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ジョン・ケアー John Kerr |
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生誕 |
(1980-06-02) 1980年6月2日(44歳) ダンディー |
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身長 |
174 cm |
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選手情報 |
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パートナー |
シネイド・ケアー |
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所属クラブ |
マレイフィールドISC |
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引退 |
2011年3月 |
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ISUパーソナルベストスコア |
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ジョン・アレステア・ケアー(英語: John Alastair Kerr、1980年6月2日 - )は、スコットランド出身の男子アイスダンス選手兼俳優。パートナーは姉のシネイド・ケアー。
2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピックアイスダンスイギリス代表、2009年、2011年ヨーロッパ選手権3位。
日本語表記
日本では「ジョン・カー」と表記・呼称されることも多いが[1]、本項ではより本来の発音に近い「ケアー」の表記を用いる。
人物
俳優としても活動し、スコットランドのサッカー選手であったアリー・マッコイスト役としてテレビシリーズに出演した。
2013年4月にアゼルバイジャン代表として活躍した元アイスダンサーのナディーン・アハメドと婚約[2]。2014年6月21日、スコットランドで挙式を行い、ライアン・ブラッドレイがベストマンの一人を務めた[3]。2017年1月9日に第一子となる男児が誕生した[4]。
経歴
スコットランドのブロックスバーンで生まれ、8歳のころにスケートを始めた。ジュニア時代にはアンナ・サイレットとカップルを結成し、イギリス選手権のジュニアクラスなどに出場していたが解散、2000年に実姉のシネイド・ケアーとカップルを結成した。
姉とカップル結成後にシニアクラスに移行し、2003-2004シーズンからISUグランプリシリーズに参戦、イギリス選手権では初優勝を飾った。初出場の2004年欧州選手権では10位、同じく初出場の2004年世界選手権では14位となった。
トリノオリンピックを控えた2005-2006シーズン、イギリス選手権で3連覇を果たしトリノオリンピックに出場。オリンピックではコンパルソリーダンスとオリジナルダンスで11位、フリーダンスでは13位となり総合10位に終わった。
2006-2007シーズンよりコーチをエフゲニー・プラトフに変え、迎えたネーベルホルン杯で国際大会初優勝を飾った。2007-2008シーズンのオリジナルダンスでは、出身のスコットランドの民族衣装キルトを着用しての演技を行った。国際スケート連盟のルールでは男子選手は長ズボンの着用が義務付けられているが、許可を得て演技を行った。
2008-2009シーズン、スケートアメリカで3位となり、グランプリシリーズで初のメダルを獲得した。エリック・ボンパール杯でも3位で、シリーズ最高の成績を収めた。イギリス選手権では6連覇を果たし、欧州選手権では初めての表彰台に立った。イギリスの選手が欧州選手権でメダルを獲得したのは1994年のジェーン・トービル/クリストファー・ディーン組以来15年ぶりとなる。
2009-2010シーズン、初めてグランプリファイナルに進出し4位。バンクーバーオリンピックでは8位、世界選手権では過去最高の5位。
2010-2011シーズン、スケートカナダでは2位。ロステレコム杯は肩の怪我のために欠場した[5]。欧州選手権では2度目の銅メダルを獲得。2011年3月29日、肩の怪我により世界選手権の欠場を発表[6]。翌月、競技からの引退を発表した[7]。
引退後はショースケーターとして活躍、地元イギリスで行われた2012年欧州選手権にはアンバサダーとして登場。スターズ・オン・アイス等のアイスショーにも出演している。2012年にはテレビドラマGleeシーズン4の第10話に、キンバリー・ナバーロ/ブレント・ボメントレ組とともに、スケーターとして出演した[8]。コーチや振付師もしており、ガリト・チャイトと共に仕事をしている。
主な戦績
詳細
プログラム使用曲
脚注
参考文献
外部リンク
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