世界初の職業映画監督と言われるジョルジュ・メリエスの1897年の映画『舞踏会のあとの入浴』(Après le bal-le tub) において、既にヌードシーンは見られる。(厳密には肌色の肉襦袢を着用しているため、ヌードではない。)黎明期のサイレント時代にも、ヌードを呼び物とする映画は複数存在した(ただし、その後規制が厳しくなったため、該当箇所がカットされたり、作品そのものが抹消されたりと、現存している物は少ないため、その当時の映画におけるヌードの取り扱いについては現在では検証が難しくその全貌はつまびらかにはなっていない)。
1960年代後期に、アメリカのわいせつ法はスウェーデンの映画『私は好奇心の強い女 』 (I Am Curious (Yellow) - Jag är nyfiken - gul) によって試された。米国最高裁判所は、映画の持つ教育的な背景に基づき許可の判決を下した。そのため1960年代後期と1970年代初期には「白衣の人」 (white coaters) と広く呼ばれたいくつかのセクスプロイテーション映画が見られた。これらの映画では、白衣を着た医者が映画の内容の紹介をすることにより、教育的であるという意味合いを持たせたのである。法律が緩和されるまで、『愛の言葉』 (Kärlekens språk) や、その他のスウェーデン映画とアメリカ映画はこの方法を利用した[4]。