アニーよ銃をとれ(あにーよじゅうをとれ、Annie get your gun)は、アメリカ合衆国のブロードウェイ・ミュージカル作品、またそれを映画化した作品、および日本でテレビ放送されたアメリカ製西部劇である。作詞作曲はアーヴィング・バーリン、脚本はドロシー・フィールズおよび兄のハーバート・フィールズ。
ドロシー・フィールズは友人のエセル・マーマンのためにアニー・オークレイについてのミュージカルを思いついた。プロデューサーのマイク・トッドに却下されたため、フィールズは新しいプロデューサー・チームのリチャード・ロジャース 、オスカー・ハマースタイン2世に依頼した。ロジャース&ハマースタインはミュージカル・コラボレート第1作「オクラホマ!」がヒットし、自身の舞台事業および他の作家のプロデュースをしていく決心をしていた[4]。オークレイに関するミュージカルのプロデュースに同意し、ジェローム・カーンが作曲、フィールズが作詞、フィールズと兄のハーバートが脚本を執筆することとなった[4]。カーンはハリウッドでミュージカル映画の作曲をしており、1945年11月2日、「アニーよ銃をとれ」の作曲を始めるためニューヨークに戻ったが、3日後、脳出血で道路で倒れてしまった[5]。入院したが、1945年11月11日に亡くなった[6]。その後、ロジャース&ハマースタインとフィールズはアーヴィング・バーリンに作曲を依頼した。フィールズはバーリンが作詞と作曲の両方をこなすことを好むことを知っていたため、作詞を辞退した[7]。当初、バーリンは場面によって合う曲を作れるか不安で作曲を断った[7]。ハマースタインは本読みをしてそれを基にいくつか作曲してみるようバーリンを説得し、数日後バーリンは「"Doin' What Comes Naturally"」、「"You Can't Get a Man With a Gun"」、「ショウほど素敵な商売はない」を披露した[8]。バーリンの曲は物語だけでなくマーマンの資質にも合い、残りの曲も作曲することとなった[7][9]。のちのヒット曲となる「ショウほど素敵な商売はない」はロジャースの好みではなかったとバーリンが誤解したためあやうく却下するところであった[10]。「オクラホマ!」の構成を模倣し、ワイルド・ウエスト・ショーの他のメンバーの恋愛も織り込むこととなった[11]。
1999年の再演において、ピーター・ストーンが「"Colonel Buffalo Bill"」や「"I'm An Indian Too"」などインディアンに関する曲が配慮に欠けるとして削除するなど脚本を改正した[12]。ストーンは製作者たちの子孫に許可を取り変更した[13]。構成も変更し、「ショウほど素敵な商売はない」で始まり、劇中劇の形式を採用した[11]。
あらすじ
第1幕
バッファロー・ビルのワイルド・ウエスト・ショーが巡業でオハイオ州シンシナティを訪れ("Colonel Buffalo Bill")、二枚目で女好きのスターであるフランク・バトラーは地元の挑戦者と射撃の腕を競っている("I'm a Bad, Bad, Man")。地元のホテルのオーナーであるフォスター・ウィルソンはショーがホテルを私物化することに不満があり、フランクはウィルソンのために非公式に100ドルを賭ける。アニー・オークレイがやってきて、ドリー・テイトの帽子に載った鳥を撃ち落とし、僻地に済むきょうだいを助けたいとウィルソンに語る("Doin' What Comes Natur'lly")。アニーの射撃技術を見込み、フランク・バトラーと対戦させる。
対戦を待つ間、アニーはフランクと会い、対戦相手とは知らずに一目ぼれする。アニーはフランクに自分のことをどう思うか聞くと、サテンの服にコロンの香りのする女性が好きだと語る("The Girl That I Marry")。垢抜けずうぶなアニーは「銃を持っていると男性は寄ってこない」とコミカルに嘆く("You Can't Get a Man with a Gun")。対戦となり、アニーはフランクがワイルド・ウエスト・ショーのスターであると知る。アニーが勝ち、バッファロー・ビルとショーのマネージャーのチャーリー・デヴンポートはアニーをワイルド・ウエスト・ショーにスカウトする。アニーはショー・ビジネスがどんなものなのかも知らずにフランクのそばにいられるためショーへの参加に同意する。フランク、チャーリー、バッファロー・ビルは「ショウほど素敵な商売はない」と語る。
時間を共にするようになり、フランクは率直で正直なお転婆のアニーに惹かれるようになり、ミネソタ州ミネアポリスへ向かう汽車の中、フランクはアニーに愛について語る("They Say It's Wonderful")。バッファロー・ビルとチャーリーはライバルのパウニー・ビルのファー・イースト・ショーが近くのセントポールで公演をすることを知る。2人はパウニーのショーと差をつけるためアニーにバイクに乗ったスペシャルな射撃を披露するよう依頼する。アニーはフランクを驚かせようとこれに同意する。アニーはきょうだいたちにおやすみのララバイを歌う("Moonshine Lullaby")。
アニーとフランクがショーの準備をしている時、フランクはショーが終わったらアニーにプロポーズをする決心をするが、気のゆるみを見せてしまったことを後悔する("My Defenses Are Down")。アニーは射撃に成功しスターとなり、シッティング・ブルはスー族の仲間と認める("I'm An Indian Too")。嫉妬で傷つき怒ったフランクはアニーを置いて出ていき、ライバルであるパウニーのショーに参加する。
第2幕
ショーのヨーロッパ・ツアー公演からニューヨークに戻ったアニーはショーが破産寸前であることを知る。シッティング・ブル、チャーリー、バッファロー・ビルはパウニーのショーと合併すれば経済的危機を脱することができると信じている。おしゃれに洗練され成長したアニーだが、まだフランクを忘れられずにいる("I Got Lost in His Arms")。
ホテル・ブリボートにてバッファロー・ビルたちの祝賀会が行なわれる。パウニー、ドリー、フランクもバッファロー・ビルのヨーロッパ・ツアーでの成功を聞き、合併を企てている。バッファロー・ビルたち、パウニーたちが揃い、どちらも破産の危機であることを知る。アニーはヨーロッパの首長らから数々のメダルを受け取っており、その価値が10万ドルとなることを知り、メダルを売って合併に役立てる決心をする("I Got the Sun in the Mornin'")。フランクがやってきて、互いに愛を告白して結婚の約束をするが、フランクは小さな教会で式を挙げたい、アニーは大きな教会でブライズメイドやフラワーガール、燕尾服のエスコート、複数のカメラマンや報道陣を招いた豪華な結婚式を挙げたいと意見が相違する("An Old-Fashioned Wedding"o)。アニーがメダルをフランクに見せると、フランクはまたプライドが傷つけられる。合併も結婚式も中止にし、どちらの腕前が上か最後の射撃対戦をする。
"There's No Business Like Show Business" ショウほど素敵な商売はない (Reprise) — アンサンブル
Notes
§: 1950年の映画版では削除
"Let's Go West Again"は1950年の映画版のためにバーリンが作曲したが、使用されなかった。しかしベティ・ハットンとジュディ・ガーランドの録音が残っている。
"Take It in Your Stride"はオリジナル公演でアニーのソロ曲であったが、マーマンには歌唱が困難であったため"There's No Business Like Show Business"のリプライスに置き換えられた。"Take It in Your Stride"はリズ・ラーマンのアルバムLost in Bostonに録音が残っている。
1966年、ブロードウェイにあるリンカーン・センターのミュージック・シアターにてブロードウェイ再演が行なわれた。5月31日に開幕、7月9日に閉幕し、10週間の全米ツアー公演へと続いた。9月21日、ブロードウェイにあるブロードウェイ・シアターに戻り、78回上演された。アニー役はオリジナル・キャストのエセル・マーマン、フランク役はブルース・ヤーネル、ドリー役はベネイ・ヴェナッタ、チャールズ役はジェリー・オーバックが演じた。脚本や楽曲は改訂された。楽曲「"I'll Share it All With You"」、「"Who Do You Love, I Hope?"」を含むトミーとウィニーの恋愛は完全に削除された。「"An Old-Fashioned Wedding"」は再演のために作曲、第2幕に追加された[17]:305。この版は許可申請によりアマチュアによる上演も可能である。1967年3月19日、NBCにて90分間の短縮版がテレビ放送された。1960年代でリンカーン・センター唯一の再演ミュージカル作品となった。
1976年、メキシコシティにてスペイン語版「Annie es un tiro」が上演された。Teatro HidalgoにてJosé Luis Ibáñezが演出し、メキシコの映画スターSilvia Pinalが主演し、俳優および歌手のManuel López Ochoaが共演した。好評につきスペイン語版サウンドトラックが製作された[24]。
1986年、チチェスター・フェスティバル劇場において、デイヴィッド・ギルモア演出、アニー役をアメリカのロックスターであるスージー・クアトロ、フランク役をエリック・フリンが演じて上演された[29][30]。プリマスのシアター・ロイヤルに移動し[30]、その後7月29日から10月4日までロンドンのウエスト・エンドにあるオールドウィッチ・シアターで上演された[31]。キャスト・レコーディングによるアルバム「’’Annie Get Your Gun - 1986 London Cast」がリリースされ[32]、クアトロの歌う「"I Got Lost in His Arms"/"You Can't Get a Man with a Gun"」がシングルとしてリリースされた[30]。「"I Got Lost in His Arms" 」がコンピレーションアルバム「The Divas Collection Since then "I Got Lost in His Arms" has also been included in the compilation albums The Divas Collection (2003)[33]」(2003年)および「Songs from the Greatest Musicals[34]」(2008年)に収録された。
ピーター・ストーンにより脚本が改訂され、新たな編曲が施され、巡業サーカスのような大テントの舞台装置で劇中劇を取り入れた。フランクが1人で舞台に立ち、「ショウほど素敵な商売はない」に合わせてバッファロー・ビルが主な登場人物を紹介し、アニーがワイルド・ウエスト・ショーの巡業への参加に同意するとリプライズされる。「"Colonel Buffalo Bill"」、「 "I'm A Bad, Bad Man"」、「"I'm an Indian Too"」など複数の曲が削除されたが、「"An Old-Fashioned Wedding"」が追加された。ボールルームのシーンなど、いくつかダンス曲が追加された[37]。1966年再演に削除されたわき筋であるウィニーとネイティブアメリカンの血筋を汲むトミーとの恋愛が復活された。1946年版ではウィニーはドリーの娘であったが、1966年版および1999年版ではドリーの妹となった。この版ではアニーとフランクの最後の射撃対戦では引き分けになる[38]。
^A number of Internet sources claim that the musical is based on Walter Havighurst's book Annie Oakley of the Wild West, but the book was written in 1954, eight years after the musical was first produced.
^ abcDietz, Dan (2014). The Complete Book of 1950s Broadway Musicals (hardcover) (1st ed.). Lanham, MD: Rowman & Littlefield Publishers. pp. 304-306. ISBN978-1-4422-3504-5
^ abc
“Suzi Quatro Timeline”. www.thecoverzone.com. Bristol, USA: Suzi Quatro Rocks - Rock and Roll Hall of Fame Mission. November 5, 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。May 17, 2012閲覧。
Bloom, Ken and Vlastnik, Frank (2004). Broadway Musicals: The 101 Greatest Shows of all Time. New York: Black Dog & Leventhal Publishers. ISBN1-57912-390-2
Kantor, Michael, and Maslon, Laurence (2004). Broadway: The American Musical. New York: Bullfinch Press. ISBN0-8212-2905-2
Suskin, Stephen (1990). Opening Night on Broadway: A Critical Quotebook of the Golden Era of the Musical Theatre. New York: Schrimmer Books. ISBN0-02-872625-1.