譚(たん、紀元前11世紀 - 紀元前684年)は、周朝の諸侯国。国君は姒姓(中国語版)。
周初(紀元前11世紀)に武王により譚に封じられた。現在の山東省済南市章丘区の西に位置し、爵位は子爵。国力は常に弱く、斉の附庸国となった。
斉の公子小白が亡命したとき、譚を通過したが、譚の国君は厚く饗さなかった。後に小白が即位すると(桓公)、譚は祝賀のための使者を送らなかった。結果、譚は紀元前684年、斉により滅亡し、譚の国君は同盟国の莒(中国語版)に亡命した[1]。譚は後代、国名を姓氏とした(譚)。
脚注
- ^ 『春秋左氏伝』荘公十年:斉侯(斉桓公)之出也,過譚,譚不礼焉。及其入也,諸侯皆賀,譚又不至。冬,斉師滅譚,譚無礼也。譚子奔莒,同盟故也。