野崎孝野崎 孝(のざき たかし、1917年〈大正6年〉11月8日[1] - 1995年〈平成7年〉5月12日[1])は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 『ライ麦畑でつかまえて』など一連のサリンジャー作品のほか、フィッツジェラルドやヘミングウェイ、スタインベックなどの翻訳で知られる。 略歴パン屋の長男として青森県弘前市に生まれる[1]。1929年、旧制弘前中学校(青森県立弘前高等学校の前身)に入学[1]、4年間を首席を通し[1]、語学の天才と讃えられる[1]。4年修了で旧制弘前高等学校(弘前大学の前身)に入学[1]。1937年、東京帝国大学文学部イギリス人文学科に進み[1]、中野好夫に師事[1]。卒業後は東京の商業学校などで教鞭を執る[1]。第二次世界大戦で出征、中国大陸で転戦する。復員後は母校の弘前高等学校教授[1]を経て、1949年から1950年まで新制の弘前大学助教授[1]。上京後、1951年中央大学文学部教授、1970年旧・東京都立大学教授、定年後は帝京大学教授を務めた。 サリンジャーの訳者として『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.Salinger The Catcher in the Rye )初刊は1964年に白水社から上梓。なお初訳の訳題は、1952年に橋本福夫訳で、"J・D・サリンガー"『危険な年齢』(ダヴィッド社)だった。野崎は当時の深夜放送からヒントを得て、若い世代の語法と感覚に迫った訳出を行い、当時の読書界に反響を起こした[1]。主人公ホールデン・コールフィールド少年が一方的に語る話し方は、50年代のアメリカのティーンエイジャーの口調を的確に捕らえたものと激賞されたが、野崎自身はその和訳は至難の業だったと述懐している[2]。 2003年に村上春樹の新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が、同じ白水社で出版するまで、約40年間にわたり定訳の位置を占め続け百数十版を重ねた。 著書
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