藤原 親国(ふじわら の ちかくに)は、平安時代中期の貴族。藤原北家山蔭流、加賀守・藤原為盛の子。官位は従四位上・大和守[1]。
経歴
権大納言・藤原能信の家司を務めた。三条朝の長和2年(1013年)左近衛将監の官職にあったが、斎宮・当子内親王の初斎院に際して、左近衛権中将・藤原能信らとともに御前に供奉している。
後一条朝にて中務権少輔・左衛門佐など京官を歴任。のち、後朱雀朝で大舎人頭に河内守を兼ねると、後冷泉朝の康平3年(1060年)大和守に任ぜられるなど受領も務めた。
親国自身は従四位上に終わったが、娘の親子が白河天皇の乳母となり従二位に叙されている。
官歴
系譜
脚注
- ^ 『尊卑分脈』山蔭流
- ^ 『御堂関白記』
- ^ 『小右記』長和2年8月11日条
- ^ 『権記』
- ^ 『小右記』
- ^ 『平安遺文』1083
- ^ 『定家朝臣記』
参考文献