藤原 浜主(ふじわら の はまぬし)は、平安時代初期の貴族。藤原北家、右大臣・藤原園人の長男。官位は従四位上・安芸守。
経歴
薬子の変終結後の弘仁元年(810年)11月に従六位下から四階の昇叙により従五位下に叙爵。のち、出羽介・近江権介と地方官を経て、右京亮・大学頭を歴任する。弘仁9年(818年)右大臣として太政官の首班にあった父の園人が没するが、弘仁11年(820年)従五位上、弘仁13年(822年)正五位下次いで従四位下と嵯峨朝末にかけて急速に昇進し、この間に侍従・神祇伯を務めた。
のち、天長4年(827年)従四位上・阿波守、承和7年(840年)安芸守に叙任されるなど淳和・仁明朝にて地方官を務めている。承和12年(845年)1月4日卒去。享年61。
人物
身長六尺(約182cm)の長身で、容儀に見るべきものがあった。一方で、身体が弱かった事から天皇に拝謁する事が稀であり、名家の子息でありながら、功績を残したとの評判が無く、残念な事と思われた[1]。
官歴
『六国史』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
- ^ 『続日本後紀』承和12年1月4日条
- ^ a b 『尊卑分脈』の諸本の中に、丹治松成の娘と藤原興雄について、浜主の甥である時相の妻子とするものもある。
出典