関根 裕之基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
千葉県松戸市 |
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生年月日 |
(1971-12-09) 1971年12月9日(53歳) |
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身長 体重 |
184 cm 86 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1993年 ドラフト1位(逆指名) |
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初出場 |
1994年4月12日 |
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最終出場 |
2003年9月21日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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コーチ歴 |
- 北海道日本ハムファイターズ (2010 - 2011)
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関根 裕之(せきね ひろゆき、1971年12月9日 - )は、千葉県松戸市[1]出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。2010年から2011年までは北海道日本ハムファイターズの二軍投手コーチ、2012年からはチームスタッフ(プロスカウト)を務める。
来歴・人物
小学2年の時に野球を始め、当時は内野手だった[1]。中学時代に投手へ転向[1]した。岩倉高校では3年次の1989年夏の都大会決勝でエース吉岡雄二擁して全国制覇した帝京高校に敗れ準優勝[2]。1990年、東北福祉大学に進学。同大学では2年上に斎藤隆、金本知憲らがいた。2年生になると同期三野勝大より先に頭角を現し、上級生になると日米大学野球にも出場[2]。大学では1年下の和田一浩とバッテリーを組んだ。1993年に日本ハムを逆指名し、契約金1億円で翌1994年に入団した。
当時の即戦力投手の中でも左腕の河原隆一(関東学院大学)に次ぐ目玉選手で、当初は福岡ダイエーホークス入りが有力視されたが、あくまで1位指名にこだわる関根に対してダイエーが難色を示した(ダイエーは逆指名1位で青山学院大学の小久保裕紀を、逆指名2位で即戦力投手を獲得する方針であった)ため、石井貴(三菱重工横浜)を西武ライオンズにさらわれた日本ハムが逆指名1位での入団を打診、獲得にこぎ付けた。最速145km/hの速球に多彩な変化球を持ち、コントロールも安定していたことから「即戦力として最も期待できるのは関根だろう」とも言われていた。
1994年に3勝を挙げて飛躍が期待されたが、翌年から故障に悩まされ球速も減速した。その後技巧派として活路を見出し、1998年には9勝をマークした。その頃から千葉ロッテマリーンズには滅法強かった。
1999年、2000年には連続で二桁勝利をマークするが、その後、また故障に悩まされた。2003年には一度復活の兆候を見せたが、走者を出すと打たれる勝負弱さが直らず、2004年は一軍での登板がなかった。2004年シーズン限りで戦力外通告を受けるが、打撃投手として再雇用された。
2010年には、日本ハムの一軍投手コーチに就任したばかりの小林繁が同年1月17日に急逝したため、二軍投手コーチだった島崎毅が一軍投手コーチを務めることになり、それに伴い、打撃投手だった関根が二軍投手コーチに就任した。
2011年11月10日付けで来季のコーチ契約を結ばないことが通達され、12月9日付でチーム統轄本部プロスカウト契約を結ぶ。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1994
|
日本ハム
|
19 |
6 |
1 |
0 |
0 |
3 |
4 |
0 |
-- |
.429 |
251 |
57.2 |
59 |
9 |
27 |
0 |
1 |
72 |
5 |
0 |
33 |
31 |
4.84 |
1.49
|
1996
|
9 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
-- |
.000 |
81 |
19.1 |
17 |
0 |
12 |
1 |
0 |
15 |
1 |
0 |
5 |
5 |
2.33 |
1.50
|
1997
|
17 |
13 |
0 |
0 |
0 |
3 |
6 |
0 |
-- |
.333 |
288 |
69.1 |
70 |
7 |
20 |
0 |
2 |
30 |
4 |
0 |
35 |
33 |
4.28 |
1.30
|
1998
|
25 |
25 |
2 |
1 |
0 |
9 |
7 |
0 |
-- |
.563 |
673 |
160.2 |
159 |
21 |
44 |
3 |
4 |
75 |
3 |
0 |
68 |
60 |
3.36 |
1.26
|
1999
|
24 |
24 |
3 |
1 |
0 |
12 |
8 |
0 |
-- |
.600 |
589 |
139.0 |
142 |
28 |
36 |
0 |
4 |
78 |
0 |
0 |
73 |
67 |
4.34 |
1.28
|
2000
|
29 |
23 |
4 |
1 |
0 |
10 |
6 |
0 |
-- |
.625 |
601 |
137.2 |
142 |
15 |
50 |
0 |
1 |
98 |
4 |
1 |
80 |
75 |
4.90 |
1.39
|
2001
|
11 |
11 |
1 |
0 |
0 |
2 |
4 |
0 |
-- |
.333 |
288 |
69.2 |
57 |
12 |
21 |
0 |
1 |
53 |
0 |
1 |
33 |
26 |
3.36 |
1.12
|
2002
|
12 |
10 |
1 |
1 |
0 |
3 |
4 |
0 |
-- |
.429 |
250 |
61.2 |
51 |
12 |
16 |
0 |
1 |
55 |
4 |
0 |
27 |
27 |
3.94 |
1.09
|
2003
|
34 |
11 |
0 |
0 |
0 |
5 |
5 |
0 |
-- |
.500 |
353 |
80.0 |
92 |
15 |
29 |
2 |
1 |
49 |
2 |
0 |
54 |
53 |
5.96 |
1.51
|
通算:9年
|
180 |
124 |
12 |
4 |
0 |
47 |
45 |
0 |
-- |
.511 |
3374 |
795.0 |
789 |
119 |
255 |
6 |
15 |
525 |
23 |
2 |
408 |
377 |
4.27 |
1.31
|
記録
- 初記録
-
- 初登板:1994年4月12日、対オリックス・ブルーウェーブ1回戦(東京ドーム)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に小川博文から
- 初勝利:1994年4月20日、対西武ライオンズ2回戦(東京ドーム)、6回表1死に4番手で救援登板・完了、3回2/3を無失点
- 初先発:1994年4月24日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、1回1/3を3失点(自責点2)で敗戦投手
- 初先発勝利・初完投勝利:1994年5月1日、対福岡ダイエーホークス3回戦(東京ドーム)、9回2失点
- 初完封勝利:1998年8月25日、対千葉ロッテマリーンズ19回戦(東京ドーム)
- その他の記録
-
背番号
- 12 (1994年 - 1995年)
- 47 (1996年 - 2004年)
- 69 (2005年)
- 94 (2006年)
- 84 (2010年 - 2011年)
脚注
- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、305ページ
- ^ a b '94スポニチプロ野球手帳
関連項目
外部リンク
野球日本代表 |
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