ティベリア (Tiberias・ヘブライ語 : טְבֶרְיָה, Tverya・アラビア語 : طبرية Ṭ abariyyah)は、ガリラヤ湖 (別名、ティベリアス湖 )の北西岸に位置するイスラエル の都市。都市の名はローマ皇帝 ティベリウス に因んで名付けられた[ 1] 。
ギリシア語 ・ラテン語 ではティベリアス(Τιβεριάς 、Tiberias)といい、『新約聖書 』ヨハネによる福音書 6:23に現れるが、文語訳 ・口語訳聖書 でテベリヤ 、共同訳 ・新共同訳聖書 でティベリアス と訳されている。
歴史
古代
ティベリアは紀元20年 頃、ヘロデ大王 の子ヘロデ・アンティパス により、破壊された村の跡地に建設され、ガリラヤ地方の首都となった。アンティパスの後見人であったローマ皇帝、ティベリウスに因んでティベリアと名付けられた。
ヘロデ大王の時代までユダヤ人 は、そこに墓地があり、宗教上「不浄」であるとして居住することを拒んでいた。しかし、アンティパスがガリラヤ地方内から人々を強制的に移住させ、自分の建てた首都の人口を増やそうとした。当時のユダヤ人の最高決定機関サンヘドリン はエルサレム神殿 の崩壊した紀元70年 以降、エルサレム から拠点を何回か変え、ティベリアが最終的な所在地になった。サンヘドリンがビザンツ時代初期に解散する直前まで、会合はティベリアで行われた。紀元135年 に全てのユダヤ人がエルサレムから追放されると、ティベリアはユダヤ文化の中心地となった。ユダヤ教 の重要な文献ミシュナー 、タルムード もティベリアで書かれた。
紀元613年 、アラブ人 がパレスチナを征服すると、ウマイヤ朝 のカリフ はティベリアのユダヤ人約70 家族に、エルサレムに再定住することを許した。カリフはまた、ティベリアに宮殿を建設した。
中世
ビザンチン帝国、アラブの支配の下、ティベリアは中世 の間に発生した戦争や地震により衰退、荒廃していった。都市の衰退に反し、ユダヤ教のマソラ 学者集団は8世紀 初頭から10世紀 の間に最盛期を迎えた。ティベリアのマソラ学者達は、その後全世界のユダヤ人の間で使用されるようになる、ヘブライ語 の母音記号「ニクダー 」を生み出した。ティベリアのマソラ学派の最高峰の学者はアーロン・ベン・モシェ・ベン・アシェル で、後にティベリア式 として知られるようになるヘブライ語の母音体系は、彼によって完成された。ベン・モシェ・ベン・アシェルらの学者の活動により、ティベリアが中世の間、ユダヤ文化の中心地となった。
十字軍 の時代には、ティベリアはエルサレム王国 のガリラヤ地域の中心都市となり、しばしばガリラヤ地域は「ティベリア公国」(the Principality of Tiberias)などと呼ばれた。1187年、サラディン がエルサレム王国に侵攻、その年の10月にティベリア近郊のハッティンの戦い で十字軍を撃破した。この頃、それまでのティベリアの市外区域が放棄され、居住区域がそれまでより北よりの、今日と同じ区域に移動した。
コルドバ 出身の著名なラビ 、哲学者 のモーシェ・ベン=マイモーン (マイモニデス)は、1204年にティベリアで死去し、この地に葬られた。彼の墓は今日でもティベリアの重要な史跡の一つとなっている。
近・現代
1558年、ポルトガル のグラシア・メンデス・ナスィ (ドナ ・グラシア)というマラーノ (改宗したユダヤ人)の篤志家が、オスマン帝国 のスレイマン1世 からティベリアの土地を賃借し、城壁の再建、イェシーバー (ユダヤ教学院)の設立を行い、異端審問 から逃れてきたセファルディム を住まわせた(メンデス家は金融業界の名門で、オスマン帝国にも影響力を持っていた)。ティベリアはその後100年間程、再び繁栄するがまた荒廃し、その後はハシディズム 系のユダヤ人達が定住するようになる。
1746年、イタリア 、パドヴァ のカバラ 主義のラビモーゼス・ハイム・ルッツァット は、アッコ でペスト により死去し、ティベリアのアキバ・ベン・ヨセフ の墓の隣に葬られた。
18世紀 から19世紀 に間、ティベリアに多くのラビ が移住してユダヤ教育の中心地となり、エルサレム、ヘブロン 、ツファット と並び、ユダヤ教における「4聖地」の一つとされた。
1938年にはアラブ人により、20人ものユダヤ人が殺害されるなど[ 2] 、アラブ人による反ユダヤテロがティベリアでも発生し、1948年にも9人のユダヤ人が犠牲になり、攻撃を恐れた多くのユダヤ人がティベリアを離れた[ 3] 。
1948年、アラブ人とユダヤ人の間の戦闘が激化し、ユダヤ人軍事組織ハガナー はティベリアとその周辺の村々を攻略、アラブ系住民は何らかの理由により退去した。その結果、それまではアラブ系とユダヤ系の住民が混在していたティベリアは、完全にユダヤ人の都市になった[ 4] 。
今日では、ティベリアはイスラエル北部におけるリゾート地として、人気の都市になっている。
2004年10月、イスラエルの各派のラビ達がティベリアに集まり、サンヘドリンを再建したと発表して式典 を催し[ 5] 、議論を呼んでいる。
名所旧跡
Hamei Tveriya温泉
など。
姉妹都市
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ティベリア に関連するカテゴリがあります。
脚注