ジョナサン・ポール・アレンシビア(Jonathan Paul Arencibia, 1986年1月5日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
フロリダ州マイアミでキューバ移民3世として生まれる[1]。かつてアレックス・ロドリゲスを輩出したウェストミンスター・クリスチャン高等学校(英語版)では、ロドリゲスに並ぶ同校史上最多の通算17本塁打を記録したほか、バスケットボール、アメリカンフットボールでも活躍。
2004年のMLBドラフト14巡目(全体513位)でシアトル・マリナーズから指名を受けたが、入団せずにテネシー大学へ進学した[2]。
プロ入りとブルージェイズ時代
2007年のMLBドラフト1巡目(全体21位)でトロント・ブルージェイズから指名され、132万7000ドルの契約金で入団。1年目は傘下のA-級オーバーン・ダブルデイズで63試合に出場した[3]。
2008年はA+級ダニーデン・ブルージェイズからスタートし、シーズン途中にAA級ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツへ昇格。2つのクラスで計126試合に出場し、マット・ウィータースと並んでマイナーの捕手最多の27本塁打を放った[4]。シーズン後に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングでは、アレンシビアはブルージェイズ傘下でトラビス・スナイダーに次ぐ評価を受け、MLB全体でも43位の評価を受けた[5]。
2009年はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎えたが、ここでアレンシビアは野球人生初の挫折を経験。重度の乱視に悩まされ、21本塁打・75打点とパワーの面では一定の数字を残しつつも、打率、出塁率はそれぞれ.236、.284と大きく低迷した。シーズン終了後に乱視矯正のためのレーシック手術を受けた[6]。
2010年は5月末までは8本塁打だったが、6月、7月と2ヶ月連続で二桁本塁打を放つなど95試合で打率.303・31本塁打・79打点と活躍。8月5日にジョン・バックの故障者リスト入りに伴い、メジャーに昇格した[7]。8月7日のタンパベイ・レイズ戦でメジャー初出場。ジェームズ・シールズからメジャー初打席初本塁打を放つなど、5打数4安打2本塁打の鮮烈デビューを飾った。デビュー戦での2本塁打は史上5人目。また、デビュー戦で2本塁打と4安打以上を同時にマークした1900年以降で初の選手となった[8][9]。
2011年は正捕手として定着。23本塁打を放ち捕手としてのチーム本塁打記録を更新し、メジャーの舞台でもそのパワーを見せ付けた。反面、打率は.219、出塁率も.282と低水準に終わった。
2012年は死球による骨折があり102試合の出場に終わったが、18本塁打を放って長打力を発揮した。一方、低打率、低出塁率は相変わらずで、OPSは前年をやや下回った。オフにはR・A・ディッキーとの交換要員として名前が浮上したが、最終的に若手捕手のトラビス・ダーノーがメッツに移籍することになり、アレンシビアは当面の間ブルージェイズの正捕手を務めることが確実になった[10]。
2013年2月27日に第3回WBCのアメリカ合衆国代表に選出された[11]。レギュラーシーズンでは、自己記録を更新する138試合に出場。2年ぶりに20本塁打をクリアしたが、100試合以上に出場したシーズンとしては初の打率.100台と低迷した。また、四球は前年と同じ18に留まり、打率の低さも相まって出塁率は.227という低さだった。守備面ではリーグ最多の13パスボールを喫した。12月2日にノンテンダーFAとなった。
レンジャーズ時代
2013年12月5日にテキサス・レンジャーズと1年180万から200万ドルで契約に合意したことを報道され[12]、12月10日に球団が正式発表した[13]。
2014年は正捕手の座をロビンソン・チリノスに奪われ、開幕後は2番手捕手として20試合に出場したが、打率.133と落ち込み、5月20日に傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ降格した[14]。5月21日に40人枠から外れた。7月17日にカルロス・ペーニャがDFAとなったのに伴い、再びレンジャーズとメジャー契約を結んだ[15]。昇格後は、一塁手を務めていた。また、7月29日のニューヨーク・ヤンキース戦では投手として登板して1回を無失点に抑えた[16]。オフの10月6日にAAA級ラウンドロックへ降格した[17]。9日にFAとなった[18]。
レイズ時代
2015年1月8日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結ぶが、4月9日に自由契約となった[19]。17日にレイズとマイナー契約を結び[20]、傘下のAAA級ダーラム・ブルズでプレー。8月26日にメジャー契約を結び、25人枠入りした[21]。その後は捕手としてプレーし、24試合に出場した。バッティング面では、基本的にメジャーで打率が.240を超えていなかったが、2015年は.310という高率を記録。パワー面でも、僅か22安打で6本のホームランを放ち、改めて圧倒的なパワーをアピールした。打率は高かった一方、フリースインガーぶりは変わらず、24試合で選んだ四球は1つだけだった。捕手としての守備は、23試合で守りに就き守備率.994・DRS - 3という成績を残した。また、盗塁阻止率33%は、メジャーデビュー年以来の高い値だった。11月20日にDFAとなり[22]、23日に自由契約となった[23]。
フィリーズ傘下時代
2015年12月14日にフィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結び、2016年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[24]。
2016年は開幕から傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスでプレーし、12試合に出場して打率.167・1本塁打・2打点の成績を残した。5月16日に自由契約となった[23]。
レイズ傘下時代
2016年5月20日にレイズとマイナー契約を結び、AAA級ダーラムへ配属された[25]。AAA級ダーラムでは78試合に出場して打率.252・15本塁打・47打点・1盗塁の成績を残した。また、この年所属したマイナー2球団合計では90試合に出場して打率.241・16本塁打・49打点・1盗塁の成績を残した。オフの11月7日にFAとなった[23]。
2017年1月18日に現役引退を表明した[26][27]。
現役引退後
現役引退後はFOXスポーツ・フロリダ[28]に入社し、マイアミ・マーリンズの試合前後に放送される番組でアナリストを務めた[29]。
2023年より、ニューヨーク・メッツ傘下AAA級シラキュース・メッツのベンチコーチに就任した[29]。
プレースタイル
長打力が武器の攻撃型捕手だが、積極的に打っていく典型的なフリースインガーであるため、出塁率は高くない[30]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2010
|
TOR
|
11 |
37 |
35 |
3 |
5 |
1 |
0 |
2 |
12 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
11 |
0 |
.143 |
.189 |
.343 |
.532
|
2011
|
129 |
486 |
443 |
47 |
97 |
20 |
4 |
23 |
194 |
78 |
1 |
1 |
0 |
3 |
36 |
3 |
4 |
133 |
6 |
.219 |
.282 |
.438 |
.720
|
2012
|
102 |
372 |
347 |
45 |
81 |
16 |
0 |
18 |
151 |
56 |
1 |
0 |
1 |
3 |
18 |
1 |
3 |
108 |
4 |
.233 |
.275 |
.435 |
.710
|
2013
|
138 |
497 |
474 |
45 |
92 |
18 |
0 |
21 |
173 |
55 |
0 |
2 |
0 |
2 |
18 |
0 |
3 |
148 |
8 |
.194 |
.227 |
.365 |
.592
|
2014
|
TEX
|
63 |
222 |
203 |
20 |
36 |
9 |
0 |
10 |
75 |
35 |
0 |
0 |
0 |
2 |
10 |
0 |
7 |
62 |
6 |
.177 |
.239 |
.369 |
.608
|
2015
|
TB
|
24 |
73 |
71 |
9 |
22 |
3 |
0 |
6 |
43 |
17 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
0 |
22 |
1 |
.310 |
.315 |
.606 |
.921
|
MLB:6年
|
467 |
1687 |
1573 |
169 |
333 |
67 |
4 |
80 |
648 |
245 |
2 |
3 |
1 |
11 |
85 |
4 |
17 |
484 |
25 |
.212 |
.258 |
.412 |
.670
|
年度別投手成績
背番号
- 9(2010年 - 2013年)
- 7(2014年)
- 40(2015年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク