1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック(1936ねんガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック)は、1936年2月6日から2月16日まで、ドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェンで行われた冬季オリンピックである。ガルミッシュ・パルテンキルヘン1936(Garmisch-Partenkirchen 1936)と呼称される。
概要
参加28カ国、1611人の選手が参加。2月6日の開会式は、公称収容人員10万人のオリンピック・スキー・スタジアムで実施。入場行進は各国の大会役員を含め1500人が参加、開会宣言はヒトラーが行った[1]。同年8月に開催された1936年ベルリンオリンピックと同じく、ナチスのプロパガンダ要素が多かったが、国際オリンピック委員会から強い抗議を受けて、この期間中は町中のユダヤ人撲滅ポスターははがされた。日本からは初となる12歳のスケート選手が出場している。
ハイライト
ノルウェーのビルガー・ルードがスキージャンプで2連覇を達成した。日本勢は伊黒正次が7位、龍田峻次が転倒して最下位に終わったものの最長飛距離の77mを飛ぶ健闘を見せた。
ルードはアルペンスキー複合にも出場、ダウンヒルで1位となり、ジャンプとの2冠も期待されたが、スラロームの1本目で転倒、トータルで4位にとどまり、メダルに届かなかった。
日本人選手はメダルには届かなかったもののスピードスケート男子500mには石原省三が出場し、4位に入り日本人として冬季オリンピック初の入賞を果たした[2]。さらにフィギュアスケートに12歳(小学6年生)の稲田悦子が出場、10位となっている[3]。
実施競技
各国の獲得メダル
主なメダリスト
- 金メダル
- 銀メダル
- イバール・バラングルート(ノルウェー、スピードスケート男子1500m)
- 銅メダル
脚注
- ^ 雪の中、二十八カ国選手が入場式『東京朝日新聞』昭和11年2月7日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p72 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 石原がスケート五百メートルで四位『東京朝日新聞』昭和11年2月12日
- ^ 女子フィギュアの稲田、惜しくも十位『東京朝日新聞』昭和11年2月17日
関連項目
外部リンク