以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1896年のできごとを記す。
ナショナルリーグはボルチモア・オリオールズ(1882-1899年)が3年連続3度目の優勝をした。これがこのオリオールズの最後の優勝となった。
1895年のメジャーリーグベースボール - 1896年のメジャーリーグベースボール - 1897年のメジャーリーグベースボール
できごと
- ヒューイー・ジェニングスは、1891年にアメリカン・アソシエーションのルイビル・カーネルズで野球を始め、1894年には当時のボルチモア・オリオールズで、チームメートのジョン・マグローやウィリー・キーラーと共にナショナルリーグを3連覇、自身も1896年に209安打、打率.401をマークした。
- ウィルバート・ロビンソンは守備の要の捕手として活躍し、3連覇の時は打撃でも活躍した。後にオリオールズでの同僚だったジョン・マグローに請われてニューヨーク・ジャイアンツのコーチとなり、やがてブルックリン・ロビンズ(後のドジャース)の監督となり、1916年と1920年にリーグ優勝した。
テンプルカップ
シーズン終了後のテンプルカップ(ナショナルリーグ優勝チームと2位チームとの7回戦)は、リーグ3連覇のボルチモア・オリオールズが2位チームのクリーブランド・スパイダーズを下し初めて優勝した。
- ボルチモア・オリオールズ(1882-1899年)は、1882年にアメリカン・アソシェーションの創設とともに作られたチームである。1891年を最後にアメリカン・アソシエーションは消滅しオリオールズはナショナルリーグに移籍する。1892年にナショナルリーグに加盟して、1894年から1896年までのリーグ3連覇がオリオールズの絶頂期であった。1898年、当時のオーナーだったハリー・フォン・デル・ホーストは、球団運営でより高い収益を得ようと、ブルックリン・スパーバス(後のドジャース)の株式を得て経営に参加しオリオールズと2つの球団の経営を掛け持ちしたことで、オリオールズの主力選手が揃ってブルックリンに移籍する事態が起きた。この時マグローはブルックリンへの移籍を拒み、翌1899年にオリオールズの兼任監督となる。マグローは既に主力を失って弱体化したチームを率い、リーグ4位と健闘したが、1人のオーナーによる複数球団の掛け持ち経営が問題視されたことで、ホーストは同年を最後にオリオールズを解体することになった。
- 一方、現在のボルチモア・オリオールズは、アメリカンリーグが創設された1901年にウィスコンシン州ミルウォーキーを本拠地として、1年だけ「ミルウォーキー・ブルワーズ」(現在のミルウォーキー・ブルワーズとは無関係)として活動した球団が起源である。当時ボストン・ビーンイータース(後のブレーブス)の名選手ヒュー・ダフィーを兼任監督に据えたが、48勝89敗と大きく負け越す多難な船出だった。そして2年目の1902年にミズーリ州セントルイスに本拠地を移し、セントルイス・ブラウンズ(カージナルスとは別球団)となった。このセントルイス・ブラウンズが1954年にボルチモアに移転して現在のボルチモア・オリオールズとなった。
記録
最終成績
ナショナルリーグ
個人タイトル
ナショナルリーグ
出典
- 『アメリカ・プロ野球史』 鈴木武樹 著 58P参照 1971年9月発行 三一書房
- 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪ヒュウイ・ジェニングス≫ 39P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
- 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 ワールドシリーズ前史 The Fall Classic 誕生秘話 上田龍 著 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
参考
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