長沢 美樹(ながさわ みき、1970年7月11日[4][5] - )は、日本の声優、舞台女優[4]、ラジオパーソナリティ。北海道帯広市出生[1]、福島県郡山市出身[2]。アトミックモンキー名誉会長、同社所属[3]。劇団ヘロヘロQカムパニー所属[4]。
経歴
生い立ち
小さい頃から本を声に出して読むことが好きであり、小学時代、国語の授業で教師から指されて教科書を音読することが楽しみという子供だった[6][7]。しかし、自分から「先生が早く私を指してくれないかな」と手を挙げて読むようなことはできなかったという[7]。
小学生時代に『風と共に去りぬ』を見て映画のみならず漫画、小説などにも手を出し、その影響を受ける。中学時代は「校内放送をしなくちゃならないから、放送部員は掃除の時間にさぼれる」という理由で放送部に所属[6]。昼休みに好きな音楽をかけ、紹介文を読むうちに声の仕事に興味を持つようになった[7]。放送部では特にレッスンなどは何もしていなかった[7]。当時は、芝居に興味はあまりなく、演劇部の皆が発声練習をしているのを見て、「よく人前で大声を出したりできるな」と感心していた[7]。放送部は演劇部の公演を録画する役目だったが、その時は自分がやる側になるとは思ってもいなかったという[7]。6年上の姉がアニメ好きで、姉から職業としての声優があることも教わって、アニメに興味を持つようになった[7]。
高校時代も放送部に所属して朗読、アナウンスコンクールなどに出場しており、練習するうちに「声の仕事ができたらいいな」と思うようになった[7]。校内放送を担当しているうちに「面白かったよ」、「良い声だね」のような感想を貰えることが嬉しくなった[6]。高校生3年生の秋の進路決定の際は、当初はアナウンサー志望であった[6]。しかし色々調べたところ、アナウンサーはただ声を出すだけではなく、顔も頭も声も良くなくてはいけないと知り断念[6][7]。またアナウンサーにはとても固いイメージを描いていたため、「もっと明るく楽しくできる声の仕事はないのかな」、「他の道はないのかな」と考え、「あ、声優という道もあるじゃないか」と思い立ち最終的には声優となる道を選ぶ[6][7]。声優になろうと思ったその日にアニメ雑誌『アニメージュ』を買いに行き、最初に見つけた勝田声優学院の案内書を請求した[7]。しかし大雨でグチョグチョの案内書が届き、「声優になるな」ということだと一度は諦めかけたが、勝田側の手違いで再び案内書が届き、「やっぱり声優になる運命なんだ」と思ったという[8]。
大学受験に失敗し、両親に東京の予備校に通うという条件に週1回の養成所に通うことを認めてもらって一人暮らしをしながら予備校と養成所に通う[7]。
両親は声優になることは反対していたが、「どうしてもなりたいから許してもらえないだろうか」と必死に説得していた[9]。父は長い間反対していたが、母は途中からは応援してくれるようになったという[9]。
勝田声優学院[7]、俳協ボイスアクターズスタジオ第1期生[10]。
勝田声優学院時代は、4年間通い、通常は3年間しか在籍できないが、講師に好きだった水鳥鐵夫がおり、水鳥が開いていたゼミをもう1年間受講したいと思い、勝田久に直談判をして「もう1年通わせてくれないか」と頼み込み、留年という形にしてくれた[6][7]。その時に勝田には「前例がない」と渋っていたが、「前例がないなら前例を作ってください!」と頼み込んで認めてくれた[6][7]。
水鳥と野沢雅子のレッスンを選択して、週2回通っていた[7]。前述の通り、大学受験には案の定失敗し、2年目からは声優のレッスンに専念することになった[7]。
水鳥によるレッスンで好きだったところは「舞台の基礎、役作りとはいかなるものか」という教えで、ちょっとした間のとり方、空気感の出し方、役を作る過程の中で、その役の背景も考えることなどを教わったという[7]。
養成所は週1回だけだったため、予備校を終えた後、新宿中央公園で仲間と集まり、2~3時間ほど自主練習していた[7]。しかし公園の近隣の人物から苦情が来たため、その後は公共の施設を借りて練習していた[7]。
養成所時代は挙手制で、自主性を強く求められるレッスンだったが、当初の1、2ヶ月は手が挙げられず、自分でもすごく悩み、「このままじゃ、なんのために東京に出てきたのかわからない」と思った[9]。決意して手を挙げるようになってから徐々に殻が破れたようであったが、人前で萎縮せずに大声が出せるようになるまで半年ぐらいかかった[9]。自主練習を公園で皆としてた時は恥ずかしがらずにできたが、レッスン中に一人でとなると中々慣れなかったという[9]。
得意なレッスンのは滑舌の稽古で、早口言葉、外郎売り、基礎の基礎のような稽古をするのが好きであった[9]。ただし、単に早口でするというのではなく、きれいな音で一語一語発音できるようになるまで練習したあと、早口にしていくといった稽古をしていた[9]。
逆に苦手だったのはエチュードで、「テーマを与えられて、即興で自分でショートストーリーを考えて演じる」ということがなかなかうまくできなかった[9]。逆に戯曲を与えられて、それを掘り下げていくのは好きだが、何かを自分で作り出さなくてはいけないという作業は苦手で、2004年時点でも得意ではないという[9]。
どちらの養成所でもとても先生に恵まれたと感じており、授業はとても厳しく、口調は優しいが、目が厳しかったという[9]。
勝田声優学院時代での最初のレッスンでは、勝田から「やる気がないのだったら、すぐにやめていいから帰りなさい」と言われた[9]。「あの厳しさが無かったら、もう少し甘い考えでいてしまった」と語る[9]。レッスン中に怒鳴られると、あまりの怖さに泣いていた[6]。それまでに演技経験なども全くなかったため、発声、滑舌といった基礎から全て勝田声優学院で教わったことから、2010年時点でも「あのとき教わっていて良かった」と思っている[6]。一番心に残っている教えは、プロとしての心構えであり、勝田からは口癖のように「そんなことならお嫁さんになったほうがいい」と言われた[6]。声優としてだけでなく、人間としての基礎の部分を叩き込まれたのが大きいと語る[6]。
養成所2年目で仕事を貰ったことがあったが、それが原因でクラスで仲間はずれになったこともあった[10]。そんな中で、兄貴分の人物、同期が応援してくれた[10]。その時は自分の何がいけなかったかを真剣に考えていた[10]。「ここでその人たちを嫌いになったり妬んだりすることをしても、嫌な人と同じになってしまうだけだ」、「この悔しいという思いを自分のために努力することで戦ってみよう」と思ったことが大きなバネになり、「誰よりもレッスンしていこう」と1人になっても自主練習をしていた[10]。
1年目2年目は、「このクラスで一番にならなきゃいけない」という思いが常にあった[10]。その時に「発声で一番声を出せる人がいたら、その人より大きな声を出せるようになろう」、「演技で褒められた人がいたらその人のどこが良くて褒められたんだろう」、「その人よりいい演技ができるようになろう」、「とにかく一番にならなきゃ」とばかり考えており、「稽古虫」という渾名がつくほど人一倍、様々な稽古していたと語る[10][11]。週に2、3回仲間で集まり稽古するほかに、風呂に入った時には五十音を全部言うようにする、「外郎売り」をつっかえずに言えなければ湯船から出てはいけないなど、長沢なりに方法を考えて練習していた[10][11]。
キャリア
声優としてのデビュー作は養成所時代のドラマCDのギリシャ神話の物語の石像の乙女役で、台詞は「あなた……」という一言だけであった[10]。初めてギャランティを貰った際は嬉しさのあまり「一生取っておこう」と思ったが、結局一週間も経たずに無くなってしまったという[10]。初めてプロの声優と仕事ができたのは貴重な経験であったが、その後しばらくは仕事を貰えなくなくなってしまった[10]。アニメでのデビューは『それいけ!アンパンマン』のクレヨンマン役[8]。
1年後には東京俳優生活協同組合[10][12]の所属になったが、色々なオーディションを受けて落ちまくり、「この先ずっと受からないのじゃないか」と真剣に悩んでいた[6][13]。
オーディション不合格が続くので落ち込んでいた時、「今までオーディションを受けていても、合格することばかりを考えていて、お芝居を楽しんでいなかったな」「自分の100%を出し切れていないな、なんかもったいないな」とふと気がついた[6][13]。
ディレクター、監督など素晴しいスタッフが一瞬でも注目してくれていたが、「緊張だけで終わらせるのはすごくもったいないな」とそれで「肩肘張るのやめよう、受からなきゃと思うのやめよう。それよりはこの瞬間自分の声を聞いてもらえたことに感謝しよう」と思った[13]。
初めてオーディションで受かった作品はOVA『KEY THE METAL IDOL』[6]。
当時は原稿をもらい、「私はこうやって演じてみたいということを素直にやってみよう」と思ったという[13]。
デビュー後、オーディションは「これを表現しなさい」と原稿を渡されたが、当初は非常にとまどっていた[13]。当時一緒に仕事をしていた先輩に「今日の私どうだったでしょうか?」と電話をしてアドバイスを求めたくらいであったが、その先輩に、「そんなことを人に聞くようじゃだめだよ。それを自分で考えて自分でやっていけるようじゃないと仕事はやっていけないよ」と言われた[13]。その時はすごくショックであったが、「その通りだな」と納得して、図々しく先輩に聞いたことで気づくことができたことから、結果的に「よかったな」と思った[13]。養成所時代はクラスで1番になれば目標達成だったが、いざデビューとなると番組やオーディションで受かる人物は1人であったことから、デビューした後は果てしなく大きい目標となったという[13]。
転機になった作品は『新世紀エヴァンゲリオン』の伊吹マヤ役[6]。個人的に嬉しかった役は、『それいけ!アンパンマン』のクリームパンダ役であり、出演が決まる前から1年くらい収録見学をさせてくれた憧れの作品なため、「レギュラー出演できる」と決まった時には、嬉しさでいっぱいであった[6]。2010年時点では収録の時は、幸せを噛みしめながら演じているという[6]。
初主役は『吸血姫美夕』の美夕役となる[14]。
その後、勝田声優学院からの同期で同じく俳協ボイスアクターズスタジオ第1期生だった関智一[10]とともにアトミックモンキーに所属することになる。
人物・エピソード
子供の頃は『機動戦士ガンダム』が大好きで、宇宙に行きたくて宇宙飛行士になる夢も持っていた。自分の婿はアムロ・レイと心に決めていて、自分に子供が生まれたら「アムロとレイ」と名前をつけようと思っていたが、周囲から反対された。後に安室奈美恵がデビューした際は「先を越されたな」と思ったりしたとも語っている[8]。
養成所時代は「どうせアルバイトをするならデスクワークとかではなく、人と接して、会話ができるアルバイトがいい」と思い、先生から「いろいろな人と会話ができる人になりなさい」というアドバイスを貰ったこともあったため、東京都渋谷区原宿でウエイトレスをしていた[9]。5年間働いていたが、理解のあるアルバイト先でもあり、稽古やレッスンで週1回ぐらいしか出勤できなくなっても、クビになることはなく「ガンバレ」と応援してくれたという[9]。
19歳当時、ロンドンブーツ1号2号の田村淳とはイタリアンレストランのアルバイト仲間(田村は調理担当)だった[9]。
趣味・特技は木刀で素振り[3]。
特色
『吸血姫美夕』に出演するまではどちらかというと活発なキャラクター役が多かったが、美夕役で初めて感情をあまり表に出さないキャラクターを演じた[14]。そのため『吸血姫 美夕』を始めたばかりのころは、かなりとまどい、一所懸命抑えているつもりだったが、ふとしたときに感情を出し過ぎてしまうため、スタッフから「美樹ちゃんもっと抑えて抑えて」と注意されていた[14]。感情を抑えた演技をしているとストレスが溜まり、収録が済んだ後にカラオケに行ってストレス発散をしていたという[14]。
『吸血姫 美夕』と同じころからラジオ番組を担当してくれるようになった[14]。ラジオではものすごくハイテンションになったりするため、ラジオ番組で長沢を知った人物は「あの長沢が美夕を演じるのか!」と驚いたようだった[14]。逆に『吸血姫 美夕』から長沢を知った人物は、出演しているラジオを聴いてがっかりされたかもしれないといい、そのくらい、演じている役とラジオでの長沢はギャップがあった[14]。ラジオは素のままに近い自分が出せ、毎週「こんなことがあったんだよ」とコンスタントに出し、アニメ番組とはまったく違った感じがしていた[14]。ただし、切り売りしていくような一面もあるため、ラジオ番組を週4本していた時は、どの番組でどんな話をしたのか解らなくなることもあった[14]。
切り売りが激しくなったきっかけは、『智一・美樹のラジオビッグバン』で、「昔、関智一と付き合っていた」とカミングアウトした瞬間は2010年時点では忘れられないという[14]。そんな話になるとは思っていなかったスタッフも騒然としていたが、リスナーからの反響が大きすぎて、一気に汚れ人生に転落したような気がしていた[14]。しかし「そうなって損をしたか」というとそうでもなく、「あの汚れっぷりなら、こんな役も演じられるんじゃないか」のような話をくれることもあり、演技の幅が広がったんではないかと語る[14]。
台本をくれてもブレスやト書きやアドリブなどのチェックはしていくが、「具体的にこうしよう」と固めていかないようにはしている[13]。現場で求められることへの瞬発力を大事にしているという[13]。
ラジオ冒頭で「がっつんわ!!」と挨拶するのが恒例である[15][16]。長沢が作るカレーライスはそれに由来して「がっつんカレー」と呼ばれている[17]。
声優としての仕事、ラジオ番組以外に劇団も活動しているが、当初は舞台演技をするつもりは全くなかった[14]。無知だったころは、職業としての声優は国語の授業で教科書を音読するようなもので、「舞台演技の素養が必要だ」とは思っていなかった[14]。
勝田声優学院の2年目の舞台演技で初めて「舞台ってこんなに面白かったんだ」と気づいたくらいだった[14]。レッスンを通して舞台演技の面白さに惹かれていくうちに、劇団に所属して定期的に舞台を活動している声優も多く、「私もいずれそうできたらいいな」と思うようになった[14]。その時に、関智一から、「一緒に劇団をやらないか」と誘われた[14]。講師から「同期のメンバーで劇団を作ると内輪受けになりがちで、自分の成長に繋がらない」とアドバイスをくれたこともあったため、関の誘いは断り、先輩が活動している劇団に入団するつもりだった[14]。ところが関が会うたびに「自分達でやりたいものをやるのが一番楽しいよ。道を拓こうよ」と誘いをかけてきて、数か月続いていたころ、根負けして「解りました。一緒にやらせていただきます」と折れた[14]。当時、劇団で日記をつけていたが、そこに「長沢、陥落」と書かれていたという[14]。
出演
太字はメインキャラクター。
テレビアニメ
- 1994年
-
- それいけ!アンパンマン(1994年 - 、ネコ美〈4代目〉[要出典]、クレヨンマン、あじさいさん〈初代〉、オーロラ姫〈初代〉、クルミちゃん〈初代〉、クリームパンダ、カレン〈6代目〉、ゆでたまごちゃん〈2代目〉、にじおばけ、ぎんなんぼうやC、母親、オニオン鬼〈2代目〉)
- マクロス7(オペレーター1)
- モンタナ・ジョーンズ(羊飼い)
- 1995年
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- 1996年
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- 1997年
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- 1998年
-
- 1999年
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- 2000年
-
- 2001年
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- 2002年
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- 2003年
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- 2004年
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- 2005年
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- 2006年
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- 2007年
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- 2008年
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- 2009年
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- 2010年
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- 2011年
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- 2012年
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- 2013年
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- 2014年
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- 2016年
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- 2017年
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- 2018年
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- 2019年
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- 2022年
-
劇場アニメ
- 1997年
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- 1998年
-
- 1999年
-
- 2000年
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- 2001年
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- 2002年
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- 2003年
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- 2004年
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- 2005年
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- 2006年
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- 2007年
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- 2008年
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- 2009年
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- 2010年
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- 2011年
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- 2012年
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- 2013年
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- 2014年
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- 2015年
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- 2016年
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- 2017年
-
- 2018年
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- 2019年
-
- 2021年
-
- 2022年
-
- 2023年
-
OVA
- 1994年
-
- 1995年
-
- 1996年
-
- 地獄堂霊界通信(新島良次)
- すすめ!ゴジランド ゴジラとあそぼう たしざん(バラゴン)[5]
- すすめ!ゴジランド ゴジラとあそぼう ひきざん(バラゴン)[5]
- 1997年
-
- 1998年
-
- 1999年
-
- 2000年
-
- 2001年
-
- 2002年
-
- 2003年
-
- 2004年
-
- 2006年
-
- 2011年
-
Webアニメ
ゲーム
- 1993年
-
- 1994年
-
- 1996年
-
- 1997年
-
- 1998年
-
- 1999年
-
- 2000年
-
- 2001年
-
- 2002年
-
- 2003年
-
- 2004年
-
- 2005年
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- 2006年
-
- 2007年
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- 2008年
-
- 2009年
-
- 2010年
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- 2011年
-
- 2012年
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- 2014年
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- 2015年
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- 2017年
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- 2019年
-
- 2021年
-
- 2023年
-
- 2024年
-
ドラマCD
カセットブック
- アニメイトカセットコレクション 機動戦艦ナデシコ 「ナデシコ対ゲキ・ガンガー対宇宙人」……って、オイ!?(マキ・イズミ)
- アニメイトカセットコレクション 機動戦艦ナデシコ 2 ナデシコ・ばらえてい(仮題)(マキ・イズミ)
吹き替え
映画
ドラマ
アニメ
特撮
映画
ラジオ
ラジオドラマ
舞台
テレビ
バラエティー
CM
アプリ
CD
- CDアルバム わたしは好き(発売日 1998年4月19日)
その他コンテンツ
脚注
シリーズ一覧
- ^ 『GGENERATION』(1998年)、『ZERO』(1999年)、『F』(2000年)、『F.I.F』(2001年)、『SPIRITS』(2007年)、『WORLD』『3D』(2011年)、『OVER WORLD』(2012年)、『GENESIS』(2016年)、『CROSSRAYS』(2019年)
- ^ 『エクストリームバーサス』(2010年)、『フルブースト』(2012年)
出典
参考文献
外部リンク
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代表取締役 | |
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所属声優 |
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その他所属タレント |
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旧・所属声優 | |
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