高橋 功一基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
秋田県能代市 |
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生年月日 |
(1971-07-02) 1971年7月2日(53歳) |
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身長 体重 |
183 cm 81 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1989年 ドラフト3位 |
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初出場 |
1994年5月29日 |
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最終出場 |
2000年10月16日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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高橋 功一(たかはし こういち、1971年7月2日 - )は、秋田県能代市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
能代高では3年春に県大会優勝し、東北大会でも決勝へ進むが大越基(仙台育英高)と投げ合うも敗退[1]。1989年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブレーブスから3位指名を受け入団[1]。前身である阪急ブレーブスのエース、山田久志氏《現・全日本少年硬式野球連盟(ヤングリーグ)会長》は同校の先輩にあたる。
入団以後4年目までは制球難や膝の故障などにより一軍登板が無かったが、5年目の1994年には高校先輩の山田久志がコーチとなりスネーク投法を武器に初の一軍に昇格し、初先発となった日本ハム戦で好投し、続く西武戦ではプロ初勝利を挙げるなど、主に先発、ロングリリーフといった登板でこの年6勝2敗の好成績を残す。スリークォーターからのカーブ、スローカーブ、シュート、スライダー、フォークが武器。
1995年は主に先発として自己最多の7勝を挙げ、初のリーグ優勝に貢献。同年の日本シリーズ第5戦にも先発した[1]。
2000年には、リリーフとしてチーム最多及び自己最多となる49試合に登板するも、同年に痛めた肩の故障により2001年は一軍登板は無く現役を引退[1]。
引退後は、2002年から球団職員(スコアラー)としてチームに携わる[1]。2009年をもって退団した。
2015年1月30日に学生野球資格を回復[2]。現在は、兵庫県加古郡播磨町に事務所を置く「野球屋」代表[3]。野球スクール及び少年硬式野球チーム(ヤングリーグ・東加古川レッドアローズ)の運営にあたっている。年末の帰省時には地元能代市でも野球教室を開いている。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1994
|
オリックス
|
20 |
8 |
1 |
0 |
0 |
6 |
2 |
0 |
-- |
.750 |
314 |
70.0 |
77 |
4 |
32 |
1 |
4 |
45 |
2 |
0 |
38 |
35 |
4.50 |
1.56
|
1995
|
18 |
15 |
4 |
1 |
0 |
7 |
6 |
0 |
-- |
.538 |
449 |
104.2 |
100 |
7 |
41 |
1 |
3 |
68 |
2 |
0 |
39 |
31 |
2.67 |
1.35
|
1996
|
8 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
-- |
.000 |
104 |
24.0 |
25 |
2 |
8 |
0 |
1 |
16 |
0 |
0 |
14 |
13 |
4.88 |
1.38
|
1997
|
13 |
4 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
-- |
1.000 |
135 |
30.1 |
32 |
2 |
13 |
0 |
1 |
15 |
1 |
0 |
14 |
10 |
2.97 |
1.48
|
1998
|
21 |
12 |
1 |
1 |
0 |
4 |
5 |
0 |
-- |
.444 |
353 |
83.2 |
83 |
6 |
29 |
0 |
4 |
57 |
0 |
0 |
27 |
27 |
2.90 |
1.34
|
1999
|
35 |
8 |
0 |
0 |
0 |
3 |
6 |
0 |
-- |
.333 |
307 |
68.0 |
69 |
9 |
40 |
2 |
2 |
40 |
1 |
1 |
40 |
38 |
5.03 |
1.60
|
2000
|
49 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
0 |
-- |
.500 |
258 |
58.0 |
53 |
10 |
37 |
2 |
0 |
42 |
6 |
0 |
33 |
32 |
4.97 |
1.55
|
通算:7年
|
164 |
50 |
6 |
2 |
0 |
24 |
23 |
0 |
-- |
.511 |
1920 |
438.2 |
439 |
40 |
200 |
6 |
15 |
283 |
12 |
1 |
205 |
186 |
3.82 |
1.46
|
記録
- 初登板:1994年5月29日、対西武ライオンズ7回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏1死に3番手で救援登板・完了、2/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に吉竹春樹から
- 初先発:1994年6月2日、対日本ハムファイターズ12回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回0/3を無失点
- 初勝利・初先発勝利:1994年6月17日、対西武ライオンズ11回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回1/3を2失点(自責点1)
- 初完投勝利:1994年7月15日、対近鉄バファローズ13回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回3失点
- 初完封勝利:1995年9月30日、対近鉄バファローズ25回戦(グリーンスタジアム神戸)
- 先発・毎回奪三振:1994年7月15日、対近鉄バファローズ戦(11奪三振:グリーンスタジアム神戸)
背番号
脚注
関連項目
外部リンク