ジェーン・バーキン (Jane Birkin OBE 、本名:Jane Mallory Birkin, OBE、1946年 12月14日 - 2023年 7月16日 )は、イングランド のロンドン 生まれのイギリス とフランス の女優 、歌手 、モデル [ 1] 。
イギリスとフランスにまたがる代表的マルチ・アーティストで、女優のシャルロット・ゲンズブール ら三姉妹の実母としても知られる[ 2] 。モデルとしてファッション界にも影響を及ぼし、フランスの老舗メゾンエルメス の定番バッグ「バーキン 」の由来にもなった[ 1] 。
2001年 『大英帝国勲章 』受章。
人物
イングランド のロンドン で生まれる[ 1] 。主に役者と歌手を本業とし、モデルとしても活動。フランス人のアーティストであるセルジュ・ゲンズブール をパートナーとしてからは、フレンチロリータ としてファッション界にも影響を及ぼしていた[ 1] [ 3] 。2001年 に長年の功績により、大英帝国勲章 :オフィサーを授与された。
高祖父 のリチャード・バーキンは、わずか7歳で織物職人として働き始めた。そして国内外にレース製造工場を立ち上げ実業家として成功し、ノッティンガム の市長を務めるなど19世紀前半には地方の名士になった。このリチャードの築いた巨額の資産と工場を受け継いだ曾祖父 のトーマス・アイザック・バーキンは准男爵の叙爵を受け、バーキン家は上流階級の仲間入りを果たした。だが祖父と父親は実業界には進まず軍人となった。母親は女優ジュディ・キャンベル (英語版 ) 。娘に写真家のケイト・バリー (英語版 ) 、女優で歌手のシャルロット・ゲンズブール 、女優で歌手のルー・ドワイヨン と三姉妹をもうけた。
兄は映像作家アンドリュー・バーキン 。甥(兄の子)に美術家デヴィッド・バーキン、詩人・作詞家アンノ・バーキン、俳優ネッド・バーキン、従兄弟に准男爵サー・ジョン・バーキンらがいる。
生涯
1963年 、17歳でグレアム・グリーン の戯曲『彫像』に出演。1964年 、ミュージカル「パッション・フラワー・ホテル」に出演、同年18歳で映画『ナック 』のオーディションに採用され、端役 として女優デビュー[ 1] 。同作の音楽担当だったジョン・バリー と18歳で結婚し、ケイト・バリー(写真家)を出産するが[ 1] 、後に離婚。1967年 、出演した『欲望 』がカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞する。
1968年 、フランス に渡り[ 1] 、フランス映画『スローガン』の主役セルジュ・ゲンズブール と出会う[ 1] 。ゲンズブールとは後に事実婚 の関係となるが、当時バーキンは「結婚はもうたくさん」と考えており、法的には結婚しなかった[ 4] 。同年、映画『太陽が知っている 』にペネロープ役で出演する。
1969年 、ゲンスブールとのデュエット・シングル「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ 」を発表し、各国で放送禁止になるなど、センセーショナルかつ反逆的カップルとして崇拝された[ 1] 。1980年 にゲンスブールの酒乱・DV などを理由にゲンスブールと別れるが後に和解、1991年 にゲンスブールが病没するまで仕事で共演するほか、私生活でも交流する[ 4] 。2人の間に生まれた娘シャルロット・ゲンズブール も女優となる。
1980年代
1980年 、映画監督ジャック・ドワイヨン と出逢い、翌1981年に結婚。同年、夫の監督作品『放蕩娘』に主演する(共演ミシェル・ピコリ )。1982年に娘ルー・ドワイヨン をもうけるが、夫が撮った『シャルロット・ゲンズブール/愛されすぎて』の内容が、余りに自分たちの話に酷似していたことで、以後別れる。
1999年 には『想い出のロックン・ローラー 』(Ex Fan Des Sixties )収録の「無造作紳士」(L'aquoiboniste )がTBSドラマ『美しい人 』の主題歌に使用され、日本限定企画で発表されたベスト・アルバム『ベスト』も30万枚のヒット作となる。なお、この「無造作紳士」は同年12月に岡崎律子 が「アクアボニスト 」(L'aquoiboniste )のタイトルでカヴァーしたものを発表している。
2002年 発表のライブ・アルバム『アラベスク 』ではゲンズブールの曲をアラビア風にアレンジして発表する。
エルメスのバーキン
エルメス の「バーキン 」 (Birkin bag ) は、エルメス社の社長が偶然飛行機でバーキンと隣り合わせた際、バーキンが籐のかごに無造作に物を詰め込んでいるのを見て、何でも入れられるバッグをバーキンに贈ったものが最初である[ 5] [ 6] 。
2011年 、日本 の東日本大震災 の発生を受けて、同年4月6日 という早い段階で来日し震災支援のチャリティーコンサートを行う。「ジェーン・バーキン震災復興支援コンサート Together for Japan」と銘うたれ、多数の日本の芸能人・アーティストとともに詩の朗読や代表曲「無造作紳士」などの披露を行った。コンサートの模様はUstream でも生配信され、多数の視聴が行われた。また、コンサート当日は直前まで渋谷の街頭で募金活動を行った[ 7] 。2013年 11月14日 、日本・フランス間の文化交流促進や東日本大震災の復興支援活動が評価され、日本の外務大臣 表彰授与式がパリ の日本大使公邸で行われた[ 8] 。
2017年 、かつてのパートナーである故セルジュ・ゲンズブールの曲をシンフォニックにカヴァーした、9年ぶりのスタジオアルバム『Birkin/Gainsbourg: Symphonique』を発表。作品に伴う来日公演を開催[ 9] 。同年末、フランス芸術文化勲章 オフィシエを受勲[ 10] 。
2018年 春の叙勲で旭日小綬章 を受章[ 11] 。
村上香住子 (ジャーナリスト・翻訳家、パリ在住)とは友人であり、映画ジェーンとシャルロットの京都 でのロケ撮影にも同行し協力した[ 12] 。バーキンの没後に評伝を著した(下記参照)。
2023年 7月16日 、パリの自宅で死去した[ 10] [ 11] 。76歳没。同日フランス文化省 が明らかにした[ 13] 。生前、心臓病を患っており、2021年には軽い脳卒中を起こした[ 13] 。
人物
世界各国で放送禁止騒ぎを起こしながらも[ 14] 、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」が大ヒットしていた1971年4月10日に主演映画『ガラスの墓標』の宣伝のため、セルジュ・ゲンスブールを伴い初来日した[ 1] [ 15] 。配給元のヘラルド映画 は複数の雑誌社に売り込み、羽田空港 で到着を待っていたが、当時シャルロット を妊娠して8か月であり[ 注 1] 、出迎えた社員を驚かせた[ 15] 。日本から連絡を取っていた社員にバーキンは「何も心配してくれないでいい」と妊娠していることを伝えず、当時は海外情報が伝わりにくい時代とはいえ、洋画配給会社の現地スタッフが手薄だったのか、それを把握できなかったのか、なぜそのような状況で日本に来たのか、海外人の感覚と日本の感覚が違うのか、当時の日本では妊娠8か月の妊婦を宣伝行脚に連れ回すことは難しかったため、ヘラルド映画からは顰蹙を買った[ 15] 。ゲンスブールは「ボクの子だということを希望します」とジョークを言っていた[ 15] 。
主な出演作品
公開年
邦題 原題
役名
備考
1965
ナック The Knack
バイクに乗った少女
クレジットなし
1966
カレードマン大胆不敵Kaleidoscope
欲望 Blowup
ブロンド
1968
ワンダーウォールWonderwall
ペニー・レイン
初の主演[ 16]
1969
太陽が知っている La piscine
ペネロープ
スローガンSlogan
エヴリン・ニコルソン
カトマンズの恋人Les chemins de Katmandou
ジェーン
1970
ガラスの墓標Cannabis
ジェーン・スウェンソン
1972
女の望遠鏡 (マドモアゼル à GO GO)Trop jolies pour être honnêtes
1973
ドンファン Don Juan ou Si Don Juan était une femme...
クララ
ジェーン・バーキン in ヴェルヴェットの森La morte negli occhi del gatto
コリンガ
DVDスルー
1974
おかしなおかしな高校教師La moutarde me monte au nez
ジャッキー・ローガン
1975
まじめに愛してSérieux comme le plaisir
アリアネ
VHSスルー
冒険喜劇 大出世La course à l'échalote
ジャネット
麗しのカトリーヌCatherine et Cie
カトリーヌ
仮面/死の処方箋Sept morts sur ordonnance
ジェーン
1976
ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ Je t'aime moi non plus
ジョニー
スキャンダル Le diable au coeur
リンダ
VHSスルー
1977
ムッシュとマドモアゼル L'animal
本人
1978
ナイル殺人事件 (1978年の映画) Death on the Nile
ルイーズ・ブルジェ
1979
メランコリー・ベビーMelancholy Baby
オルガ
1981
放蕩娘La fille prodigue
アンネ
シネクラブ上映
エゴン・シーレ /愛欲と陶酔の日々Egon Schiele - Exzesse
ウァリー
1982
地中海殺人事件 Evil under the Sun
クリスチン・レッドファン
1983
愛しのエレーヌ/ルルーとペリシエの事件簿Circulez y a rien à voir!
エレーヌ
1984
ラ・ピラート La Pirate
アルマ
地に堕ちた愛L'Amour par terre
エミリー
1985
熱砂の情事Dust
マグダ
映画祭上映 VHSリリース
ベートーヴェンの甥Le neveu de Beethoven
ヨハンナ
VHSスルー
マンスフィールドの追憶 孤独な果実Leave All Fair
マリー/キャサリン・マンスフィールド
ぴあ /ゴアナフィルム主催「ニュージーランド・シネマ・ウィーク上映」(1986年11月20日科学技術館 サイエンスホール) その後VHSリリース
1986
悲しみのヴァイオリン La femme de ma vie
ラウラ
1987
右側に気をつけろ Soigne ta droite
マドモアゼル・バーキン
ふたりだけの舞台Comédie!
彼女
1988
カンフー・マスター! Kung-Fu master
マリー=ジェーン
原作・出演
アニエスv.によるジェーンb. Jane B. par Agnès V.
カラミティ・ジェーン /クロード・ジェイド/ジャンヌ・ダルク
1990
ダディ・ノスタルジー Daddy Nostalgie
カロライン
1991
二重誘拐Red Fox
ヴァイオレット・ハリソン
テレビ映画
美しき諍い女 La Belle noiseuse
リズ
1995
百一夜 Les cent et une nuits de Simon Cinéma
1997
恋するシャンソン On connaît la chanson
ジェーン
1998
シャンヌのパリ、そしてアメリカ A Soldier's Daughter Never Cries
フォーテスキュー夫人
2000
ジェーン・バーキン in シンデレラCinderella
テレビ映画
2001
本日の主役Reines d'un jour
ジェーン
TV5MONDE 放映
2001
これが私の肉体Ceci est mon corps
ルイーズ・ヴェルネ
2002
Merci Docteur Rey
ペネロープ
2007
Boxes
アンナ
監督も
2008
アニエスの浜辺 Les Plages d'Agnès
-
ドキュメンタリー
2009
ジェーン・バーキンのサーカス・ストーリー(DVD題) 『小さな山のまわりで』(第22回東京国際映画祭 上映題)36 Vues du Pic Saint-Loup
ケイト
2010
テルマ、ルイーズとシャンタル(原題)Thelma, Louise et Chantal
ネリー
フランス映画祭2010 上映(団長も)[1] TV5MONDE 放映
2012
ある愛へと続く旅 Venuto al mondo
精神分析医
2013
Quai d'Orsay
ノーベル文学賞 受賞作家モリー・ハッチンソン
2016
彼女とTGV
La femme et le TGV
エリーゼ
第89回アカデミー賞 短編実写映画賞にノミネート
第11回札幌国際短編映画祭で上映
ディスコグラフィ
スタジオアルバム
かっこ内は日本盤名称。
1969 - La Chanson De Slogan(ジェーン&セルジュ )
1973 - Di Doo Dah(ディ・ドゥ・ダー)
1975 - Lolita Go Home(ロリータ・ゴー・ホーム )
1978 - Ex Fan Des Sixties(想い出のロックン・ローラー )
1983 - Baby Alone In Babylone(バビロンの妖精)
1987 - Lost Song(ロスト・ソング)
1990 - Amours Des Feintes(いつわりの愛) - ゲンズブールの遺作
1996 - Versions Jane(追憶のランデヴー)
1996[ 17] - The Best Of(ベスト・オブ・ジェーン・バーキン)
1998 - A La Légère(ラヴ・スロウ・モーション )
2004 - Rendez-Vous(ランデ・ヴー )
2006 - Fictions(フィクションズ )
2008 - Enfants d'Hiver(冬の子供たち )
2017 - Birkin/Gainsbourg: Symphonique(シンフォニック・バーキン&ゲンズブール)
2020 - Oh! Pardon tu dormais…
ライブアルバム
1987 - Jane Birkin au Bataclan
1992 - Intégral Casino Paris(来日記念盤 Je suis venu te dire que je m'en vais)
1996 - Intégral Olympia
2002 - Arabesque(アラベスク )
2009 - Au Palace(ライヴ・アット・パラス )
2012 - Jane Birkin sings Serge Gainsbourg via japan
受賞歴
脚注
注釈
^ 『70's STYLE BOOK』(宝島社 )12頁に、1971年来日時に松坂屋銀座店 前でオナカを大きくしたバーキンの写真が掲載されている[ 1] 。
出典
関連文献
gainsbourg.org - A Tribute to Gainsbourg, zoom sur Jane Birkin
山口路子『ジェーン・バーキンの言葉』大和書房 ・だいわ文庫、2018年
村上香住子『ジェーン・バーキンと娘たち』白水社 、2024年
外部リンク
音楽アルバム
スタジオ・アルバム ライブ・アルバム
1987年 : オ・バタクラン (Au Bataclan ) | 1992年 : Je suis venu te dire que je m'en vais… (Concert Intégral au Casino de Paris) | 1996年 : Intégral Olympia | 2000年 : コンサート・イン・ジャパン | 2002年 : アラベスク | 2009年 : ライヴ・アット・パラス | 2013年 : Jane Birkin Sings Serge Gainsbourg Via Japan
その他アルバム
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