developmental novel、教養小説、自伝、realist novel、一族の物語
『若草物語』(わかくさものがたり、英: Little Women、直訳: 小さな婦人たち)は、アメリカの作家ルイーザ・メイ・オルコットによる半ば自伝的な小説であり、児童文学、家庭小説、少女小説、青春小説、教養小説、女性文学である(『若草物語』以外にも多くの邦題がある)。1868年に出版された後、人気を受けて、第二部が1869年に出版された。19世紀後半のアメリカを舞台に、マーチ家の四人姉妹を描いた物語である。続篇としてLittle Men(リトル・メン、第三若草物語)、Jo's Boys(ジョーの少年たち、第四若草物語)があり、次女のジョーが開いた学園の生徒たちが描かれる。
『若草物語(Little Women)』は、オルコットが姉妹たちと過ごした子ども時代を元にした、半ば自叙伝的な物語である。タイトルは、「小さなご婦人(Little Women)たちになるように」という父親の指導から来ている[1]。単なる幼い少女ではなく一人の立派な女性であるという意味合いで用いられていた。
マーチ家の姉妹と母を中心に描かれており、父は現実の著者の父と異なり、南北戦争に従軍する牧師とされ、物語冒頭から不在である。姉妹たちは母の導きによって、不在の父の希望どおり、家族や隣人たちとの交流の中で、それぞれ欠点を克服し、自らの生き方を探し、見極めようとする過程が描かれている[2]。姉妹と母、隣家のかなり女性的な感性を持つ男性たちとの交流のエピソードの連続で物語は進む[2]。
1869年の『若草物語』第二部(イギリス出版時のタイトル Little Women Married, or Good Wives、「良き妻たち」[3]。邦題『続若草物語』他)は、マーチ家の姉妹の青春時代、成人期と結婚のエピソードに入っていく。アメリカでは、1880年の時点で、第一部(1868年)と第二部(1869年)が1冊の本として出版されており、Little Womenといえば第二部までを指すが、日本では第一部が『若草物語』と認識されている[4]。本作は1906年(明治39年)に、北田秋圃が『小婦人』[注釈 1](しょうふじん)のタイトルで初めて翻訳した。邦題は多様であったが、1933年の映画と、ほぼ同時に出版された矢田津世子による抄訳以降、『若草物語』のタイトルが使われるようになり、現在ではおおむねこのタイトルで知られている。
アメリカは伝統的に親と子の関係が重視されており、19世紀後半に、少女を主人公に、家庭内の人間関係にフォーカスした新しいタイプの物語群が登場し、これが家庭小説(家庭物語)と呼ばれた[5]。『若草物語』は、この家庭小説を代表する作品である[5]。欧米では、結婚を扱う第二部までがLittle Womenであるため、児童文学であるとともに女性文学であるともみなされている[6]。アメリカでは女性に非常に愛読されており、アメリカ文学者の渡辺利雄は、アメリカでは少女時代、ほとんどすべての女性が本作を読んでおり、また、自立し創造的な職業を選んだ女性の多くが本作の感想や思い入れを残していることからも、「女性の自立に大きな刺激を与えたことは、歴史的に、実証済みといってよいだろう。」と述べている[7]。
日常生活の中で、親しみのある多様なエピソードが次々に描かれ、難しく考えずとも素直に楽しめ、読者がそれぞれ教訓を得ることもできる作品である[8]。本作には光と影とも言える二面性があり、女性の良妻賢母としての役割を支持する小説、家父長制的な社会を批判し、保守的な道徳観、女性観を批判する小説という相反する側面が認められてきた[8]。どちらに焦点を合わせるかにより、違った読み方ができ、そのため、時代が変わっても長きにわたって愛読されてきた[8]。日本の読者からは、輝きに満ちた少女時代を描く作品、その少女時代を温かく思い出させる、郷愁を誘う作品として、主に光の面に焦点を当てる形で受容されているようである[9]。
各国で映画・演劇に加えアニメや漫画としても愛されてきた。1933年・1949年のMGM映画は良く知られていおり、2019年の映画も高く評価された。7度映画化されているが、苦難を乗り越える家族の絆に重点を置いたり、フェミニズムの立場から描くなど、解釈と再構成の仕方が作品ごとに異なっている[10]。現代日本では、小説を読むのではなく、映画やアニメで触れた人が多いようである[7]。
Little Women, or Meg, Jo, Beth and Amy, 1868年(原題:小さな婦人たち。邦題:若草物語、小婦人、リトル・ウィメン、四少女、四人姉妹、順(おとな)しい少女達、愛の姉妹、乙女の幸福、他)
Little Women第二部 または、Little Women Married, or Good Wives, 1869年(原題:小さな婦人たち 第二部。結婚した小さな婦人たち ― 良き妻たち(イギリス版)。邦題:四少女、続若草物語、愛の四姉妹 他)
オルコットは、ホラス・フラーの依頼で雑誌「メリーズ・ミュージアム(英語版)」の編集者になり、年俸500ドルの固定の収入を得るようになり、ここでロバーツ・ブラザーズ(英語版)社のトーマス・ナイルズに出会った[23]。ナイルズは、オルコットが南北戦争での看護婦としての経験をもとに書いた作品『病院のスケッチ(英語版)』を高く評価しており、1867年に、ホレイショ・アルジャーやオリバー・オプティック(ウィリアム・T・アダムス(英語版))らの少年向けの本に対抗できるような、女の子向けの本の執筆を提案した[24][25][26]。
子供の頃おてんば娘だったオルコットは、日記に「女の子が好きではないし、(姉妹以外に)知っている女の子も少ない」と書いており、少女向けの物語を書くのに自分は向いていないと感じており、引き受けるか何か月も悩んだが[25][26]、1868年に父ブロンソンが自分の哲学書を出版するためにナイルズを説得しようと、娘は妖精物語を執筆することができると言い、ナイルズは、もしオルコットに(妖精物語ではない)女の子向けの物語を書かせることができたら、ブロンソンの哲学書を出版すると答えた[27]。そこでオルコットは嫌がりながらも、父親を喜ばせ、その執筆活動を助けるために、また、家族の慢性的な貧困状態をどうにかするために、姉妹とともに育った自分の思春期を材料に女の子向けの物語を執筆することになった[27][28][26]。
『若草物語』の執筆について、作者は「こつこつ書いてはいるけど、こういう作品は楽しくない」と日記に書いているが、その後「少女向けの生き生きした飾り気のない作品が大いに必要とされている」ので頑張ってみようと述べている[29]。オルコットはこの執筆を通し、辛かった子供時代を作り替えた[30]。完成しゲラを読んだ際に「案外いい作品だと思う。全然センセーショナルではなくて、素朴で真実味がある。なぜなら、私たちはそのほとんどを実際に体験したから」と語っている[31][25]。
作者の母のアッバは、3人の姉と一人の兄と共に育っており、この母の実家のメイ家の5人が、四姉妹とローリーのインスピレーションになっている[32]。メイ家は、父のビジネスパートナーが詐欺に投資したことで破産し、裕福な生活からつつましい暮らしへと変化しており、これはマーチ家の姉妹が経験した一家の経済状況の変化と同じである[32]。オルコットは執筆のために、母アッバの20巻にも及ぶ日記を資料として参考にした[32]。
当事の読者が物語に求めていたものは、珍しい経験、恋愛、敬虔、自制、改心、旅行、南北戦争であったが、オルコットはそれらをごった煮にして、しかし先が読めるような安易な展開にはせず、独創的で機知に富んだ物語に料理した[30]。
『若草物語』は彼女自身の人生からエピソードを拾ってくるのに加えて、「姉妹の試練」(The Sisters' Trial)、「現代のシンデレラ」(A Modern Cinderella)、「ギャレットにて」( In the Garret)を含む彼女の初期作品のいくつかの影響もみられる。こうした過去の短編小説や詩の中の登場人物は、オルコットの家族と人間関係に加えて、『若草物語』やその後の小説の中の様々な登場人物の全体的なコンセプトや土台にインスピレーションを与えた[33]。
1880年に、人気画家のフランク・T・メリル(英語版)による200枚近い挿絵の入った『若草物語』の改訂版が出版されたが、日曜学校の図書館にふさわしい全国的ベストセラーという出版社の意向に沿い、多くの本文改訂がなされていた[34]。生き生きした俗語や口語表現、ニューイングランドの方言は、より洗練されたお上品な文体に修正され、マーチ夫人は親しみやすい小太りな女性から上品で気品のある婦人に、ローリーの身長は、ジョーと同じくらいからジョーよりも高く、より男らしく、といった変更が行われた[34]。オルコットの辛辣な独創性が削られた1880年版が、今日の読者が知る『若草物語』であるが、オルコットは日記でも編集者のナイルズ宛の手紙でもこの編集に触れておらず、出版社が勝手に行った可能性が指摘されている[34]。文芸評論家のエレイン・ショウォールター(英語版)は、オルコットは改訂当時、すでに作家業に疲れており、こうした変更を容認していたとみている[35]。
オルコットは「短い単語で済むときには決して長い単語でを使ってはならない」と考えており、平明で分かりやすい文体を用いた[36]。『若草物語』第一部・第二部には、反道徳的ではない程度に俗語や罵り言葉も取り入れて、リアルな会話体により、日常感が醸し出されている[37]。
『若草物語』で、作者は自身を基にして主人公のジョーを描いており、ジョーを自分と同じように独身にしたいと考えていたが、出版社や読者は金持ちのローリー・ローレンスと結婚することを強く望んでおり、オルコットによると、出版社の圧力と読者からの説得で、ストーリーを変更した[21][25]。オルコットは第二部で結婚は譲歩したものの、ジョーとローリーの「対等な男女の友達」という関係は変えず、ローリーは妹のエイミーと結婚し、ジョーは作家の道を断念して年上のベア先生と結婚し、家庭に入る展開とした[25][38][39]。池本佐恵子は、「ほとんど読者の誰しもが、ジョーとベア先生の結婚に心から納得できない。ベア先生という、不自然なほど年齢の離れた父親的な人物とジョーの結婚とその結果は、ジョー自身にふさわしい結果というより、オルコット自身の母アビゲイルの苦難の結婚生活を埋め合わせた感がある」と述べ、作者自身をモデルとするジョーの伴侶となったベア先生は、作者の理想の父の像であると分析している[40]。また、「若い娘のジョーは、ベア先生との結婚によって、子供からいきなり教師、母になってしまう。ジョー(あるいはオルコット)の女性としての充実は感じられない。」と、女性であることを一足飛びにした不自然さを指摘している[40]。
「女性の最高の幸せは家庭」だと考え、結婚し専業主婦になる長女のメグ、荒々しく自立的で、作家を目指すジョー、美しい心で周囲をなごませながらも内気で、何者にもならずに世を去る三女ベス、わがままで自分磨きに余念がなく、画家を目指すが挫折する四女エイミーという、姉妹それぞれの個性や生き方を、作者は否定せずに描いている[41]。メグの結婚後、若い妻としての家庭の悩みとその解決が描かれるが、そう言った主婦の悩み自体、それまでの本の中で扱われることはほとんどなかった[42]。不屈の精神を持ち自立的な人間であろうとするジョーと、当時の理想的な従属的な妻となったメグやエイミーが並列的に描かれており、新しい価値観と伝統的な価値観が共に示されていると言える[43]。
『若草物語』で、オルコットは自分の家族、母や姉妹のことをかなり忠実に描こうとしており、アンナ・ルイザ・エリザベス・メイをメグ・ジョー・ベス・エミーに移し替えて書いている。自身をもとにして主人公のジョーを描いた。同様に、若草物語のすべてのキャラクターはオルコットの生涯の人々とある程度類似している。ベスの死はエリザベスのことを反映しており、ジョーと末っ子エイミーとのライバル関係は、オルコットが時々メイとのライバル関係を感じていたためである[44][45]。ただし、人間関係は理想化され、過去の経験は美化されており、オルコットが家族の中で経験した経済的・精神的苦労が見事に浄化され、苦悩が理想へと昇華されている[37][46]。
マーチ家はオルコット家をモデルにしているが、理想化されており、マーチ家は上品で比較的貧しい暮らしをしているようだが、オルコット家は時に飢えや寒さに苦しむ深刻な貧困家庭だった。家長のエイモス・ブロンソン・オルコットは、浮世離れた理念を掲げ妥協を許さな理想主義者で、革新的な教育の実践や理想主義的なカルト的・ユートピア的農業共同体フルートランズ(英語版)(Fruitlands、フルーツランド)の建設という挑戦と挫折で大きな借金を作り、挫折後は家族を養うことを放棄し、金銭をほとんど稼がなかったので、妻アッバと娘たちが苦労して働き家計を支えた。一家はブロンソンの理想に従い、どんな人間の助けも拒まず総出で奉仕し、筆舌に尽くしがたい苦労と困窮を味わった[47][48]。現実で一家の貧乏の理由はブロンソンだが、物語では父が友人を救おうとして財産を失ったと変えられており、現実の過去の貧困、挫折、死は取り除かれている[49]。
マーチ家の生活レベルは、裕福ではないが、現実のオルコット家よりかなり良い家庭になっており、作者の子供時代の不十分な食事の記憶を癒すかのように、ごちそうの場面が度々描かれる[49][30]。また、現実でオルコットは、家族を養うための過重労働や、南北戦争時に看護師として働いた際に、腸チフスを患い、カロメルと呼ばれる有毒な水銀化合物による治療を受けた後遺症(当時は標準的な治療だった)等で、身心の苦痛に苦しめられていたが、物語でジョーは健康な少女であり、病気は妹のベスに全て転化されている[1]。
作者は物語の中で、母親と姉妹を現実より伝統的な型に寄せて改変している。エイミーは作中で画家の夢をあきらめているが、モデルのアビゲイル・メイは画家、絵の講師として活動していた。『若草物語』出版後、経済的に成功した作者の援助で渡欧し、画家になる夢を叶え、長年プロの画家として活躍してから、40代で結婚した[16]。母のアッバは、夫が設立したフルートランズから、夫を残して娘たちを連れて出て行ったこともあり、極限状況では夫に忍従しないこともあったが、作中では、忍耐強く、従順で、模範的な妻・母親として描かれている[16]。
マーチ氏のモデルのブロンソンは、非常に気難しく、浮世離れした、ニューイングランド的な変人で、無口で、情緒不安定であり、マーチ氏のような穏やかで思いやりのある人物ではなかったが、物語では欠点を除いて描かれており、作者はこの変人で型破りな父親を物語にほぼ登場させず、姉妹の父親をどう描くかという問題を解消している[17]。
オルコットは、愛する母と連帯してきた姉妹を、できうる限りリアルに、本物の少女たちの生きた日々を描いたが、父を描くことはできず、家庭において重要な存在であり南北戦争に参加したことのない父は、従軍中で不在の設定になり、父は「教え」として物語全体に精神的な影響を与えるが、存在は物語の背景に退いている[2][50]。
オルコットの個人的な事情から取られた物語の枠組みのおかげで、当時の「きちんとした家族像」でありつつも、父権的拘束から逃れることに成功し、「女の子の真実」が描き出された[50]。マーチ夫人を家に縛られた主婦ではなく、姉妹を見守り導く教師としての役割を持つ人物とし、母を中心とする家庭の重要性が描かれている[51]。『若草物語』には19世紀アメリカ東部における女子の家庭教育の理想像があるとよく言われるが、当時の家庭小説としては、父不在の設定は異色である。19世紀当時の西洋は家父長制が最も強かった時代で、「良妻賢母」が女性の理想とされていたが母親に親権はなく、子どもは父親のものであり、家庭小説でも父が家庭に君臨していた[2][52]。丸山美知代は、「この点(父の不在)が読者に好評を得た理由でもある」と評している[2]。谷林眞理子は、作者は父を不在とすることで、父権的権威に密かに反抗していると述べている[51]。
『若草物語』は、ユーモアの豊かさや独創性、リアリティのある表現で、「アメリカ児童文学の転換期を記す作品」であるといえる[53]。オルコットは、自分自身の人生を下敷きに、健全でありながらも現実味があり、当時の読者が共感しやすい家庭像を描いたが、かなり先駆的な試みであった[36]。ただし、少女向け小説におけるリアリティのある描写は、先行する『広い、広い世界』にも見られ、ほぼ同時期のアデライン・ダットン・トレイン・ホイットニー(英語版)によるニューイングランドを舞台にした少女向けの物語群や、エリザベス・スチュアート・フェルプス(英語版)の「トロッティ物語シリーズ」にも、詳細な家庭生活の描写やユーモアがあるため、当時の、女性向け小説のヒロインの型や表現の変化の潮流の中で生まれた作品であると言える[53]。池本佐恵子は、「オルコットの『若草物語』は、同時代の家庭小説とは作品の持ち味や完成度は異なっていても、五〇年代からの伝統を汲んだリアリズムやユーモアのある家庭小説、という当時の一つの文学的潮流の中から生み出されているのである。ひとことで『若草物語』を形容するなら、この物語は、十九世紀に人気があったセンチメンタルな婦人向け家庭小説をより易しくし、これにさらに、ロマン主義的な児童文学の要素を加えて、より低年齢層に向けたもの、と言えるだろう」と評している[53]。
父は不在で母は家事と慈善に忙しく、子供達は大人に監督されず、子供達だけで群れ合う楽しさが描かれてる。このような子供時代特有の、子供達だけの空間を生き生きと描いた作品は、本作以前には見られない[54]
また当時は、悪人は悪人らしく、善人は善人らしく描かれるものだったが、オルコットは人間心理への鋭い洞察により、人間性の複雑さを認識しており、登場人物たちを、根は善良でありながらも、思わず悪いことをしてしまったり、欠点や葛藤を持つものとして、リアリティのある性格描写で魅力的に描いた[30]。日常の中の悲劇的かつ喜劇的な状況、大事件ではないが、困難や窮地と、それに前向きに対処する(父不在の)一家の姿を描いた[30]。年相応であり、詳細に描き分けられた姉妹は読者の共感を呼んだ[37]。
ジョーは「女の子だっていうのがいけないよ。遊びも仕事も態度も男の子のようにやりたいのに。男の子でなかったのが悔しくてたまらない」(第1章)と言うほど、自分のジェンダー役割に苛立っており、女所帯の一家の男役を果たす、個性的な少女である[52]。師岡愛子は、「読者の受けとめ方は、その(リトル・ウィメンという)枠から抜け出そうとするジョーの生き方に共感を覚えている。」と述べており、読者は本作を、女性の理想像に近づくための教訓物語として読んでいるわけではないという[55]。生き生きした人物描写が鮮やかで、『天路歴程』を下敷きにした教訓的な意図の印象はあまり残らないと評している[55]
理想的な少年に、あるがままの女の子が愛される展開も、読者の少女たちの心を掴んだ。ローリーは、お金持ちで芸術家肌のインテリで、運動ができて茶目っ気があり、ハンサムで話しやすく優しいという、少女漫画的な「理想の男の子」であり、彼が、特に美しくなく、しとやかでも謙虚でなく、快活で率直、行動的で言いたいことをポンポン言う、失敗してばかりの飾らない少女ジョーを熱愛するという展開、窮屈な女性の理想の型にはまっていないありのままの少女を、ありのまま愛する理想的な少年の存在は、少女たちの人気を集めたと思われ、第二部が出るまで、多くの読者の少女たちは、ジョーとローリーは結婚するのかと、熱心にオルコットに手紙で問い合わせた[56]。
当時のアメリカでは、福音主義運動の一環として、『アンクル・トムの小屋』の作者ハリエット・ビーチャー・ストウや『広い、広い世界(英語版)』のスーザン・ウォーナー(英語版)により、子供に宗教や道徳を教える日曜学校派物語(Sunday School fiction)と呼ばれるフィクションが書かれ、広く普及していた[53]。一般の出版社による児童文学も、日曜学校派物語より内容は豊かであるとはいえ、基本的な姿勢は変わらず、道徳や教訓が重要な要素であった[53]。また、南北戦争中から後にかけて、アメリカの児童向け出版社はおおむね、ボストンまたはニューヨークのアメリカのジェントリー(英語版)層による集団であり、伝統的なジェントリー的価値観も重んじられていた[57]。産業革命以降、旧来のジェントリー層は没落しつつあり、アメリカ社会の価値観の多様化が進んでおり、ジェントリー層の出版人・児童向け作家たちは、アメリカ建国以来の社会秩序の根本になってきた、誠実、名誉、意思堅固、節制、慎み、正義といった、伝統的社会の基盤となるジェントリー層の伝統的価値観を次世代に教え、高潔な人格を育むことを大きな使命と考えていたのである[57]。彼らの多くは牧師や人道主義的社会改革者で、オルコットもこの集団の一員であり、使命観を共有していた[57]。
オルコットは多くの短編の教訓物語で、「勤勉と愛が希望をもたらす」というパターンを繰り返している[58]。長編の『若草物語』では、このパターンが広く拡大されて変奏され、豊かで複雑な物語となっているが、物語が安定した教訓的な形式からはみ出ることはない[58]。オルコットの家庭小説では、清貧が上品に賛美され、物質的貧しさの中でこそ心の豊かさが育まれ、物質的豊かさが幸せを妨げるという物質主義批判の価値観による設定があり、健全性と明るさのトーンが基調にある[59][60]。
また、当時家庭婦人向けの「子育ての手引書」が大流行しており、作者の叔父にあたる医師のウィリアム・A・オルコット(英語版)はこうした育児書の人気ある著者であり、オルコット家は育児書の著者である育児の専門家たちと交流があった[61]。オルコットはこうした大人向けの育児書を念頭において子供向けの訓話物語を書いていたことが知られており、教師の経験もあったことから、「教師」としての姿勢をもって子供向けの本を書いた[61]。自分の作品を、「若い人のための道徳のお粥」と揶揄している[62]。
しかし、当時の大衆小説につきものだった重苦しいお説教に比べると、『若草物語』のそれは簡潔で、ストーリーに沿った自然なものであり、当時の読者にとっては押しつけがましくなく、楽しめるものだった[30]。
当時は「ムチ(体罰)を惜しむと子供を駄目にする」と考えられていたにもかかわらず、マーチ夫人が体罰を受けたエイミーを退学させたり、女性が外で働くことの重要性が語られたり、ジョーは「小さな淑女」の鋳型にはまることを拒んで生き生きと作家業に励み(シリーズが進むにつれ、ジョーもある程度社会の規範に従うことになるが)、メグと夫の家事・育児の分担が描かれるなど、オルコットは因習から逸脱した革新的な思想への関心、社会批判を、物語の中にやんわりと、かつ明確に差し込み、また、新しい家族の在り方を提示し、女性が働くこと、家事育児の分担などにより、「真に理想的な家族の愛の絆がもたらされる」という信念を力強く示した[30][63]。
当時の生活様式・社会道徳・社会構造に対する作者の視点の現代性が、現在の読者からも共感され、それぞれの特殊なエピソードが普遍的なものへと昇華され、現代の読者にも楽しめる作品となっている[30]。
横川寿美子は、「『若草物語』は一見相互に矛盾し合うメッセージがいくつも込められており、読者を困惑させる。たとえば、作家志望で男まさりの主人公として登場するジョーは、志半ばにして家庭に入るが、同時にまた別の生きがいを見出しもする。マーチ家の少女たちが最も敬愛するのは父マーチ氏だが、実際に一家の要となっているのは明らかにマーチ夫人である、など」と述べており、家庭や結婚、男女それぞれの役割などの伝統的な価値観を肯定しているのか否定しているのか、容易に判別しがたい作品である[64]。作者は、父の言う「義務に従順な娘」としてふるまいながらも、母親の期待に応えて「自立した娘」を作品に反映させている[51]。 ベスは、自己否定(欲望する自己の放棄・利他的な禁欲)の道徳を自然に体現しているが、早世してしまい、作家・芸術家としての成功の野心を持って才能を磨き、夢の実現に向け行動するジョーやエイミーの姿は、挫折し家庭に入るとはいえ、生き生きと魅力的である。池本佐恵子は、作者が深いところで本当に惹かれていたのは、少女時代のジョーや『リトル・メン』のダンのような荒々しく躍動感あふれるキャラクターを通して時折描かれた、「人間の神秘的なエネルギー」ではないだろうか、と述べている[65]。
オルコットは超絶主義哲学者の父ブロンソンから、自己否定の道徳を指導されて育ち、その重要性を小説に書いた[66]。それは、当時の女性に求められた規範と同様のものであった。オルコットは父の薫陶を受けて育ち、父の意に適う娘、父の友人であった超絶主義者のラルフ・ウォルド・エマーソンやヘンリー・デイヴィッド・ソローの教えを受けた、従順で道徳的な娘であり、そうあろうとし、そうした女性でありたかった[66]。『若草物語』のジョーのように、反抗しながら、なかなか自己否定の道徳を内面化できない心の過程が面白い作品を生んだが、最後にはヒロインは従順であり、道徳の内面化を踏み越え、道徳の束縛を破って自己解放に向かうといった発想はなく、あくまで道徳の獲得への努力について書いた[66]。
最終的には社会規範に従うとはいえ、ジョーの言動には、生き生きとしたリアリティがあり、物語は道徳的・教訓的な建前と作者の本音が交錯し、教訓性とリアリズム、古い価値観と新しい価値観がせめぎ合っており、このバランスの危うさの中に、作者が垣間見えるとも言える[67]。建前とその裏が醸し出すジレンマや動揺、自己矛盾のダイナミズムが作品の面白さとなっており[67]、サイトウ エツコは、オルコットは「自分の深層に潜んでいた揺らぎを、すべてそこ(家庭小説)に注ぎ込むことになった」「彼女の残した不思議な二重構造を持つ痛々しいまでにトランセンデンタル(超越主義的)なLittle Womanは、規範的レベルと深層心理的なレベルのメッセージの食い違いを内緒にしながら、『女の子の物語』として不朽の名作となり、世界中で読み継がれることになった」と述べている[28][68]。
結婚し、家庭内で家庭としての学校を運営するというジョーの選択は、自立・自己実現への希求と結婚し家庭に献身する妻であること、新旧の生き方と価値観を折り合わせた結末であると指摘されている。池本佐恵子は、「姉妹とは異なって独立心が強く、自立を目指したジョーは、ベア先生との対等で民主的な結婚によって、家庭内で学校を開くという、大変に特殊な『家庭に居る』仕事を選ぶことができた。しかし、もしそうでなければ、ジョーはいったいどうなっているだろうか。」と述べており[69]、斉藤美加は、「ジョーがベア先生と結婚し、大きな家庭としての学園を運営する展開で終わるのは、この自己実現と家庭への献身という一見相反する価値観を、オルコットなりに止揚した答えと考えられる」と述べている[13]。
ジョーは作家になる夢を抱いているが、第二部でその夢をあきらめ、ローリーではなく、多くの人が魅力的とは思わないような、かなり年長の男性と結婚し、良妻賢母に変身する。その展開には「亀裂」が存在し、ジョーに自分を重ね合わせた読者の少女たちは、成長した彼女の生き方に期待を裏切られ、納得できない[70][71]。林文代は、ジョーの人生の「亀裂」を隠すことなく、そのまま放置して読者に示すことで、違和感を覚えさせ、それにより、20世紀アメリカ文学の新しい女性像の先駆となったと述べている[70][71]。
急速に資本主義が発展した金ぴか時代、都市化が進み家族の連帯が弱まる中で、貧乏故に強く結束した一家が、女性5人の連帯の力で、アメリカ人が理想とする「家族の価値(family value)」(真面目な父親、家庭的な母親、親孝行な子供たちが、互いに助け合って大切にし合い、幸福な家庭を営むという、一種の理想の家族像)を体現した[50]。金儲けは俗事(超絶主義的理想)だが、お金がないと生きていけない(現実)という超絶主義の矛盾を、オルコット家は体現していたが、『若草物語』でも、町の中で超絶主義的に、清貧に暮らそうとする一家の根性が繰り返し試される[50]。また、マーチ家は元々上層中流階級で、そこから没落したということもあり、実際の経済状況よりもかなり高いところに階級意識を置いており、現在の質素な暮らしは本来の暮らしではないと考え、自分たちを貴婦人、お嬢様であると考える自負心がある[72]。そのため、それに合致しない現実は、姉妹に苦痛を与える[72][73]。
作者は作中で繰り返し物質主義、お金を求めること、経済的安定や向上を結婚を否定し、高い精神性の大切さを説いており、それは特に結婚を扱う第二部で顕著である[74]。その一方、豊かな暮らしや家具、美しい服、食べ物などの物質の魅力で作品は彩られている[73]。ジョーは努力してお金を稼ぎ、そのお金で病身のベスを海岸に連れて行き、食料や敷物、服を買って幸福な思いに浸り、金銭の大切さが描かれる[73]。本作は図らずしも、お金の大切さと豊かな生活へのあこがれが書かれており[73]、お金が欲しい、お金があれば家族がもっと幸せになれるのに、いや、それよりも「家族の価値」こそが大切だという、貧乏に苦労したオルコットの、お金に対する態度の揺れが見られる[50]。お金はあるが孤独な隣家のローリーの存在によって、マーチ家の「家族の価値」はより際立って感じられる[50]。こうした伝統的な価値観と、豊かさや新しい生き方を求める心という矛盾は、オルコットだけでなく、時代の変化を背景に、多くの人が抱えていたものであった[73]。池本佐恵子は、読者は本作に、古くから馴染んだ価値観・生き方を見て安心しつつ、水面下で躍動する反秩序的要素や、新しい生き方への模索を無意識に読み取り、本書に強く魅了されたのだろうと分析している[73]。
物語の最後、ジョーがマーチおばに屋敷を贈られるといった幸運が重なり、結婚の経済的障碍が解消し、三姉妹は結婚し、ささやかなシンデレラとなる。藤森かよこは、物語の最後は姉妹が結婚し幸福感に満ち溢れているが、経済的な問題の解決は、マーチ家の人々の努力の成果というより、偶然の要素が大きいと述べている[75]。
マーチ夫人は、お金持ちと出会うための社交(婚活)に必要なお金がないと嘆くメグを、不幸な妻になったり大騒ぎして婚活をするぐらいなら、オールド・ミスになる方がましだし、すばらしい女性は放っておかれず求婚されるのだから、今はこの家のために働けばよく、結婚できなければこの家で暮らせばいいのだと優しく諭すが、これはダブルバインド的なメッセージとなっている[75]。藤森かよこが解読するところ、それは次のようなものである。「ずっと結婚しなくても構いません。(でも)あなたが価値ある女性ならば、結婚するに決まっている(のだから結婚しなさい)」「(ずっと未婚でいてもいいといったけど、やっぱり)将来の結婚生活のために今の暮らしの中で練習しておきなさい。適切な結婚相手が現れなかったら、今のままでいるしかない(が、そうなるということは、あなたが価値のない女性ということよ)。今のところは(金もなければ打つ手もないので)時間の流れるままにしておきなさい」[75]。
姉妹は、マーチ氏の経済力のなさからくる「お金の問題」に翻弄され続け、それを「心の問題」として乗り越えようとする[75]。藤森かよこはそれを「『聖職者』的欺瞞を慣習化し道徳としている」「わたしは階級なんていう社会的枠組みから超越した人間だわ」という幻想と表現し、この「気高さ」とも呼べる、苦難の支えであるマーチ姉妹の日向性の自己欺瞞力が、『若草物語』が読まれ続けてきた理由の一つであると述べている[75]。
とりとめのないエピソードの連続のように見えるが、章のタイトルや姉妹の遊びは本書が、天の都市を目指すクリスチャンの旅を描くジョン・バニヤンの寓話物語『天路歴程』(原題:この世から来るべき世に向かう巡礼者の旅路―夢の中の物語)に依拠していることを示している[2]。聖書や『天路歴程』が姉妹たちの導きの書であり、これに関する記述が多々見られる。一家の行うフィランソロピー(慈善活動)もそれらの影響を受けているものと考えられる。著者の父ブロンソンは『天路歴程』に決定的な影響を受け、生涯を通して繰り返し読み直して内面化し、生き方の指針にし、娘たちにも教え込んだ[76][77]。
チャールズ・ディケンズ、トーマス・カーライル、ナサニエル・ホーソーン、ラルフ・ウォルド・エマーソン、セオドア・パーカー(英語版)、ヘンリー・デイヴィッド・ソローからの文学的影響もみられる[36]。また、山口ヨシ子は、お転婆なジョーのキャラクターは、同時代の女性向け大衆小説の人気作品E・D・E・N・サウスワース(英語版)『見えざる手 (小説)(英語版)』の破天荒なヒロイン、キャピトーラ・ブラックの影響が見られると指摘している[78]。(ジョーが通俗小説を書くきっかけになる作家S・L・A・N・G・ノースベリ夫人は、E・D・E・N・サウスワースのもじりである[79]。)
また、著名な教育者であったキャサリン・ビーチャー(英語版)と『アンクル・トムの小屋』の作家ハリエット・ビーチャー・ストウによる家庭指南書『アメリカ女性の家庭』(1864年、改訂版1869年)の家庭像と、『若草物語』の家庭像は非常に類似しており、影響がうかがえる[80]。佐藤宏子は、『若草物語』は『アメリカ女性の家庭』の実例版と言ってもよいものだと述べている[80]。ビーチャー姉妹は、家庭や共同体において、女性が大きな影響力が持つと考え、教会よりも女性こそが、道徳的に人々を導くことができると説いていた[80]。
『若草物語』第一部・第二部について、ジェイン・S・ギャビンは、「この作品は、これから適齢期に向かう少女たちが自己の欠点や悩みをいかに克服するかがそこに具体的に示されているという意味で、19世紀の若い読者にとっては社交場のたしなみの手引書だった」と述べている[30]。ある時はアメリカの農村の娘が女性としての生き方に目覚めるきっかけになり、ある時はユダヤ系移民がアメリカ社会に同化していく道標としての役目を果たした[81]。時代によって多少温度差はあるが、少女たちの愛読書として愛され続け、母から娘へと受け継がれてきた[82]。
L・M・モンゴメリの『赤毛のアン』では、主人公のアンは染髪の失敗で髪を切る羽目になった時に、家族のために髪を切ったジョーと自分を比べて嘆く。また、ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』では、主人公のジュディは孤児院育ちであったことから、当時の少女の必読書だった『若草物語』を読んだことがなく、この作品を知らないと知られたら「変わり者のレッテルを貼られるに決まっている」と思い、こっそり読むというエピソードがある[83]。
150年以上にわたって一般に読み続けられる本は珍しいが、現在も強い人気を誇り、21世紀のアメリカのリーダー的立場・クリエーターの女性たちが、必ずと言っていいほど幼少期の愛読書として挙げるといわる[84]。
影響を受けた女性も多く、アメリカの作家ガートルード・スタインやアドリエンヌ・リッチはオルコットの熱烈なファンであり、シンシア・オジック(英語版)は「『若草物語』を千回は読んだ。一万回かも知れない」と語っている。ヤングアダルト小説のイザベル・ホランド(英語版)は、「どのような言葉でもその出どころが分かるほど、この本を繰り返し読んだ」と述べており、『ゲド戦記』シリーズで知られるアーシュラ・K・ル=グウィンは「ジョー・マーチは若い頃の私に大きな影響を与えた。他の多くの少女たちにも影響を与えたのは確かだ。…ジョーは、わたしの姉妹のような存在なのである」と語っている[85]。また、『第二の性』を書いたフランスの作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールも、少女時代に本作を読んでおり、「わたしは知的な人、ジョーと熱烈に一体化した」と自伝で回想している。『ハリーポッター』シリーズのJ・K・ローリングは8歳のころ初めて読み、すっかりジョーに浸りきったという[85]。日本では、少女小説家の吉屋信子が、オルコットにかなり影響を受けたようであり、「理想の女性はオルコット女史」と告白している[86]。本作に着想を得て、現代韓国を舞台にしたドラマ「シスターズ」(原題は Little Womenの韓国語訳と同タイトル)の脚本を書いたチョン・ソギョンは、「小説『若草物語』は少女たちにとっては魂の本であり、貧困に対する話だ。私は、この姉妹たちを現代の韓国社会に連れてきてみたかった」と、本作への思い入れと作品への影響を語っている[87]。
オルコットの伝記を書いたハリエット・レイセンは、「『若草物語』の魅力のひとつは、それぞれ興味や性格の違う姉妹、そして普通の少女の人間関係が描かれていることだ。ほとんどの少女は、社会的な人間関係の裏表に何より魅力があると思っている。オルコットは、近年までヤングアダルト文学では稀だった、少女の人間関係を真剣に扱った。」「現代では少なくなったが、社会は一般的に、少女の情熱を抑え、従順な妻になるための準備として言うことを聞かせようとする。オルコットは思春期の少女の情熱を大切にし、それを擁護した。オルコットの声はウィットに富み、人間的で、感情豊かで、他の作家にはない読者とのつながりを感じさせてくれる。」と述べている[88]。。
2019年の「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」の映画監督のグレタ・ガーウィグは、あらためて読み返した際に「そのまま現代の物語になっても全く違和感がない」ほど、とても現代的な物語であったことに驚いたと述べており、1作目(第1部)が有名だが、2作目(第2部)以降の、成人した姉妹が社会に出て自分らしく生きようと奮闘する姿、「姉妹・芸術家・母親・労働者という役割を持ち、さらに友人や妻として奮闘する姿が描かれていて、いま読むとその姿に強い魅力を感じた」と語っている[84]。
男性でファンだと公言する人は珍しいが、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトは「男らしくないと思われることを承知でいうが、私は『小さな紳士たち(リトル・メン)』、『若草物語』、『昔気質の少女』が大好きだし、少女小説も大好きだ」と語っている[85]。
『若草物語』第一部は、悲惨な南北戦争の心の傷を癒すような、あたたかい理想の家族像が描かれていたこともあり、大成功を収め、読者も書評も好意的な反応だった[89][82]。第二部も賞賛を集め、「作品内容は自然なもので、多くの児童書に蔓延する見せかけの感傷を免れている」などと評された。一方、「今回の物語展開は少し退屈というか、興味を惹くアクションに欠けている」というやや辛口の批評もあった[82]。
『若草物語』第一部・第二部は、オルコットの作品の中で最も有名であり、アメリカ家庭小説の頂点であると評価されている[37]。女性の生き方の追求も取り上げられ、リアリスティックでありながら、ユーモラスで温かみのある作風が特徴となっている[59]。高潔で温かい家庭像を示し、現実のオルコット家を元に生まれた「アメリカで最良の家庭を具現する作品」として愛された[36]。
出版以来、長期にわたって一般の人気を集め、現在では往時ほど読まれていないとはいえ、数種類の版が出版されている[36]。日本でも翻訳・出版され続けているが、第一部のみの翻訳が多い。一流の作品としての地位を保ち、19世紀の小説、児童文学の分野においても高く評価されている[36]。
1970年代のオルコットの再評価は女性の研究者が主導し、そうした流れの中で次のような批評が見られた。ジュディス・フェタレイは、「南北戦争は表のメッセージと裏のメッセージの間の葛藤の明らかな比喩」であり、本書は「オルコットの個人的内乱、女らしさと創造性が相克する二面性のあるもの」と考えた[90][91]。アン・ダグラスは「自己表出であると同時に抑圧の小説」であると評している[91]。ニーナ・ベイムは、オルコットが少女小説を書くことで、偉大な女性文学への道を閉ざしたと批判した[90]。アウエルバッハは、『若草物語』を「自立した女性の共同体」と論じた[90]。
また21世紀には、マリベス・シェイファーは、資本主義社会の進行による女性の地位の転落という問題を解決する、女性が自給自足する母系制の女性的ユートピアを読み取っている[92]。
アメリカ文学者の平石貴樹は、本作の中に、「感傷小説」=「勧善懲悪」小説の最後のかたち、リアリズム小説に最も近接したかたちを見ることができると評し、文学史においてリアリズム小説への過程を示す重要な作品とみている[93]。
マーチ姉妹をはじめとするオルコット作品の子供たちは、大人たちに強い道徳的指導を受け、己を恥じて改心するが、日本文学者の板坂耀子は、オルコット作品で美談として描かれる教育は、大人が子供を躾によって心底から屈服させ、服従させようとするものであり、上下関係の中での「精神的虐待による教育」であると評し、一昔前まで一般的だった「動物のように人間を調教する文学作品」の一つであるという見解を示している。現代の目から見ると、その教育方法は強制的で子供の心を尊重しておらず、「体罰やレイプにつながるような教育を描く文学」であるという懸念を示し、今日にこうした教育による子供の成長のシーンの感動や、「支配され服従する歓び」、快感と向き合うことの難しさと、向き合う必要性を指摘している[94][95][96]。
『若草物語』に対する批評は、時代によって変遷してきた。出版当時も好評で、当時の批評は、作品の読みどころをほぼ抑えたものであった[97]。19世紀から20世紀の初めには、「若者への道徳的な影響」や「感じの良い軽い読み物」という点が評価されており、オルコットは「暖炉と家庭の温もり」を伝える「子供達の友」だと見なされていた[91][97]。
1970年代には、フェミニズム運動の盛り上がりと、オルコットが偽名や匿名で書いていたセンセーショナルなゴシック小説・扇情小説(英語版)が再発見されたことが重なり、『若草物語』の精緻な読みと、新しい観点の掘り起こしが行われ、再評価がされ始めた[91]。こうして子供向けの本という軛から解放され、多様な批評がなされるようになっていった[98]。
再発見された小説群から、オルコット作品の当時の社会の価値観に反抗する要素と、女性の新しい生き方と連帯が注目されるようになり、『若草物語』もまた、「性差の問題を問うフェミニスト小説」としての読み直しが進み、「フェミニスト作家オルコットによるアメリカ文学の古典」として捉えなおし、批評しようという動きが主流となった[98]。フェミニスト文芸批評(英語版)家には、オルコットの『仮面の陰で』などの偽名の扇情小説に刺激を受け、「小説の外観に隠されている荒れ狂う感情」に注目して、『若草物語』における「服従」と「破壊」という矛盾するテーマも扱われている[91]。1970年代の評価には、オルコットは「匿名あるいは偽名でしか反抗心を表すことができない犠牲者である」と考え、「家庭の崇拝」という教訓的で保守的なテーマを扱う『若草物語』は、彼女のゴシック小説・扇情小説に比べて低く評価されていたという面もある[91]。
本作は1906年(明治39年)に、北田秋圃が『小婦人』[注釈 3](しょうふじん)のタイトルで初めて翻訳した。読売新聞の記事によると、北田秋圃は3人の女性の共同ペンネームであり、その内の一人は、少年時代の皇太子明仁親王(当時)の家庭教師エリザベス・ヴァイニングの通訳兼秘書を務め、国際基督教大学図書館長であった松村たね(1917-2018)の母の高橋なほ子である[99]。
本書は、内容が当時の良妻賢母教育が目指すところと重なっていたことから、家庭教育の指南書として紹介されたようである[100]。日本では1900年代に女子教育が重要視されたことから、女学生(または思春期の少女)という新しい読者層が生まれ、本作は読者の少女たちに、それまでの日本の家長に絶対服従する厳しい家族像とは異なる、新しい理想の家族像として、温かく朗らかな家庭団欒の風景を教えた[100]。
大正時代には、少女に自立心を教える少女教育のための小説とみなされ、少女雑誌に頻繁に紹介され、少女向けの名作集には必ず収録され、多くの翻訳が出版された[101][102]。
戦後には中原淳一の少女雑誌「ひまわり」創刊号に掲載された[103]。「貧しくとも心は豊かに」というマーチ姉妹の姿勢は、誰もが貧しかった戦後の少女たちの心情によく合い、読者を元気づけた[103]。1949年のエリザベス・テイラーらハリウッド女優が演じた映画『若草物語』をきっかけに、日本の少女たちの間でポップ・カルチャーとして不動の人気を誇るようになり、四姉妹は少女文化のポップ・アイコンとなり、少女文化の重要な一部となった[104]。1980年代後半には、世界名作劇場でアニメ「愛の若草物語」が放送され、広く親しまれた[105]。
このタイトルは、キャサリン・ヘップバーン主演の1933年の映画と、ほぼ同時に出版された矢田津世子による抄訳『若草物語』(少女畫報社)で使われた。映画のタイトルには、字幕監修にあたった少女小説家の吉屋信子が関わっていると言われ、矢田の翻訳本と映画はタイアップしていたようで、抱き合わせて広告を行った[106]。原題にも作品内容にも「若草」に関係する要素はなく、作品のイメージとして出てきたと思われる[107]。小松原宏子は、このタイトルは、吉屋信子が、自身の代表作『花物語』の愛読者たちにも受けがよく、少女たちの成長物語という内容に合うものとして、また、日本の『花物語』に並ぶアメリカの作品として付けたのではないかと推測している。同性愛者でもあった吉屋信子は若い美貌の作家の矢田津世子を非常にかわいがっており、「自らの代表作『花物語』と対になるタイトルを矢田の抄訳に与えた、または快く許可したことで、矢田への愛情を表そうとしたのかもしれない。」と述べている[106]。
邦題の中で、『若草物語』が原題の Little Women というタイトルから最も遠く、作者がタイトルに込めた思いが全く伝わらないと嘆く声も少なくない[108]。
(アニメのコミカライズは割愛)
(テレビアニメ絵本は割愛)
著名な作品であり、何度も舞台化されている。
1970年1月6日から1月25日まで『木馬座ロマン劇場』として、読売ホールで上演[119]。
2005年1月23日から5月22日の間、ブロードウェイで上演。サットン・フォスター主演。
[19]
ジョー以外の姉妹が物語の中心から退く続編『リトル・メン』(Little Men、1871年)では、『若草物語』の第二部の結末でジョーが夫のベア先生と設立したプラムフィールドのベア学園での生活について詳しく物語る。最後に、『ジョーの子供たち』(Jo's Boys、1886年)で成長した生徒たちについて語り、若草物語シリーズ(マーチ一家のサーガ)を完成させた。アメリカでは『リトル・メン』が第二部、『ジョーの子供たち』が第三部となっているが、日本では Little Women の第一部と第二部が別々に出版されており、『リトル・メン』が第三部、『ジョーの少年たち』が第四部と扱われている。
『リトル・メン』でのベア学園のモデルは、著者の父親で超絶主義者・教育者のエイモス・ブロンソン・オルコット(英語版)が開いた学校で、著者も一時通ったテンプルスクール(英語版)である[123]。彼女は父の思想、特に教育についての考えに賛同しており、それを作品の中に表した[88]。個性ある子供たちの活き活きとした生活や自己の欠点との闘い、また特に当時としては珍しいといえる障害児と健常児の統合教育も描かれる。ただし、現代の人間の視点からは差別的と取れる箇所もみうけられる。ダンの人種をネイティブ・アメリカンであると考えると、白人と非白人が共に学んでおり、ネイティブ・アメリカンの白人への文化的同化(英語版)教育が描かれていると言える[124]。
Little Men: Life at Plumfield with Jo's Boys, 1871年(原題:リトル・メン ― ジョーの少年たちとのプラムフィールドの生活[125]。邦題:小さき人々、愛の学園、第三若草物語、他)
ジョーがマーチおばから遺贈されたプラムフィールドでベア先生と開いた「ベア学園」が舞台で、学園の生徒たちの生活に重点を置いた内容になっている。よって、前作に較べるとマーチ家については描かれず、エイミーや姉妹の父母に関しては台詞がほとんどない。
この作品においては主人公は、タイトル英: Little Men(小さな紳士)からも分かるように、ナットやダンを中心としたプラムフィールドの少年少女たちが主人公である。
Jo's Boys and How They Turned Out: A Sequel to "Little Men", 1886年(原題:ジョーの少年たち ― どのように成長したのか―「リトル・メン」 の続編。邦題:ふるさとの歌、第四若草物語 他)
「ベア学園」が老ローレンス氏の遺贈によって大学へと変わっており、この時点でジョー達姉妹の支えであった母は亡くなっている。『リトル・メン』において成長過程にあった子供たちはほぼ成人しており、それぞれの進路を歩む。 この作品ではジョーはもちろんエイミー、ローリー、メグたちも重要な役を演じ、台詞も多い。子供たちとしてはジョーの二男であるやんちゃなテッド(テディ)と、メグの二女である活発なジョーズィ、エイミーの娘のベスがその中心となる。当時のアメリカで問題となっていた婦人参政権の問題などが作中で語られるのも特徴となっている。
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