ディノ・デ・ラウレンティス(Dino De Laurentiis, 1919年8月8日 - 2010年11月11日[1])は、イタリア出身の映画プロデューサー。ディーノ・デ・ラウレンティスの表記もある。本名はアゴスティーノ・デ・ラウレンティス(Agostino De Laurentiis)。
略歴
ローマで映画製作を学んだが、第二次世界大戦勃発により中断。1940年の『L'ultimo Combattimento』より150本以上の映画のプロデュースを手掛けている。インディペンデントのプロデューサーとしてはカルロ・ポンティとともに業界最高峰の人物で、生きる神話の一人とも呼ばれた。
1957年、『道』でアカデミー外国語映画賞(第29回)を受賞[2]。
1962年(昭和37年)3月に来日している。
2001年、第73回アカデミー賞でアービング・G・タルバーグ賞を受賞[3]。
2010年11月11日、ロサンゼルスで死去。91歳没[1]。
私生活
1949年にイタリアの女優シルヴァーナ・マンガーノと結婚。4人の子供をもうける(次女は映画プロデューサーのラファエラ・デ・ラウレンティス)が、1989年に死別。最後の妻は映画プロデューサーで40歳近く年下のマーサ・シューマッカーで、2人の子供がいる。
主なプロデュース作品
脚注
- ^ a b “ディノ・デラウレンティス氏死去 映画プロデューサー”. 47NEWS. 共同通信. (2010年11月11日). オリジナルの2011年12月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111222143159/https://www.47news.jp/CN/201011/CN2010111101001050.html 2020年7月16日閲覧。
- ^ “THE 29TH ACADEMY AWARDS / 1957” (英語). Oscars.org. AMPAS. 2024年3月21日閲覧。
- ^ “THE 73RD ACADEMY AWARDS / 2001” (英語). Oscars.org. AMPAS. 2024年3月21日閲覧。
外部リンク