野見山 清造(のみやま きよぞう、1905年(明治38年)3月10日[1] - 1981年(昭和56年)9月7日[1][2][3])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
福岡県出身[1][2]。1918年(大正7年)川津尋常高等小学校(現飯塚市立片島小学校)を卒業した[2]。
野見山鉱業所取締役、飛川鉱業所社長を務めた[2]。また、二瀬町議会議員、同議長を経て[2]、1951年(昭和26年)福岡県議会議員に選出され3期在任し、1960年(昭和35年)6月27日に同議長となり1963年(昭和38年)4月17日まで2期務めた[1][4]。
1963年(昭和38年)11月21日の第30回衆議院議員総選挙に福岡県第2区から自由民主党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[1][2][3]。
その他、日本遺族会理事、福岡県遺族会会長、城南タクシー社長などを務めた[1][2]。
1981年9月7日、肺癌により飯塚市の飯塚病院で死去した[3]。
脚注
参考文献
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。