IM-99 CIM-10 Bomarc
概要
用途
長距離制空/戦略爆撃機迎撃
初飛行
1952年 9月10日[ 1] [ 2]
実戦配備
1959年
製造者
ボーイング
諸元
全長
14.2 m
翼幅
5.54 m
直径
0.89 m
重量
7,020 kg
弾頭
1,000 kgのTNT (IM-99) 若しくは 核出力 10 kt のW40 核弾頭 (CIM-10)
推進装置
液体ロケット
推力
1段目 : 156 kN
2段目 : 0 51 kN×2
性能
最大速度
M 2.8
射程
約700 km
実用上昇限度
20,000 m
CIM-10 ボマーク (CIM-10 BOMARC) は、アメリカ空軍 がソ連 の爆撃機 を迎撃するために開発した、長距離地対空ミサイル である。
正式名称は F-99、IM-69、IM-99、CIM-10 と多数存在し、導入当初は F-99 であった。戦闘機 を表す “F” がつけられているのは、配備当時、無人戦闘機 として配備されたためで、当時の米空軍はボマークを「最初の無人戦闘機」と喧伝した。
歴史
ボマークの開発は1946年 に陸軍航空省における、対大型爆撃機 のミサイル 研究開発の分野からスタートした。3年後の1949年 にボーイング 社に長距離地対空ミサイル の開発契約が与えられ、1951年 に F-99 という名前がつけられた。射程が長いためカナダ の CF-105 アロー など周辺諸国の迎撃戦闘機 の開発を中止に追い込むなど、各国に与えた技術的影響も大きかった。
初飛行は翌1952年 9月10日[ 1] である。ボマークは、ケープカナベラル宇宙軍施設 から打ち上げが行われ、初飛行から1959年4月21日まで63回の発射試験が行われた[ 2] 。しかし、戦闘機としての分類は不可能と考えたのか、空軍はのちに通常弾頭 型を IM-99、核弾頭 型を CIM-10 と改名した。
性能面
発射は垂直発射台(若しくは発射台を垂直に立てて)から発射させる。まず液体燃料ロケットのブースター によって超音速域まで加速し、十分に加速した時点でラムジェットエンジン に切り替えて飛翔する。SAGE によって中間誘導され、目標まで10海里 でミサイル内蔵のAN/DPN-34 レーダー を作動させ、後はアクティブ・レーダー・ホーミング で目標に向かう。射程は約400キロメートル とされ、前記した通り周辺諸国の迎撃戦闘機 の開発を中止に追い込んだりした。
弾頭 は1000ポンド のTNT (IM-99) もしくは核出力 10キロトン の核弾頭 (CIM-10) を装備する。
アメリカ空軍 では1959年から1972年にかけて部隊配備された。カナダ空軍 でも運用され、1962年から1972年まで配備されていた。
派生型
後に CIM-10B という発展型が登場した。これは、一段目のエンジン を固体燃料ロケット にした事で、液体燃料ロケット に必要な発射前の燃料注入が不必要になり、即応性が格段に向上した。また、これによって最高速度がM 3、最高実用高度も高度3万メートル まで引き上げられた。
また、CQM-10 という標的機(デコイ )も登場している。
作戦部隊
1960年1月、ニュージャージー州 のボマーク・サイト No.1
運用されていたIM-99Aミサイルは、「棺桶」と呼ばれる準強化型シェルターに水平に配置されていた。発射命令後、シェルターの屋根がスライドして開き、ミサイルが垂直方向に持ち上げられる。ミサイルにブースターロケットの燃料が供給された後、エアロジェットジェネラルLR59-AJ-13ブースターによって発射される。十分な速度に達した後、マルカートRJ43-MA-3ラムジェットが点火し、高度66,000 ft (20,000 m)で巡航速度マッハ2.8まで推進する[ 3] 。
ボマークが目標から10 mi (16 km) 以内に入ると、独自のウェスティングハウスAN/DPN-34レーダーがミサイルを迎撃ポイントに誘導した。IM-99Aの最大射程は250 mi (400 km)で、通常の高爆発性弾頭または10ktのW-40核分裂弾頭のいずれかのどちらかを搭載していた[ 3] 。
ボマークは、敵の爆撃機 を探知、追跡、迎撃するためにNORAD が使用する自動制御システムである半自動式防空管制組織 (SAGE)に依存していた。SAGEは、遠隔地の個々の発射シェルターに常に戦闘準備の整った状態で収容されていたボマークミサイルの遠隔発射を可能にした。最盛期には、アメリカに14ヶ所、カナダに2ヶ所のボマーク・サイトが設置されていた[ 3] 。
脚注
関連項目
外部リンク
追撃機 (P) 戦闘機 (F) 複座追撃機 (PB) 多座戦闘機 (FM)