スージー・クアトロ (Suzi Quatro, 出生名:スーザン・ケイ・クアトロッチオ Susan Kay Quatrocchio, 1950年 6月3日 - )は、アメリカ合衆国 出身イギリス 在住の女性ロック ミュージシャン 、シンガーソングライター 、ベーシスト 、ラジオDJ 、女優 。
60年以上のキャリアを持つ、女性ロック界の先駆者[ 1] 。女性がエレキ弦楽器 を奏でながらハードロック をプレイし、ガールズバンド も率いた草分け的存在として音楽界に大きな足跡を残した。
経歴
ガールズバンド時代(1964年 - 1971年)
プレジャー・シーカーズ時代、左からパティ・クアトロ、アーリーン・クアトロ、アイリーン・ビドリングマイヤー、ダーリン・アーノン、スージー・クアトロ(1966年)
ミュージシャンだった父アート・クアトロッチオはイタリア系であり、母ヘレン・レベルはハンガリー系であった。8歳の頃、父親が率いるグループ「アート・クアトロ・トリオ」に参加[ 2] 。
1964年 からキャリアを本格スタートし、スージー・ソウルの芸名で姉パティ(1948年生まれ)らとガールズバンド「ザ・プレジャー・シーカーズ 」(The Pleasure Seekers) を結成(後にもう一人の姉アーリーン(1941年生まれ)と妹のナンシー(1953年生まれ)も加入)。地元デトロイトを拠点に、MC5 やジェファーソン・エアプレイン らとアメリカ各地をツアーで回った[ 3] 。この頃にまだ駆け出しのテッド・ニュージェント やボブ・シーガー といった、同郷のロックミュージシャンとも交流を深めている。
1969年 に「クレイドル」(Cradle) と改名し、ベトナムなど海外ツアーも行った[ 3] 。1970年 6月にデトロイトで歌っている際、ジェフ・ベック のモータウン・スタジオでのレコーディングのために同地に来ていた音楽プロデューサーのミッキー・モスト によって高い評価を受け、1971年 末にモストを頼ってイギリス に渡った。
ソロに転向(1972年 - 1981年)
オランダTV出演時(1973年12月)
1972年 7月、モスト自身のレーベル・RAKレコードから、ソロ名義のファースト・シングル「Rolling Stone」を発表。フォークソング調の曲で、ポルトガルではチャート1位となった[ 4] が、他国ではさほど売れなかった。
1973年 に入ってからハードロック路線へのイメージチェンジのため、作曲チームにニッキー・チンとマイク・チャップマン を迎え、芸名もSuzie QuatroからSuzi Quatroに変えた。セカンドシングルの「キャン・ザ・キャン」は、イギリスを含むヨーロッパ 及びオーストラリア でナンバーワン・ヒットを記録した[ 5] 。続いてリリースされた「48クラッシュ」(1973年、UKチャート3位)、「デイトナ・デモン」(1973年、UKチャート14位)も大ヒットし、この年のイギリスBest Selling Artist/Female/Singleにて第1位となった。
1974年 にも「悪魔とドライブ」(UKチャート1位)[ 5] 、「トゥ・ビッグ」(UKチャート14位)、「ワイルド・ワン」(UKチャート7位)が英国で大ヒットした。彼女のファースト及びセカンド・アルバムは、ヨーロッパとオーストラリアで大成功を収めた。日本でも1970年代 の終わりまで大きく支持され、1974年から1978年まで5年連続で日本公演を行なった[ 3] 。1977年 には、大都市だけではなく中都市も回る大規模な日本ツアーを成功させ、関連したライブアルバムも発表している。
しかしながら母国のアメリカにおいては、1970年代中頃にアリス・クーパー と共にツアーを行うなどの努力をしたにもかかわらず、それほどヒットしなかった。1975年 以降、彼女のヘビーで妖しい魅力を伴ったスタイルは受け入れられなくなっていき、人気は1978年 まで好転しなかった。同年に「涙のヤング・ラヴ」("If You Can't Give Me Love") がリリースされると、同作はイギリスとオーストラリアでトップ10ヒットを記録[ 5] 。アメリカでは引き続いて成功はしなかったが、1979年 にスモーキー (Smokie ) のクリス・ノーマンと共に「メロウな二人」("Stumblin' In") をRSOレコードからリリースすると、同作は4位とアメリカで初の大ヒットを記録。しかしこの成功は短期間のものであった。彼女の最後の(オーストラリアでのみの)ヒットは1981年 前半にリリースされた「ロック・ハード」("Rock Hard") であった。
女優業にも進出〜以降(1982年 - 現在)
オーストラリア・キャンベラ公演(2007年9月)
スージー・クアトロ・バンド(2017年8月)
1980年代 に入ると女優業にも本格進出し、主にテレビドラマ やミュージカル の分野で活躍した。1986年、『アニーよ銃をとれ 』ロンドン公演でアニー・オークレイ 役を演じた[ 6] 。
1987年 、日本のロックバンドBOØWY のシングル曲「Marionette」のB面曲として「THE WILD ONE」を、BOØWYのボーカリスト氷室京介 とデュエットしたバージョンを発表。これは同時にレコーディングしたものではなく、日本で録音したオケをイギリスに送りクアトロに歌わせ、その後日本に送り返しミキシングするという手法で制作した。
その後は音楽活動を縮小していたが、BBC のラジオパーソナリティ に就いた2000年代 からまた活発化した。2006年 2月、約10年ぶりのアルバム『Back To The Drive』を、スウィート のギタリスト アンディー・スコットのプロデュースでリリース。アルバムのタイトル・トラックは、往年のパートナーだったマイク・チャップマンが提供した。
2009年 、BBCが選ぶ『Queens of British Pop』12人のうちのひとりに選出された[ 7] 。
2010年 - 2011年 、かつて姉たちと共に率いていたプレジャー・シーカーズやクレイドルのコンピレーションをリリース。故郷ミシガン州 が創設した『ロックンロールの殿堂』入り。
2014年 、音楽活動50周年を記念したボックスセット『The Girl from Detroit City』をリリース。同年と翌2015年 に、20年ぶりの日本公演を開催[ 8] [ 9] 。
2016年 、長年の音楽に対する貢献を讃えられ、アングリア・ラスキン大学 より名誉博士号を授与された。
2017年 、アンディ・スコット(スウィート)、ドン・パウエル(スレイド )の元グラムロック プレイヤーと共作したアルバムを発表[ 10] 。
2019年 、8年ぶりのソロアルバム『永劫の女王』(No Control ) をリリース[ 11] 。秋には自身の活動史を描いたドキュメンタリー映画『スージーQ』が公開され、日本でも2022年に公開された[ 12] 。
2021年 、ソロアルバム『スージーの心奥』 (The Devil In Me ) をリリース。前作から2年と早いスパンで発表された[ 13] 。翌2022年 には、1970年代 の音源を網羅したボックスセットを発売[ 14] 。
人物
トレードマークのレザー・ジェットスーツ(2017年8月)
長年バック・ギタリストを務めていたレン・タッキーと1978年 に結婚し、日本で挙式した[ 15] が、1992年に離婚した。1993年にドイツの興行プロモーターと再婚。タッキーとの間にはローラ(1982年生)およびリチャード(1984年生)の2人の子があり、2019年以降のアルバム『永劫の女王』と『スージーの心奥』(Devil In Me ) は、息子リチャードと共同で制作した[ 13] 。
兄姉にはプレジャー・シーカーズを組んだ姉達(アーリーン、パティ)と妹のナンシーのほか、兄にキーボーディストのマイク・クアトロ (マイケル・クアトロ)がいる。女優のシェリリン・フェン は姉のアーリーンの娘で姪にあたる。
ソロデビュー以来、衣裳はレザーのジャンプスーツを着用している。
2012年4月、ウクライナ ・キエフ の空港で転び右膝と左手首を骨折した過去がある[ 16] [ 17] [ 18] 。
使用機材
2000年代 以降ではフェンダー・ジャズベース を中心に、ステイタス・グラファイト「S2」も使用している。過去にはフェンダー・テレキャスターベースや、ギブソン のEB2・レスポールベース ・グラバー・サンダーバード ・リッパーの各モデル、Jaydee Custom GuitarのSupernatural、B.C.リッチ の変形モデルなどを扱う場合もあった。
ディスコグラフィ
()内はリリース時の邦題
アルバム
1973年 Suzi Quatro (サディスティック・ロックの女王)
1974年 Quatro (陶酔のアイドル)
1975年 Your Mama Won't Like Me (ママに捧げるロック)
1977年 Aggro Phobia (クアトロ白書)
1978年 If You Knew Suzi (スージーからの伝言)
1979年 Suzi...And Other Four Letter Words (フォー・レター・ワーズの秘密)
1980年 Rock Hard (ロック・ハード)
1982年 Main Attraction (メイン・アトラクション)
1993年 OH,Suzi Q (OH、スージーQ)
1996年 What Goes Around
2006年 Back To The Drive
2011年 In the Spotlight
2019年 No Control (永劫の女王)
2021年 The Devil In Me (スージーの心奥)
【連名作品】
2017年 スージー・クアトロ、アンディ・スコット & ドン・パウエル - Quatro, Scott & Powell
2023年 スージー・クアトロ & KTタンストール - Face To Face
【プレジャー・シーカーズ / クレイドル名義】
2010年 The History (クレイドル)
2011年 What a Way to Die (プレジャー・シーカーズ)
主なシングル
1973年 "Rolling Stone" / "Brain Confusion?"
1973年 "Can The Can"(キャン・ザ・キャン)/ "Ain't Ya Somethin' Honey?"
1973年 "48 Crash"(48クラッシュ)/ "Little Bitch Blue?"
1973年 "Daytona Demon"(デイトナ・デモン)/ "Roman Fingers"
1974年 "Devil Gate Drive"(悪魔とドライヴ)/ "In the Morning!!"
1974年 "The Wild One"(ワイルド・ワン)/ "Shake My Sugar?"
1974年 "Too Big"(トゥ・ビッグ)/ "I Wanna Be Free!!"
1975年 "Your Mama Won't Like Me"(ママのファンキー・ロックン・ロール)/ "Peter, Peter!!"
1975年 "I Bit Off More Than I Could Chew"(ビット・オフ)/ "Red Hot Rosie?"
1975年 "I May Be Too Young"(恋するヤング・ガール)/ "Don´t Mess Around"
1976年 "Make Me Smile"(やさしくスマイル)/ "Same As I Do"
1976年 "Harf As Much As Me"(スリルがいっぱい)/ "American Lady"
1977年 "Roxy Roller"(ロキシー・ローラー(サケ・ロック))/ "It'll Grow On You"
1977年 "Tear Me Apart"(恋はドッキリ)/ "Close Enough To Rock'n'Roll"
1978年 "If You Can't Give Me Love"(涙のヤング・ラヴ)/ "Cream Dream"
1979年 "She's In Love With You"(愛のゲーム)/ "Space Cadets"
1979年 "Stumblin' In"(メロウなふたり)/ "A Stranger To Paradise"
1980年 "Mama's Boy"(ママズ・ボーイ)/ "Mind Demons"
1980年 "I've Never Been In Love"(ネバー・ラヴ)/ "Starlight Lady"
1980年 "Rock Hard"(ロック・ハード)/ "State Of Mind"
出演
テレビドラマ
『ハッピーデイズ 』(1977年 - 1979年)- レザー・トスカデロ 役
Minder (1982年)
Dempsey and Makepeace (1985年)
『アブソリュートリー・ファビュラス 』(1994年)
Countdown (1997年)
Rock School (2006年)
Trust Me – I'm a Beauty Therapist (2006年)
バーナビー警部 (2007年)
オーストラリアンアイドル (2009年)
RocKwiz (2011年)
Spicks and Specks (2014年)
映画
スージーQ(2019年10月公開、イギリス) - ドキュメンタリー
声優
日本公演
ほか多数
関連項目
アテンションプリーズ - 2006年4月期にフジテレビ系列 で放送された連続ドラマ。上戸彩 演じる主人公がアマチュアバンドを結成していた際、スージー・クアトロをリスペクトしていた設定。第1話冒頭で上戸が「ワイルド・ワン」を歌唱するシーンがある。
大関 - 1978年、「サケロック大関」のテレビCMに出演していた。
脚注
外部リンク