高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者。専門は核化学。理学博士(東京大学)。
群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。
父は開業医。幼少時の仇名は「ジンザ」でエスペラントに関心を持っていた[2]。
宮沢賢治文学を愛好した。群馬大学教育学部附属中学校時代の同級生にSF作家の豊田有恒がいる。
『高木仁三郎著作集』(全12巻)など多数の著書を七つ森書館より刊行。同社の中里英章社長(当時)は高木に師事した。
政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク・原子力資料情報室を設立して代表を務めた。
原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて警告を発した。特に地震の際の原発の危険性を予見し地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱え、脱原子力運動を象徴する人物でもあった。
原子力発電に対する不安、関心が高まった1980年代末にはマスメディアでの発言も多かった。
新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設反対運動にも参加していた[3]。
2011年7月、『サンデーフロントライン』(テレビ朝日)にて、少年期から学究の道を経て市民科学者として原子力問題に半生を投じた高木を回顧する特集が組まれた[4]。
1995年、『核施設と非常事態 : 地震対策の検証を中心に』[5] を「日本物理学会誌」に寄稿。「地震」とともに「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見。
「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」[5] するとして、早急な対策を訴えた。
福島第一原発 について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると1995年の時点で指摘。 加えて福島浜通りの「集中立地」についても「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と [5]、その危険に警鐘を鳴らしていた(以下は、引用)。
『考えられる事態とは、(中略) 地震とともに津波に襲われたとき 』 『原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、給水配管の破断と 緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう』 『老朽化原発が大きな地震に襲われると、いわゆる共通要因故障(一つの要因で多くの機器が共倒れする事故)に発展し、冷却材喪失事故などに発展していく可能性は十分ある』 『原発サイトには使用済み核燃料も貯蔵され(中略)集中立地が目立つ(福島浜通り、福井県若狭、新潟県柏崎、青森県六ヶ所村など)が、どう対処したらよいのか、想像を絶する(中略)これから徹底的に議論し、非常時対策を考えて行くべき』 『「原発は地震に対して大丈夫」という言い方は、上述のような疑問や不確かさに対して、すべてを楽観的に解釈した場合にのみ成り立つもの(中略)。 国や電力事業者は、「原発は地震で壊れない」ことを前提にしてしまっているため、そこから先に一歩も進まず、地震時の緊急対策を考えようとしない』 『行政側(注:通産省)にも事業者側にも原発の安全性を見直して、この大災害(注:阪神・淡路大震災)をよい教訓にするという姿勢が少しも見られなかった』 『「原発は壊れない」建て前になっているため、今のような機会(注:阪神・淡路大震災の教訓) を生かして、原発が被災した場合の緊急時体制や老朽化原発対策などを真剣に考えるという姿勢もまったくみられない』 『 そのような事態を想定して原発の安全や防災対策を論じることは、「想定不適当」とか「ためにする議論」として避けられてきた。 しかし、(中略)考えうるあらゆる想定をして対策を考えていくことが、むしろ冷静で現実的な態度と思われる』
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