定名称)運動員42參賽項目12个大项旗手开幕式:吉爾德里斯·蒂特尼斯(游泳)和桑德拉·亚布隆斯凯特(柔道)[1]閉幕式:尤斯蒂纳斯·金德里斯(現�...