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カール・フォン・リンネ (Carl von Linné スウェーデン語発音: [ˈkɑːɭ ˈfɔnː lɪˈneː] ( 音声ファイル ) 、1707年 5月23日 - 1778年 1月10日 )は、スウェーデン の博物学者 、生物学者 、植物学者 [ 2] 。カール・フォン・リネー 、ラテン語 名のカロルス・リンナエウス (Carolus Linnaeus )、同名の息子と区別するために大リンネ とも。「分類学 の父 」と称される[ 3] [ 4] 。
生涯
幼少期からオランダ留学まで
カール・フォン・リンネ(1735-1740頃)
リンネソウをもつリンネ
スウェーデン 南部のスモーランド (Småland ) のステンブルーフルト にニルス・インゲマション (Nils Ingemarsson ) の子として生まれた。幼少期から花が大好きで、8歳の頃には「小さな博物学者」と呼ばれていた。若い頃には、父親や母方の祖父と同様に聖職者 となる予定であったが、入学したギムナジウムでは神学など聖職者系の教科に興味を持たなかった。その一方で彼は町の内科医から教えられた植物学 に興味を持ち、1727年には医学を学ぶためにルンド大学 へ入った。1年後、さらに医学や自然科学を学ぶためにウプサラ大学 (ウップサーラ大学)へと移った。
この間に、リンネは植物の分類 の基礎が花の雄蕊 と雌蕊 にあると確信するようになり、短い論文を書いて助教授となった。
1732年 に、ウプサラ (ウップサーラ)の科学アカデミーは彼の、当時は未知であったラップランド探検 のために融資 をした。 この結果が1737年 にFlora Lapponica 『ラップランド植物誌 (英語版 ) 』として発行された。
1735年、学位を取得するためにオランダ へと向かい、ハルデルウェイク で医学博士号を授与される。その後、ライデンでヤン・フレデリック・グロノヴィウス (Jan Frederik Gronovius ) に会い、分類学における彼の研究の草稿を見せた。それを見たグロノヴィウスは感銘を受け、印刷費の援助を申し出た。さらにスコットランド の医師アイザック・ローソン (Isaac Lawson ) が追加で資金を提供し、1735年 6月、Systema Naturae 『自然の体系 (英語版 ) 』の初版を出版した[ 8] [ 9] 。ライデンでは高名な医師であるヘルマン・ブールハーフェ とも親交を結んでいる。その後、同年8月に銀行家で博物学好きのジョージ・クリフォード3世 に出会い、ヘームステーデ のハルテカンプ邸にある彼の植物園の研究を依頼された。この結果は1737年と1738年に、『クリフォード氏庭園誌』ならびに『クリフォード氏植物園誌』として出版されている[ 11] 。またこの時期、1736年にはイギリス を訪れ、オックスフォード やチェルシー を回っている。
1737年 にはライデン で Genera Plantarum 『植物属誌 (英語版 ) 』[ 13] を著した[ 14] 。北半球の亜高山帯 ・高山帯 に生えるスイカズラ科 の常緑低木リンネソウ (Linnaea borealis L.)は、ヤン・フレデリック・グロヴィウス がこの植物を愛好していたリンネにちなみ命名しこの『植物属誌』で公表した[ 14] 。のちにリンネも1753年の『植物種誌』でこれを採用し学名とした[ 14] 。
ウプサラ大学教授
リンネは1738年にライデンを出発し、パリ に立ち寄って多くの学者と交流したのち、スウェーデンへと帰国してストックホルム で開業医となった。病院は順調で多くの患者が押し寄せるようになり、まもなくスウェーデン海軍 の軍医を兼任するようになった。またこの時期にカール・グスタフ・テッシン (英語版 ) をはじめとする多くの有力者と知り合いになり、彼らの推挙で1739年にはスウェーデン王立科学アカデミー の初代総裁に就任している。
1741年 に、リンネは医師の娘、サラ・モレア(Sara Elisabeth Moraea )と結婚した。同年、ウプサラ大学の医学 教授に就任した。当時ウプサラ大学にはもう1人、ニルス・ローゼン・フォン・ローゼンシュタイン (英語版 ) (ニルス・ルセーン)も医学教授となっていたが、両者の間で担当科目の論争があり、結局翌1742年の初めにリンネが植物学や薬物学 、ローゼン(ルセーン)が臨床医学 や解剖学 、生理学 を担当することで決着した。これによりリンネは大学付属の植物園の管理も担当することとなり、彼はその維持と拡充に意を注いだ。リンネは植物園の中にある園長公邸にその死まで居住し、公邸と植物園はリンネ庭園 として現存している。
リンネは植物だけではなく、動物 に分野を拡げて分類を研究し続けた。鉱物 についても研究した。現代では鉱物を生物と同列に扱うことはないが、当時の博物学 では自然に存在するものを植物・動物・鉱物に分けており、リンネはこれらを植物界 ・動物界 ・鉱物 界の三界に分類した。
1752年 、乳母 の弊害に関する論文(Linnaeus, Carolus (1752). “Nutrix noverca”. Les chef-d'oeuvredse Monsieurd e Sauvages 2 : 215-244. )を執筆し、雌の生殖について「母親になること」が自然であり、乳母は自然の法則に反するとして、乳母 の習慣へ反対運動を行った[ 20] 。
1753年 にSpecies Plantarum 『植物種誌 (植物の種) 』を出版した。植物の学名 は現在でもここが起点とされる。リンネは『植物種誌』において植物界を「綱 」・「目 」・「属 」・「種 (および 変種 )」の4つの階級 を用いて組織化した。またここで、属名の後に一語からなる "trivial name " (nomen triviale ) をつなげて二語名 からなる学名を厳格に用いることを体系づけた[ 23] 。リンネは当時、多くの分類法に使用されていた扱いにくい記述法(多名法) 、例えば "Physalis annua ramosissima, ramis angulosis glabris, foliis dentato-serratis " のような冗長な名前を好まず、"Physalis angulata "(ヒロハフウリンホオズキ )のように簡潔で、現在身近な種名 に変えた[ 24] 。なお、二語名自体はリンネの1737年の著作、 Critica Botanica にてすでに現れている。また、リンネが二名法 を用いる約100年前に、ギャスパール・ボアン は、兄ジャン・ボアン の記述をもとに Pinax theatri botanici 『ピナクス』 (1620 )を著したが、ここではラテン語での長い記述を削り、2単語で記述することが多かった[ 25] 。ボアンによって集大成された植物の種 についての情報と相違点を羅列した簡素な記載による情報処理が、リンネの『植物種誌』に与えた影響は少なくないと考えられている。イギリスのジョン・レイ (1627-1705)も体系的には用いていないながらも、二名法を用いたと言われている[ 20] 。
スウェーデン のアドルフ・フレドリク 王は1757年 にリンネを貴族 に叙し、枢密院 が叙爵 を確認した後にリンネは姓のフォン ・リンネを得、後にしばしばカール・リンネとサインした(出身地にちなんでカロルス・リンネウス・スモランデル (Carolus Linnaeus Smolander ) とも署名している)。この姓は、彼の父がルンド大学の大学入学許可のときに牧師 に相応しいラテン語 の姓リンネを採用したのである。これはスモーランドの Stegaryd に生えていた大きなフユボダイジュ Tilia cordata (スウェーデン語 : Lind )からとったものである[ 26] 。また、彼の親戚は同じくフユボダイジュのラテン語名にちなむティランデル (Tiliander )、リンデリウス (Lindelius ) という姓を名乗った。当時のスウェーデン人の多くは姓を持たず、父称 を用いていた。リンネの祖父はインゲマル・ベングトソン(Ingemar Bengtsson 「ベングトの子」)と名乗り、同じく父はインゲマション、つまり「インゲマルの子」と名乗っていたわけである。
1758年 には『自然の体系』の第10版を著した。これはのちに『国際動物命名規約 』において、1758年1月1日に出版されたとみなし、動物命名法の起点の日付として用いる。リンネは1735年の『自然の体系』初版では哺乳類 を「四足綱 Quadrupedia 」としていたが、ヒトを四足動物に入れたことで自然主義 者たちから批判を受けた[ 20] 。リンネはこれを受けて「ヒトがもともと四つん這いで歩いていなかったとしても、女性から生まれるヒトは母乳で成長することは認めざるを得ないだろう」と、第10版では雌の乳房 (female mammae )をその象徴として、「乳房の mammae 」に由来する「哺乳類 Mammalia 」とした[ 20] 。今日では、哺乳類の定義を乳腺 (mammary gland )を持つこととし、これは乳汁 を分泌しない雄や乳頭 を持たない単孔類 にもうまく当てはまる[ 20] 。
リンネの講義は人気があり、多くの聴講者を呼び寄せた。また彼は、その業績と外向的性格、面倒見の良さから多くの弟子に慕われた[ 28] 。リンネは弟子たちに世界各地での博物標本の収集を依頼し、これに応えて多くの弟子が世界中で生物収集に従事し膨大な標本を師の元へと送った。彼らはリンネの使徒たち (英語版 ) と呼ばれ、北アメリカ へ向かったペール・カルム 、西アフリカのアーダム・アフセリウス 、ケープ植民地 と日本 での収集を行ったカール・ツンベルク 、広東 に向かったペール・オスベック やオーロフ・トレーン 、ジェームズ・クック の第2回航海に参加し南太平洋を回ったアンデシュ・スパルマン 、ロシア で収集を行ったヨハン・ペーテル・ファルク 、北アフリカ に向かったヨーラン・ロートマン などが知られている。こうした採集旅行はしばしば探検 となり、過酷なものとなることも多く、なかには南アメリカ に向かったペール・レーフリング やエジプト からイエメン に向かったペール・フォッスコール (英語版 ) のように、採集行の途中で命を落とすものもいた[ 29] 。
1778年 に死去。リンネの仕事は息子のカール に引き継がれたが、カールはリンネの死からわずか5年後に急逝し、リンネの高弟であったカール・ツンベルク がその後を引き継いだ[ 30] 。
主な業績
1735年に出版した『自然の体系』(Systema Naturae )
以下のような功績により、「分類学 の父 」と称される。
それまでに知られていた動植物についての情報を整理して分類表を作り、その著作『自然の体系』(Systema Naturae 、1735年)において、生物分類を体系化した。その際、それぞれの種の特徴を記述し、類似する生物との相違点を記した。これにより、近代的分類学がはじめて創始された。
生物の学名 を、属名 と種小名 (種形容語)の2語のラテン語 で表す二名法 (または二命名法)を体系づけた。ラテン語は「西洋の漢文 」であり、生物の学名を2語のラテン語に制限することで、学名が体系化されるとともに、その記述が簡潔になった。現在の生物の学名は、リンネの分類体系をもとに、分類群によって国際動物命名規約 ・国際藻類・菌類・植物命名規約 ・国際細菌命名規約 に基づいて決定されている。
分類の基本単位である種のほかに、綱 、目 、属 という上位の分類階級 を設け、それらを階層的に位置づけた。後世の分類学者たちがこの分類階級をさらに発展させ、現代行われているような精緻な階層構造 を作り上げた。これは現在でも「リンネ式階層分類体系 」として広く用いられている。
カール・フォン・リンネの発案により、火星を表す惑星記号の「♂ 」を生物学で雄(オス)を表す記号として使い始めた。
後世の言及
「分類学 Taxonomy 」という言葉を作ったオーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール はリンネの分類を自然分類ではなく人為分類と評したが、リンネは生殖 こそが植物にとって元も重要であり、生殖形質に基づく分類こそが自然分類 であると考えていた。
学名の著者名として、動物では省略しないため、Linnaeus を用いる。植物ではL. (またはLinn. )と略記する[ 33] 。一文字のみの略記を用いることができるのはリンネのみである。なお、息子の小リンネはふつうL.f. 、またはL.fil. と略記される[ 34] 。
2015年まで流通していた旧スウェーデン100クローナ 紙幣にその肖像を見ることができる。
硫化鉱物 のリンネ鉱 (Linnaeite 、Co+2 Co+3 2 S4 )は1845年 にスウェーデンのバストネス鉱山 (Bastnäs Mines ) で発見され、リンネの鉱物学への貢献を称えて命名された[ 36] 。
ジャン・ジャック・ルソー はリンネについて「地球上で彼ほど偉大な人物を私は知らない」と記している。
リンネの膨大な標本や資料は、死後6年経った1784年にリンネ未亡人のサラからイギリスの植物学者ジェームズ・エドワード・スミス へと売却された。スミスは1788年にロンドン・リンネ協会 を設立したのちも個人でこのコレクションを保有していたが、スミス死後の1828年に協会へと売却され、その後はロンドン・リンネ協会にて保管されている[ 37] 。
リンネが管理していたウプサラ大学の植物園及び園長公邸はリンネ庭園 として現存している。また、1758年に購入し夏をすごしたハンマルビーの別荘は1880年にスウェーデン政府が買い上げ、記念館として公開されている[ 39] 。
脚注
^ 佐藤洋一郎 『食の人類史 ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧』中央公論新社 、2016年、175頁。ISBN 978-4-12-102367-4 。
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^ NHK. “リンネの「二命名法」 ”. NHK for School . 2021年5月15日 閲覧。
^ Anderson, Margaret J. (1997). Carl Linnaeus: Father of Classification . United States: Enslow Publishers . pp. 62-63. ISBN 978-0-89490-786-9 . https://archive.org/details/carllinnaeusfath00ande
^ Blunt, Wilfrid (2001). Linnaeus: the compleat naturalist . London: Frances Lincoln . p. 98. ISBN 978-0-7112-1841-3 . https://books.google.com/books?id=N54GuRxlgrMC
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^ 大橋広好 (2007). “木村陽二郎先生(1912.7.31 − 2006.4.3)業績と思い出”. Bunrui 7 (2): 85−88. ISSN 1346-6852 .
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^ a b c d e Schiebinger, Londa (1993). “Why Mammals are Called Mammals: Gender Politics in Eighteenth-Century Natural History”. The American Historical Review 98 (2): 382-411. doi :10.2307/2166840 .
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^ 『リンネとその使徒たち 探検博物学の夜明け』p38 西村三郎 朝日新聞社〈朝日選書〉1997年11月
^ 『リンネとその使徒たち 探検博物学の夜明け』p38-41 西村三郎 朝日新聞社〈朝日選書〉1997年11月
^ 和田昭允「“ニュートンの林檎”,“メンデルの葡萄”そして“リンネの月桂樹”:物理学・遺伝学・生物分類学の邂逅」『生物物理』第42巻第3号、2002年、140-141頁、doi :10.2142/biophys.42.140 。
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^ 『リンネと博物学 自然誌科学の源流(増補改訂)』p270-272 千葉県立中央博物館 文一総合出版 2008年2月10日初版第1刷発行
^ https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0706/feature04/_04.shtml 「リンネ 植物にかけた情熱の人」ナショナルジオグラフィック2007年6月号 2023年12月19日閲覧
参考文献
関連項目
外部リンク