風流島[1](たわれじま[2])は熊本県宇土市住吉町の有明海に浮かぶ島である。「たばこ島」[3]「はだか島」[4]ともいう。平安時代からの歌枕として知られる。
概要
島原湾の緑川河口、宇土市住吉町の住吉神社[5]から約400メートル北方の海中に位置する。
東西約65m、南北約40m、高さ9.4m[6]、直径10数m、外周約50m[7]、面積約1200m2[8]の無人の岩礁である。
波による侵食はほとんどなく、島の大きさは平安時代とほぼ変わっていないとみられている[7]。
島の頂上には、「住吉神社」と書かれた鳥居が建つ。
三角大矢野海辺県立自然公園に含まれる住吉自然公園に属する。昭和33年(1958年)、住吉公園として宇土市指定史跡に指定されている[7]。
歴史
地方の岩礁にすぎない小さな島ではあるが、著名な古典文学である『伊勢物語』や『枕草子』にもその名が記されるなど、これらの作品が著された平安期において、島の存在は都にまで知られていた。
- 『伊勢物語』[9] 六十一段
- 「名にしおはゞ あだにぞあるべき たはれ島 浪のぬれぎぬ 着るといふなり」
- 『枕草子』[10] 百九十段
- 「島は八十島 浮島 たはれ島 絵島 松が浦島 豊浦の島 まがきの島」
- 『後撰和歌集』 巻第十九 羇旅 詠み人知らず
- 「名にしおはゞ あだにぞ思ふ たはれ島 浪のぬれぎぬ いく夜着つらん」
- 『後撰和歌集』 巻第十五 雜歌一 朝綱朝臣[11]
- 「まめなれど あだ名は立ちぬ たはれ島 よる白波を ぬれ衣にきて」
平安時代に、この岩礁が都の貴族階級にも知られていたのは、国司などが熊本へ赴く場合、海路、有明海から緑川河口を通るが、緑川河口に浮かぶ風流島が航路の目印となっていたからだと考えられている[12]。
さらに、平安以降も、次のような歌が残されている。
- 『夫木和歌抄』 小宰相[13]
- 「たはれ島 波のぬれぎぬ きる人の 思ひを見せて とふ蛍かな」
- 『松葉集』 詠み人知らず
- 「恋といへば あだなる浪の たはれ島 たはふれにくき までにかけつゝ」
- 『小名寄』
- 「たはれ島 あだし名におふ 君ゆへに 波のぬれぎぬ われもきぬめり」
- 『挙白集』
- 「住む人は いで心せよ たはれ島 ありてふものを 波のぬれぎぬ」
なお、同じく宇土には歌枕として「宇土の小島」[14]があるが、一説には風流島のことであるとされる[15][16][17]。
交通
住吉自然公園の現地案内板付近まで
注釈
- ^ 『和漢三才図会』第八十巻 地部 肥後では「風流(タハレ)島」の漢字表記をする。『肥後国志』も「風流島」で項目を立てる。
- ^ 「たわれ」は、歴史的仮名遣いでは「たはれ」。宗碩による室町時代の歌語辞書『藻塩草』五 水辺では「多波禮嶋」の字を充てる。また、『太宰管内志 下巻』肥後志149頁は「戯(タハレ)島」の漢字表記をする。
- ^ 「たばこ島」なる名について『肥後国志』は、「此島長命草ヲ岩間ニ生ス冬月モ不凋生々トシテ四季共ニ有ル故里俗タバコ島ト云」という(長命草は煙草の異称)。もっとも「近年此長命草不見」とする。
- ^ 『肥後名所方角抄』には宗祇の「肥後国 宇土の内なる 裸島 きたれる波や 衣なるらむ」との歌がある。
- ^ 延久3(1221)年、肥後国司菊池則隆が摂津の住吉大社から分霊を勧招したもの。旧県社。
- ^ 宇土市商工観光課の現地案内板
- ^ a b c 宇土市教育委員会の現地案内板
- ^ 『角川日本地名大辞典 43 熊本』723頁
- ^ 一般に『伊勢物語』の主人公は在原業平とされる。業平の岳父・紀有常は肥後権守であった経歴を持つ。業平の従兄弟・在原安貞も肥後国司であった経歴を有する。
- ^ 作者である清少納言の父で、三十六歌仙の1人として知られる清原元輔は、肥後国司であった。
- ^ 大江朝綱
- ^ 宇土市商工観光課の現地案内板。宇土市教育委員会の現地案内板。
- ^ 土御門院小宰相
- ^ 『藻塩草』『歌枕名寄』に見える法性寺関白藤原忠通の歌「長むれば 思残せる 事ぞなき 宇土の小島の 秋の夜の月」など。
- ^ 『太宰管内志 下巻』肥後志151頁は「〔常足云〕しひていはゞ宇土ノ小島は裸島の事にてもあらむ」との見解を紹介する。
- ^ 『肥後国志』は、「小島」すなわち住吉自然公園の小半島(埋立により旧笠岩村と地続きになる前は島であった)を「宇土の小島」とする。『新撰名勝地誌 巻10 西海道之部』471頁以下も同じ。
- ^ 現地の「住吉神社参拝コース」と書かれた地図には、「伊勢物語の歌枕に枕草子に「宇土の小島の風流島」と掲載されている。」(原文ママ)との記載があるが、『伊勢物語』『枕草子』ともに「宇土の小島の風流島」なる表現は確認できない。
参考文献
- 森本一瑞『肥後国志 巻之11』(熊本活版舎,1885) 56-57丁
- 伊藤常足編『太宰管内志 下巻』(日本歴史地理学会, 1910)肥後志149-151頁
- 『古事類苑 地部 第3巻』(神宮司庁,1914)1345頁
- 田山花袋編『新撰名勝地誌 巻10 西海道之部』(博文館, 1914)471-473頁
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 43 熊本』(角川書店,1987)723頁
関連項目
外部リンク