ウィリー・ディクスン[注 1](Willie Dixon、本名:William James Dixon、1915年7月1日 - 1992年1月29日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ヴィックスバーグ生まれのソングライター、音楽プロデューサー、ベーシスト、歌手。ブルースの有名曲を多数作曲した。
プロ・ボクサーとして、1937年にイリノイ州のゴールデン・グローブズ・ヘビー級チャンピオンになった。[1]。その後、シカゴに移住。音楽活動を本格化させる。
1940年代後半、ザ・ビッグ・スリー・トリオのベーシストとして活動。1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、チェス・レコードのスタジオ・ワークに関わる。
1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、マディ・ウォーターズの歌で大ヒット。以後、ソングライター、音楽プロデューサー、ベーシストとして手腕を振るう。ジョニー・ウィンターのメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。
1980年代の初頭にシカゴから南カリフォルニアへ移住。1984年にブルースの振興とブルース・アーティストの支援を目的にブルース・ヘヴン・ファウンデーションを設立。ディクスンの死後の1993年、彼の遺族が旧チェス・レコードの建物を買い取り、ファウンデーションの本部とした。
1989年には、自伝『I Am The Blues: The Willie Dixon Story』を出版した。
1992年1月29日、心不全のためカリフォルニア州バーバンクのセントジョセフ医療センターにて死去した。76歳没。
裏方の印象が強いが、自己名義のアルバムも複数発表している。特に1981年にレコーディングされた「It Don't Make Sense (You Can't Make Peace)」(アルバム『Mighty Earthquake And Hurricane』収録)は、名作と名高い。
ディクスンは、第二次大戦後のシカゴ・ブルースに、もっとも影響を与えた作曲家、ミュージシャンの一人だと考えられている。
ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第12位に選ばれている[2]。
彼の曲は多くのブルースマンが取り上げ、ロック・ミュージシャンにもカバーされた。ローリング・ストーンズ、ドアーズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、オールマン・ブラザーズ、ジェフ・ベックなどもカバーしている。
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