P-MODEL (アルバム)
P-MODEL(ぴーもでる)は、日本の音楽グループであるP-MODELのスタジオ・アルバム。1992年2月26日にポリドールから発売された。 その後、2004年には次作である「big body」とカップリングした『GOLDEN☆BEST P-MODEL「P-MODEL」&「big body」』が発売された。 2012年5月2日にタワーレコード限定で本作が再発売され[1]、2020年12月2日にはアナログ・レコードが発売された[2]。 概要1991年に再結成(解凍)された約6年振りのP-MODELのアルバム。『Potpourri』以降封印していたテクノポップを前面に押し出しており、凍結前よりサイバーパンクに近付けた世界観を展開し、コンピューターの中にプリミティヴな精神世界を探求した作品となっている[3]。 VISTAやNO ROOMでは初期の手法も用いられ、ライブでは凍結以前には使用されなかったシーケンサーが多用されており、藤井ヤスチカがバスドラムのトリガーを用いて操作していた。 アルバム発売に先駆けて、1991年12月に行われたライブイベント「I3DAYS」で「SPEED TUBE」と「2D OR NOT 2D」が演奏された。 制作の背景1988年12月をもってP-MODELは「氷河期入り」を宣言し、活動「凍結」(休止)をし、バンドの中心人物であった平沢進はソロ活動を開始した。 その後、平沢は2ndソロアルバム『サイエンスの幽霊』を制作した辺りで「再びテクノをやりたい」という欲求が湧いてきたが、ソロアルバムでテクノを行うのはあまりにも唐突過ぎるため、「だったらバンドを復活させよう」という事になり、バンドの再結成に至った[4]。平沢は「ソロのテクノ・ポップとはまた違う、P-MODELブランドのもとにやるテクノ・ポップというのを始めたいと思いました」と語っている[5]。 再結成に向けて、平沢は始めに「凍結」当時のP-MODELメンバーであり、平沢ソロのサポートメンバーとしても参加していた、ことぶき光に「テクノをやろう」と声をかけた。この時、ことぶきは平沢に『「テクノ」という言葉自体の意味が理解できないから説明してくれ』と尋ねたところ、平沢は「テクノとは、ピコる精神だ。」と説明し、じゃあやろうということになったと語っている[6][7]。 しかしながら、以前のようなバンド活動ではなく、メンバー各々が個別に音楽活動を行っていることやプロダクションに所属しているため、ひとつのプロジェクトに近い状態で活動を行うこととなる[5]。 平沢はメンバー集めの時点で一定期間活動したらまた活動休止することを前提にしており、理解を得た上でメンバー集めをしていた[8]。メンバー選出について平沢は「打ち込みができる人がひとり。楽器を弾けてルックスのいい人がひとり。それから秋山」とコメントしている[9]。バンドに再加入した秋山は「中途半端に抜けたP-MODELにケリをつけたかったから」ことが理由の一つとしている[8][10]。 楽曲制作にあたり、平沢とことぶきでミーティングを行い、音楽トラックと音色の制限、使用機材を事細かく決めた[11]。平沢は、ソロではナチュラルなサウンドがメインであった為、バンドではアナログシンセの音を中心に構成したと語っている[8][12]。その後、各メンバーは「わかりやすい」「説明のいらないテクノ」をテーマとし、それぞれがテクノと解釈する楽曲を持ち寄った[5][9]。 ことぶきは平沢より「もっとポップなものを作って欲しい」と要望があり[13]、秋山はスパークスや冨田勲の作品の他、P-MODELの過去のアルバムを聴き返して理詰めで制作していった[14]。今作に収録されている、ことぶきと平沢の共作曲は、平沢はプロデューサーとしての視点で携わり「大勢の判断よりも1人のプロデューサーの主観を軸に、最終的な完成形をイメージ」をしたと語っている[15]。 こうして完成した本作を平沢は「みんなが持ち寄った曲をバンドのカラーに当て嵌めていったアルバム」と称している[8]。 評価アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music」のエレクトロ・ポップランキングにて9位と高い評価を得ている[16]。 楽曲解説
収録曲
リリース履歴
参加ミュージシャン
脚注
外部リンクInformation related to P-MODEL (アルバム) |