2006年のインディカー・シリーズは、インディカー・シリーズの11年目のシーズンである。
この年より、ホンダエンジンのワンメイクとなり、エンジンでの優劣が無くなった。その分、ドライバーの実力がより問われるものともなった。また、拡大の一途をたどっていたレース数もこの年は3戦のオーバルコースがカレンダー落ちし、14戦でのシーズンとなった。
エンジンがワンメイクとなったことでトップチームの実力が拮抗し、混戦のチャンピオンシップとなったが、チーム・ペンスキーに移籍後トヨタエンジンの劣勢状況からくすぶっていたサム・ホーニッシュJr.が前年チャンピオンでこの年チップ・ガナッシ・レーシングに移籍したダン・ウェルドン(同ポイントながら勝利数比較で上回る)やそのチームメイトスコット・ディクソン、自身のチームメイトエリオ・カストロネベスなどを振り切り、インディカー・シリーズ史上最多の3度目のチャンピオンを獲得した。
またこの年は、マイケル・アンドレッティの息子、マリオ・アンドレッティの孫であるマルコ・アンドレッティが19歳でインディカー・シリーズにデビュー、インディ500ではレース最終盤でこの年インディ500にスポット復帰した父マイケルを抜きトップに立つと、最終周最終コーナーまでトップを守ったが、最後の直線でホーニッシュJr.に抜かれ、2位(父マイケルも3位)に終わり、「アンドレッティ家のインディ500の不運(マリオの1勝以外は一家の誰かがトップを快走した年もことごとく優勝を逃す)」はこの年も払拭はならなかった。しかし、マルコはこの屈辱をインフィニオンで当時の最年少優勝をあげることで晴らした。
この年は開幕戦ホームステッド/マイアミで不幸な事故が起こった。この年レイホール・レターマン・レーシングに抜擢され初のフルシーズン参戦を果たすはずだったポール・ダナがフリー走行中にスピンを喫したエド・カーペンターを避けきれずクラッシュ、その衝撃によるダメージが大きく、結果事故死した。IRL3件目(レース期間中では2件目)の死亡事故となった。
その他のトピックとしては、
2006年の開催スケジュールと結果
- この年は上記の通りフェニックス・パイクスピーク・カリフォルニア(フォンタナ)がカレンダー落ち、14戦のシーズンとなった。また、ワトキンス・グレンはシーズン中盤に移動している。
オーバル
市街地/特設コース
ロード
2006年の参戦チーム・ドライバー
ポイントランキング
優勝から10位までは順に50-40-35-32-30-28-26-24-22-20のポイントが与えられ、それ以下は18位までは1ポイントずつ減少し、18位から24位まではすべて12ポイント、25位以下はすべて10ポイントが与えられ、最多リードラップに3ポイントのボーナスポイントを総合しタイトルが争われた。
ペンスキーとチップ・ガナッシの4人のドライバーによって最終戦まで争われた激戦を最終戦でチームメイトを逆転、チップ・ガナッシの猛追をしのいだホーニッシュJr.がウェルドンと同点ながらチャンピオンを獲得した。
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色
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結果
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金色
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優勝
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銀色
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2位
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銅色
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3位
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緑
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4位・5位
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水色
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6位-10位
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青灰色
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完走 (11位以下)
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紫
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リタイヤ (Ret)
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赤
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予選落ち (DNQ)
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茶色
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撤退 (Wth)
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黒
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失格 (DSQ)
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白
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スタートせず (DNS)
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空欄
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欠場 (DNP)
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エントリーせず
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順位
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1
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2
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3
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4
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5
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6
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7
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8
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9
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10
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11
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12
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13
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14
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15
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16
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17
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18
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19
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20
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21
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22
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23
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24
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25
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26
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27
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28
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29
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30
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31
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32
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33
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DNS
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ポイント
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50
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40
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35
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32
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30
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28
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26
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24
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22
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20
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19
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18
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17
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16
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15
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14
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13
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12
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12
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12
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12
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12
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12
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12
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10
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10
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10
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10
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10
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10
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10
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10
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10
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6 (7)
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注
1 ポール・ダナはホームステッドのプラクティス・セッションでコントロールを失ったエド・カーペンターの車両と衝突した。ダナは病院に搬送されたものの、頚椎骨折により死亡した。30歳没。
関連項目
外部リンク