高山薫
高山 薫(たかやま かおる、1988年7月8日 - )は、神奈川県川崎市高津区出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
来歴
プロ入り前
6歳の時に幼稚園の先生に誘われたことがキッカケでサッカーを始めた[1]。小学6年生の時にはサッカーの川崎市選抜にも選出されている[2]。
中学・高校時代は、同期の永木亮太と一緒に川崎フロンターレの下部組織に在籍していたが、トップチームに昇格することは出来ず[3]、専修大学に進学。大学2年時に「関東大学選抜B」に選出[4]、大学4年時には神村奨と2トップを組んで12得点を挙げ[5]、2010年の関東大学サッカーリーグ2部での最多得点者となった。
プロ入り後
2011年に湘南ベルマーレに加入[4]。大卒1年目ながらリーグ戦35試合に出場し、チームトップの9得点を挙げる活躍を見せた[6]。
2012年は、同年より監督に就任した曺貴裁の下、「動き出しの早さで相手より前を取れるという薫のよさがチームに活かされたらいい」という意図により、3-4-3の左ウイングバックに起用された[7]。リーグ戦38試合で6ゴール・4アシストの活躍を見せ、チームのJ1復帰に大きく貢献した。2013年もリーグ戦でチームトップタイの4得点を挙げるも、チームはJ2降格となった。
2014年、柏レイソルに完全移籍[8]。柏では、湘南時代とは逆の右サイド[9] や、3-6-1の2シャドーの一角[10] としてもプレーした。
2015年、湘南に完全移籍で復帰[11]。同年は主戦場のサイドでは無く主にシャドーでプレー[12]。出場停止1試合を除く全試合に先発出場を果たしJ1自己最多の7得点をマークした他、Jリーグが計測したトラッキングデータでは走行距離でリーグ5位、スプリント回数ではリーグ2位を記録し、「走るベルマーレ」の象徴としてチームの8位進出に貢献した[13]。
2016年は永木亮太、秋元陽太[注釈 1]、遠藤航らが移籍した中で残留を決断し、曺からの推薦によりキャプテンに就任[14]。以後3シーズン連続でキャプテンを務めた。前年同様リーグ戦33試合(内1試合は途中出場)に出場したが、チームはシーズン17位となりJ2降格となった。
2017年は3月25日のJ2第5節・千葉戦で全治8ヶ月・前十字靭帯損傷の怪我を負い[15]、シーズンの大半を棒に振った。第40節・福岡戦にて交代出場により公式戦復帰を果たした[16]。
2018年は先発から外れる機会が増えたが[17]、同年のJリーグカップ決勝・横浜FM戦では1点リードで迎えた後半32分に投入されると、身体を張って相手の攻撃を防ぎ優勝に貢献[18]。表彰式ではチームメイトに背中を押され、優勝カップを掲げた[18]。
2019年、大分トリニータに完全移籍[19]。開幕から左サイドの先発ポジションを掴んだが[20]、シーズン途中に田中達也が加入して以降は出場機会を減らした。
2021年7月9日、SC相模原への期限付き移籍が発表された[21]。2022年より相模原に完全移籍したが[22]、出場機会を掴めず同年限りで契約満了となった[23]。
2023年1月20日、台湾社会人甲級サッカーリーグの台中Futuroへの移籍が発表された[24]。
人物・エピソード
- 名字については湘南公式HPからの内定時のリリースには「髙山」と梯子高が使用されていたが[4]、それ以降の各クラブ並びにJリーグのリリース・プロフィールなどでは「高山」表記が使用されている[8][11][19][25]。
- 父親は大分県中津市出身で、2019年春から中津市の祖母の家へ両親が移住している。移住の3、4年前から決まっていたことであったが、同年高山が大分トリニータへ移籍することとなり「運命的なものを感じた」と語っている[26]。
- 湘南時代にチームメイトであった永木亮太とは、川崎フロンターレのジュニアユース時代の同期であり、湘南在籍時は永木や猪狩佑貴と一緒に行動していたという[27]。
- 川崎フロンターレ戦では2014年時点で通算5試合5得点と、川崎キラーである[28]。自身のJ1初ゴールや[29]、柏での移籍後初ゴールを決めた相手も川崎であった[10]。
- 目立つことが好きな性格である。兄の影響もあってお洒落にも気を配っており、服を買うことが趣味の一つであるという[1]。音楽やコーヒーにもこだわりを持っている[30]。
- 小学6年生の時に憧れていた選手は西澤明訓であり、当時は彼の真似をしてユニフォームのエリを立てていたという[2]。
- 山本リンダの「どうにもとまらない」を自身のテーマ曲にしており[7]、柏レイソルでの彼のチャントに同曲が使われた際は、本人も「歌は相当良いです。たまらない。」と発言している[9]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2011 |
湘南 |
23 |
J2 |
35 |
9 |
- |
4 |
2 |
39 |
11
|
2012 |
38 |
6 |
- |
1 |
0 |
39 |
6
|
2013 |
8 |
J1 |
32 |
4 |
3 |
0 |
1 |
0 |
36 |
4
|
2014 |
柏 |
13 |
32 |
4 |
10 |
0 |
2 |
0 |
44 |
4
|
2015 |
湘南 |
23 |
33 |
7 |
3 |
0 |
1 |
1 |
37 |
8
|
2016 |
33 |
4 |
5 |
0 |
2 |
1 |
40 |
5
|
2017 |
J2 |
8 |
2 |
- |
0 |
0 |
8 |
2
|
2018 |
J1 |
22 |
0 |
8 |
1 |
2 |
1 |
32 |
2
|
2019 |
大分 |
20 |
0 |
2 |
0 |
2 |
0 |
24 |
0
|
2020 |
11 |
0 |
2 |
0 |
- |
13 |
0
|
2021 |
1 |
0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0
|
相模原 |
8 |
J2 |
4 |
0 |
- |
- |
4 |
0
|
2022 |
23 |
J3 |
11 |
0 |
- |
- |
11 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
184 |
19 |
36 |
1 |
10 |
3 |
230 |
23
|
日本 |
J2
|
85 |
17 |
- |
5 |
2 |
90 |
19
|
日本 |
J3
|
11 |
0 |
- |
0 |
0 |
11 |
0
|
総通算
|
280 |
36 |
36 |
1 |
15 |
5 |
331 |
42
|
タイトル
クラブ
- 専修大学
- 柏レイソル
- 湘南ベルマーレ
個人
代表・選抜歴
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
|
---|
1 - 10,000 |
- 1 マイヤー 1993.5.15
- 100 松波正信 1993.6.9
- 500 水沼貴史 1993.12.1
- 1,000 メディナベージョ 1994.8.17
- 1,500 城彰二 1995.4.5
- 2,000 エジソン 1995.8.12
- 2,500 江尻篤彦 1995.11.15
- 3,000 三浦泰年 1996.8.28
- 3,500 高木琢也 1997.5.3
- 4,000 横山貴之 1997.8.23
- 4,500 レディアコフ 1998.4.25
- 5,000 バジーリオ 1998.9.23
- 5,500 佐藤一樹 1999.4.24
- 6,000 鈴木秀人 1999.11.7
- 6,500 長谷川祥之 2000.7.1
- 7,000 久保竜彦 2001.5.12
- 7,500 久保山由清 2001.11.3
- 8,000 崔龍洙 2002.9.14
- 8,500 ヴァスティッチ 2003.5.18
- 9,000 斎藤大輔 2004.3.13
- 9,500 安貞桓 2004.9.23
- 10,000 前田雅文 2005.5.8
|
---|
10,500 - 20,000 |
- 10,500 今野泰幸 2005.11.12
- 11,000 アンドレ 2006.7.23
- 11,500 田中佑昌 2006.11.18
- 12,000 ウェズレイ 2007.6.23
- 12,500 マルキーニョス 2008.3.16
- 13,000 巻誠一郎 2008.9.14
- 13,500 鄭大世 2009.5.10
- 14,000 中山博貴 2009.11.28
- 14,500 赤嶺真吾 2010.8.22
- 15,000 辻尾真二 2011.5.22
- 15,500 ラフィーニャ 2011.9.18
- 16,000 藤田直之 2012.5.25
- 16,500 永井謙佑 2012.11.17
- 17,000 鈴木大輔 2013.7.17
- 17,500 家長昭博 2014.3.15
- 18,000 興梠慎三 2014.9.23
- 18,500 塩谷司 2015.5.23
- 19,000 高山薫 2015.11.7
- 19,500 遠藤康 2016.7.17
- 20,000 金子翔太 2017.4.21
|
---|
20,500 - 30,000 |
- 20,500 エウシーニョ 2017.9.30
- 21,000 齊藤未月 2018.7.22
- 21,500 興梠慎三 2019.3.9
- 22,000 遠藤渓太 2019.8.24
- 22,500 野上結貴 2020.8.19
- 23,000 ジェイ 2020.11.21
- 23,500 レアンドロ・ダミアン 2021.5.26
- 24,000 ミラン・トゥチッチ 2021.11.27
- 24,500 森島司 2022.7.17
- 25,000 森島司 2023.4.22
- 25,500 植中朝日 2023.10.21
- 26,000 アンデルソン・ロペス 2024.5.29
|
---|
得点王(J1 - J2 - J3) - 記念ゴール(J1 - J2 - J3) |
|
---|
1 - 10,000 |
- 1 岡元勇人 1999.3.14
- 500 ジョルジーニョ 2000.3.12
- 1,000 鳴尾直軌 2000.10.1
- 1,500 エジミウソン 2001.7.28
- 2,000 小石龍臣 2002.4.20
- 2,500 ジョルジーニョ 2002.11.10
- 3,000 アウグスト 2003.8.30
- 3,500 バロン 2004.6.26
- 4,000 永井俊太 2005.5.7
- 4,500 高橋健二 2005.11.23
- 5,000 アジエル 2006.7.29
- 5,500 酒本憲幸 2007.4.15
- 6,000 アンドレ 2007.9.29
- 6,500 レオナルド 2008.6.11
- 7,000 関口訓充 2008.12.6
- 7,500 小松塁 2009.6.24
- 8,000 大西容平 2009.10.4
- 8,500 倉田秋 2010.6.6
- 9,000 東慶悟 2010.12.4
- 9,500 宮吉拓実 2011.8.27
- 10,000 平本一樹 2012.3.17
|
---|
10,500 - 20,000 |
- 10,500 キローラン木鈴 2012.7.8
- 11,000 高山薫 2012.11.11
- 11,500 高原直泰 2013.6.15
- 12,000 ドウグラス 2013.9.29
- 12,500 青木孝太 2014.5.3
- 13,000 城後寿 2014.9.6
- 13,500 片山瑛一 2015.4.5
- 14,000 川辺駿 2015.8.1
- 14,500 島屋八徳 2016.4.3
- 15,000 鄭大世 2016.7.24
- 15,500 船山貴之 2017.3.4
- 16,000 吉田眞紀人 2017.6.25
- 16,500 阪野豊史 2017.10.14
- 17,000 安柄俊 2018.5.6
- 17,500 北爪健吾 2018.8.25
- 18,000 ヨルディ・バイス 2019.4.7
- 18,500 ライアン・デ・フリース 2019.8.4
- 19,000 山田将之 2019.11.24
- 19,500 オウンゴール 2020.9.13
- 20,000 山田将之 2020.12.2
|
---|
20,500 - 30,000 | |
---|
得点王(J1 - J2 - J3) - 記念ゴール(J1 - J2 - J3) |
|
|