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スチュアート・オグレディ Stuart O'Grady
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基本情報 |
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本名 |
Stuart O'Grady スチュアート・オグレディ |
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愛称 |
Stuey |
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生年月日 |
(1973-08-06) 1973年8月6日(51歳) |
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国籍 |
オーストラリア |
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身長 |
176cm |
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体重 |
73kg |
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選手情報 |
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所属 |
オリカ・グリーンエッジ |
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分野 |
ロードレース&トラックレース |
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役割 |
選手 |
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特徴 |
スプリンター クラシックスペシャリスト |
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プロ経歴 |
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1995-1998 1998-2003 2004-2005 2006-2008 2009-2010 2011 2012-2013 |
ガン クレディ・アグリコール コフィディス CSC サクソバンク レオパード・トレック グリーンエッジ オリカ・グリーンエッジ |
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主要レース勝利 |
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アテネ五輪・マディソン(2004) パリ〜ルーベ(2007) HEW・クラシックス (2004) ツアー・ダウンアンダー (1999、2001) ツール・ド・フランス 区間2勝 |
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最終更新日 2012年1月15日 |
スチュアート・オグレディ(Stuart O'Grady OAM, 1973年8月6日- )は、オーストラリア・アデレード出身の元自転車競技選手。2013年末で引退した。
経歴
概略
トラックレースではアテネオリンピック金メダリスト、ロードレースではスプリンタータイプの選手としてツール・ド・フランスの序盤ステージにおいてしばしばマイヨ・ジョーヌを獲得したり、また2007年のパリ〜ルーベも制するなどの実績を持つ、オーストラリアを代表する自転車競技選手である。また、オーストラリア勲章(英語版)(OAM)も受章している。
五輪2大会連続メダル獲得
オグレディの自転車選手としてのキャリアはトラックレースから始まった。
1992年バルセロナオリンピックでは、4000m団体追い抜きのメンバーとして銀メダルに貢献。
1996年アトランタオリンピックでは、4000m団体追い抜き、ポイントレースで銅メダルを獲得。
プロロード選手としての実績
アトランタオリンピックの1年前となる1995年にガンと契約を結んでプロ選手となり、その後はロードレースにおける活躍ぶりが目覚しくなった。
1998年のツールでは第4 - 6ステージまで総合首位に立った。また2001年のツールでも、第4 - 6、第8 - 9ステージでマイヨ・ジョーヌを身にまとった。この他ツールのポイント賞争いにおいても常に上位に食い込む活躍を見せる。しかしエリック・ツァベルの壁が厚かったこともあり(ツァベルは1996 - 2001年まで6年連続ポイント賞受賞)、ポイント賞獲得には至っていない。とりわけ惜しかったのは2001年のツールで、最終ステージにおいてマイヨ・ベールを身にまとってレースに挑んだが、最後にツァベルに逆転されてしまった。
一方、2008年のシーズンよりUCIプロツアーの対象レースに組み入れられることになったツアー・ダウンアンダーの初代総合優勝者(1999年)であり、2001年にも同レースを優勝している。
五輪金メダル~チームCSC移籍
2004年にコフィディスに移籍。
2005年
2006年、ビャルヌ・リース監督に懇願し、チームCSCへの移籍を果たす。
2007年
2009年
2011年、チーム・レオパード・トレックに移籍。
2012年、母国の新チームグリーンエッジに移籍。
家系・支援
オグレディの家系は自転車一家であり、叔父は1964年東京オリンピックに出場した経験を持つ。また父も南オーストラリア州の選手権大会を制するなどの実績を挙げている。そしてオグレディは母国オーストラリアにおいて、ジュニアの自転車チームのスポンサーとなり、チームの財政的支援を行っている。
外部リンク