香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7]。出生名丸山 菊代(まるやま きくよ)[1][5]、結婚後本名山本 菊代(やまもと きくよ)[8]。1930年代・1940年代の片岡千恵蔵プロダクション、日活京都撮影所、大映京都撮影所での剣戟映画のヒロイン女優として知られる[1]。
人物・来歴
1917年(大正6年)10月28日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東3-4丁目)に生まれる[1][5]。
1935年(昭和10年)3月、旧制・上野高等女学校(現在の上野学園高等学校)を卒業し、京都に移って片岡千恵蔵プロダクションに入社する[1][2]。同年11月29日に公開された『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』(監督振津嵐峡)に出演、主演の片岡千恵蔵の相手役に抜擢されて、満18歳で映画界にデビューした[1][2]。1937年(昭和12年)4月、同プロダクションが解散し、プロダクションごと日活京都撮影所に招かれた際に、千恵蔵らとともに同撮影所に移籍した[1][2]。同プロダクションの最終作品である『松五郎乱れ星』(監督衣笠十四三)にも出演しており、同作は同年7月1日に日活の配給によって公開されている。
同撮影所では、『自来也』(監督マキノ正博、1937年)や『鴛鴦道中』(監督マキノ正博、1938年)といった千恵蔵主演作にひきつづき出演したほか、阪東妻三郎が主演した『恋山彦 風雲の巻』『恋山彦 怒濤の巻』(監督マキノ正博、1937年)や『飛龍の剣』(監督稲垣浩、1937年)、嵐寛寿郎が主演した『髑髏銭 前篇 風の巻』『髑髏銭 後篇 雲の巻』(監督辻吉郎、1938年)や『鞍馬天狗 龍攘虎搏の巻』(監督松田定次、1938年)などに出演、好演を評価された[1][2]。満23歳を迎えた1940年(昭和15年)10月 - 11月に公開された『まぼろし城』三部作(監督組田彰造)で演じた「韋駄天おすみ」役で、人気がヒートアップしたとされる[1][2]。
1942年(昭和17年)1月10日、戦時統合により大映が設立され、同撮影所が大映京都撮影所となった際には、同社に継続入社した[1][2]。第二次世界大戦終結後も、引き続き同撮影所に所属、満30歳を目前とした1947年(昭和22年)秋、同年3月11日に公開された『闇を走る馬車』で共演した16歳上の剣戟俳優・市川朝太郎(本名 山本幸三郎)と結婚、1男をもうけた[1][8]。当時、市川・香住夫妻が所属した大映には、市川の実弟である映画監督・加戸敏(本名 加藤善太郎、1907年 - 1982年)が在籍していた[8]。しかしながら、夫の市川は、結婚の約1年半後の1949年(昭和24年)2月16日、満47歳で死去してしまった[1][8]。『王將』(監督伊藤大輔)への出演以降、しばらくのブランクを経て、図らずも夫が亡くなり、その後の復帰作は、同年4月17日に公開された木村恵吾監督の『花くらべ狸御殿』であった[2][3][4][5][6][7]。
翌1950年(昭和25年)には、大映東京撮影所に異動して、そもそもの出身地である東京に戻った[1][2][3][4][5][6][7]。その後は多くの現代劇に助演し、1961年(昭和36年)に大映を退社した[1][2][3][4][5][6][7]。同年、大映テレビ室(現在の大映テレビ)が製作、フジテレビジョンが放映した連続テレビ映画『少年ジエット』(当時の放映題は『新少年ジエット』)に出演、同作への出演を最後に、満44歳で引退した[1][2][3][4][5][6][7]。劇場用映画への最後の出演作は、同年4月26日に公開された井上梅次監督の『五人の突撃隊』で演じた、川口浩演じる橋本上等兵の母親役であった[5][7]。
1998年(平成10年)11月に上梓された書籍『美剣士』(ワイズ出版)の企画協力に名を連ね、円尾敏郎によるインタヴューが掲載されて、満81歳当時の健在が確認された[9]。2004年(平成16年)8月に発行された『映画論叢』通巻9号には、円尾によるインタヴュー『香住佐代子、香住佐代子と年中思って暮らしております』が掲載された[10]。2006年(平成18年)6月5日付の円尾のブログに「香住佐代子さんは、足の骨を折ってから連絡がとれなくなった」と記述されて以降の消息が不明である[11]。存命であれば、現在満107歳である。
フィルモグラフィ
すべてクレジットは「出演」である[2][3]。公開日の右側には役名[2][3]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[7][12]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。
片岡千恵蔵プロダクション
特筆以外すべて製作は「片岡千恵蔵プロダクション」、初期の特筆以外すべて配給は「日活」、特筆以外すべてトーキーである[2][3][6]。
日活京都撮影所
すべて製作は「日活京都撮影所」、すべて配給は「日活」、以降すべてトーキーである[2][3][6]。
- 『続魔像 茨右近』 : 監督稲垣浩、1939年1月14日公開 - 園絵
- 『三代目親分』 : 監督衣笠十四三・辻吉郎、1939年2月22日公開 - 妾
- 『股旅の唄』 : 監督松田定次、1939年3月23日公開 - おあい
- 『王政復古 担龍篇 双虎篇』 : 監督池田富保、1939年3月30日公開 - 芸妓お幸
- 『春秋一刀流』 : 監督丸根賛太郎、1939年6月1日公開 - 多駄平女房お菊、現存(日活所蔵・VHS発売)
- 『浪人街』 : 監督マキノ正博、1939年6月15日公開 - 重成妻
- 『鞍馬天狗 江戸日記』 : 監督松田定次、1939年7月1日公開 - 芸者お芳、62分尺で現存(日活所蔵・VHS発売)
- 『鞍馬天狗 恐怖篇』 : 監督松田定次、1939年8月3日公開 - 芸者お芳
- 『山彦呪文』 : 監督菅沼完二、1939年8月8日公開 - おほほのお柳
- 『安珍清姫』 : 監督田崎浩一、1939年8月24日公開 - 兼子
- 『いろは仁義』 : 監督紙恭平、1939年9月7日公開 - 澤田清とともに主演
- 『天狗廻状 魔刃の巻』 : 監督田崎浩一、1939年12月29日公開 - お登勢
大映京都撮影所
特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、戦時中の特筆以外すべて配給は「大映」である[2][3][5]。
- 『維新の曲』 : 監督牛原虚彦、応援演出木村恵吾、配給映画配給社、1942年5月14日公開 - 松榮、113分尺で現存(NFC所蔵[14])
- 『大阪町人』 : 監督森一生、製作大映京都第二撮影所、配給映画配給社、1942年6月11日公開 - お辰、69分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『伊賀の水月』(戦後改題『剣雲三十六騎』) : 監督池田富保、配給映画配給社、1942年8月13日公開 - 奥方お貞の方、103分尺で現存(大映所蔵・DVD発売[15])
- 『歌ふ狸御殿』 : 監督木村恵吾、製作大映京都第二撮影所、配給映画配給社、1942年11月5日公開 - 桜姫、31分尺で現存(NFC所蔵[16])
- 『三代の盃』 : 監督森一生、配給映画配給社、1942年12月11日公開
- 『お馬は七十七萬石』(『お馬は七十七万石』) : 監督安田公義、1942年2月24日公開 - 百合、67分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『小太刀を使ふ女』(戦後改題『美女剣光録』) : 監督丸根賛太郎、配給映画配給社、1944年8月3日公開 - お八重、53分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『東海水滸伝』(『東海水滸傳』[7]) : 監督伊藤大輔・稲垣浩、製作・配給大映、1945年7月12日公開 - 役名不明、改修版が『東海二十八人衆』題・83分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『殴られたお殿様』 : 監督丸根賛太郎、1946年3月21日公開 - 萩江
- 『槍をどり五十三次』[3][5](『槍おどり五十三次』[2]) : 監督森一生、1946年11月26日公開 - お米
- 『恋三味線』 : 監督野淵昶、1946年12月17日公開 - お鯉
- 『闇を走る馬車』 : 監督松田定次、1947年3月11日公開 - おもん
- 『月の出の決闘』(『月の出の決斗』[7]) : 監督丸根賛太郎、1947年7月15日公開 - おしま、77分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『王將』 : 監督伊藤大輔、1948年10月18日公開 - 女中お栄、93分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『花くらべ狸御殿』 : 監督木村恵吾、1949年4月17日公開[4] - 老女姥桜、89分尺で現存(NFC所蔵[17])
- 『母恋星』 : 監督安田公義、1949年6月12日公開 - 雅子
- 『三つの真珠』 : 監督安達伸生、1949年6月20日公開 - 塚越加代子
- 『大江戸七変化』 : 監督木村恵吾、1949年7月10日公開 - お信、39分尺で現存(NFC所蔵[18])
- 『わたしの名は情婦』 : 監督森一生、1949年8月22日公開 - 後藤よし枝、88分尺で現存(NFC所蔵[7])
大映東京撮影所
すべて製作は「大映東京撮影所」、すべて配給は「大映」である[2][3][5]。
- 『心の日月』 : 監督木村恵吾、1954年1月15日公開 - 新月の女中、現存(大映所蔵・日本映画専門チャンネルで放映)
- 『荒城の月』 : 監督枝川弘、1954年11月3日公開 - ブロマイド屋のおかみ
- 『母千草』 : 監督鈴木重吉、1954年12月15日公開 - 教会の中年婦人
- 『風雪講道館』 : 監督森一生、1955年4月1日公開 - 矢島家の女中
- 『誘拐魔』 : 監督水野洽、1955年10月12日公開 - 妻綾子
- 『虹いくたび』 : 監督島耕二、1956年2月19日公開 - 京都の宿の女中
- 『人情馬鹿』 : 監督清水宏、1956年4月18日公開 - 役名不明、96分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『踊子』 : 監督清水宏、原作永井荷風、1957年2月12日公開 - 付添婦、96分尺で現存(NFC所蔵[7])
- 『忘れじの午後8時13分』 : 監督佐伯幸三、1957年4月3日公開 - キャバレーの女給
- 『永すぎた春』 : 監督田中重雄、原作三島由紀夫、1957年5月28日公開 - 今井夫人、現存(大映所蔵・DVD発売[5])
- 『花嫁立候補』 : 監督原田治夫、1957年11月22日公開 - 母とき代
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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