V・K・ムールティ(V. K. Murthy、1923年11月26日 - 2014年4月7日)は、インドの撮影監督[1]。グル・ダット・チーム(英語版)のメンバーとして活動し、インド初のシネマスコープ映画『紙の花(英語版)』を手掛けたことで知られている[2]。2010年には撮影監督として初めてダーダーサーヘブ・パールケー賞を受賞した[2]。
生涯
生い立ち
1923年11月26日にマイスールのバラモン家庭に生まれ[3]、ラクシュミプラム(英語版)の学校に進学して音楽を専攻し、ヴァイオリンを学んだ[4]。1946年にバンガロールのシュリー・ジャヤーチャマラージェーンドラ・ポリテクニック(現公立映画テレビ研究所(英語版))で撮影コースを修了し[1]、この間にはインド独立運動に参加して1943年に逮捕・投獄されている[5]。その後は映像分野で働くことを志望し、ボンベイに移住した。
キャリア
ムールティは『Maharana Prathap』に参加して映画業界での活動を始め、1951年には『賭け』で撮影監督V・ラトラの助手を務めた。監督のグル・ダットはムールティのスムーズで流動性のあるカメラワークに感銘を受け、次回作『網』では彼を撮影監督に起用している[6]。その後、ムールティはグル・ダット・チーム(英語版)の一員となり、1964年にグル・ダットが死去するまで彼の作品で撮影監督を務めた。1959年には「グル・ダットの最高作品」と評される『紙の花(英語版)』に参加し、ムールティはフィルムフェア賞 撮影賞(英語版)を受賞した。彼は1962年に参加した『旦那様と奥様と召使い(英語版)』でもフィルムフェア賞撮影賞を受賞しており、このほかに『渇き(英語版)』『表か裏か』でも高い評価を得ている。また、『ナバロンの要塞』に撮影スタッフとして参加し、カラー映画の撮影技術を学んでいる[7]。グル・ダットの死後は、カマール・アムローヒー(英語版)の『パーキーザ 心美しき人(英語版)』『Razia Sultan』に参加したほか、プラモード・チャクラヴァルティー(英語版)、シャーム・ベネガル(英語版)、ゴーヴィンド・ニハラニ、ラージェーンドラ・シン・バーブ(英語版)の作品にも参加している。
死去
2001年に撮影監督を引退してバンガロールで余生を過ごし、2014年4月7日に同地で死去した[5]。
フィルモグラフィー
受賞歴
出典
外部リンク
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1969-1980年 | |
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1981-2000年 | |
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2001-2020年 | |
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2021-2040年 | |
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