陽朔県(ようさく-けん)は中華人民共和国広西チワン族自治区桂林市に属する県。桂林盆地の南東端部に位置し[1]漓江西岸にある。カルスト地形による独特の自然景観など、優れた景観があり、呉邁の詩『桂林山水』に「陽朔堪称甲桂林」とうたわれている。
陽朔県には「中国旅遊名県」の異名がある。改革開放以来の対外開放の観光都市の第一陣として、その美しく独特の風景により多くの観光客を呼び、観光業は陽朔経済の支柱産業となった。
名所として、洋人街である西街、映画「劉三姐」の撮影が行われた大榕樹景区・月亮山・龍潭や、新しく開発された世外桃源風景区・胡蝶泉風景区などがある。
映画監督の張芸謀の指揮する大規模な山水を背景にした野外ショー「印象劉三姐」は山水を舞台とした中国初の野外ショーで、何度も改善を行いながら上演され、多くの観光客が訪れている。
また、漓江と碧蓮峰の下の摩崖石刻、徐悲鴻の旧居、孫中山の北伐講演の場所など人文景観もある。
歴史
111年(元鼎6年)、前漢により荊州零陵郡に始安県を設置され、陽朔を管轄した。後漢になると始安侯国に改められた。
265年(甘露元年)、三国時代の呉により陽朔地区に尚安県・熙平県が設置され、荊州始安郡の管轄とした。西晋の泰始年間(265年 - 274年)、尚安県が廃止され、管轄地域は熙平県に編入され、始安郡の管轄とされた。
南朝梁(502年 - 557年)により熙平県は始安県に編入されたが、590年(開皇10年)に隋により始安県の県治が熙平から現在の陽朔鎮に移転し、県治が羊角山麓に置かれ、「羊角」と「陽朔」が同音であることより県名とされ陽朔県が成立した。
621年(武徳4年)に唐により陽朔県の一部に新たに帰義県(県治は白沙鎮旧県村)が設置されたが、627年(貞観元年)に帰義県は陽朔県に統合され、現在まで沿襲された。
行政区画
6つの鎮、3つの郷を管轄する。
区分 |
数 |
名称
|
鎮 |
6 |
陽朔鎮 白沙鎮 福利鎮 興坪鎮 葡萄鎮 高田鎮
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郷 |
3 |
金宝郷 普益郷 楊堤郷
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交通
鉄道
道路
姉妹都市
脚注
- ^ 『コンサイス地名辞典 外国編』、三省堂、1977年7月、P1082。
外部リンク
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