興統法縁会(こうとうほうえんかい)は、日蓮宗に所属する富士門流の諸寺院によって構成される組織。
1941年(昭和16年)、宗教団体法にもとづいて、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗の三派がそれぞれの組織を解消して対等合併(三派合同)し、あらたに日蓮宗を発足させた。
本門宗がこの合同に参加したことにより、1900年(明治33年)に本門宗から独立していた大石寺と末寺(日蓮正宗)を除く富士門流の7本山とその末寺はすべて日蓮宗に所属することとなった。旧本門宗の本山・末寺は日蓮宗の内部で「興統法縁会」を組織、本門宗の前管長由比日光師が初代の会長に就任した。
終戦後の1945年(昭和20年)12月28日、宗教団体法が廃止されて国家による統合圧力が消滅すると、1950年(昭和25年)、京都の要法寺が旧末寺約50ヶ寺をひきつれて日蓮宗を離脱し日蓮本宗を発足させたほか、下条妙蓮寺と旧末寺6ヶ寺も日蓮宗を離脱して日蓮正宗に合流した。1957年(昭和32年)には西山本門寺(本山単独)、保田妙本寺と旧末寺の一部(4ヶ寺)、重須本門寺の末寺讃岐本門寺などが日蓮宗を離脱して日蓮正宗に合流した。1960年(昭和35年)、下条妙連寺の旧末寺のうち、日蓮宗との合同を維持していた1ヶ寺が日蓮正宗に合流した。1975年(昭和50年)、西山本門寺は日蓮正宗より離脱し単立となった。1995年(平成7年)、保田妙本寺は旧末寺2寺とともに日蓮正宗より離脱して単立となった。
北山本門寺・小泉久遠寺・伊豆実成寺3本山とその旧末寺、日蓮宗を離脱した4本山の旧末寺の一部は北山本門寺を縁頭寺として「興統法縁会」を再編維持し、日蓮宗の内部で富士門流としての独自性を維持している。
宮崎県内の富士門流(興統法縁)寺院は日郷門流に属し、小泉久遠寺・保田妙本寺両寺の末寺で、本門宗の設立に参加し、1941年(昭和16年)の「三派合同」にともない日蓮宗に属し、興統法縁会に参加した。
1957年(昭和32年)、創価学会の働きかけにより、宮崎県内の富士門流寺院、日向市財光寺定善寺、同細島妙国寺、同日知屋本善寺、児湯郡新富町本蓮寺、東臼杵郡門川町法蔵寺(旧延岡市松山本東寺末)、日南市飫肥本照寺、以上の6ヶ寺が日蓮宗を離脱し、日蓮正宗に合流。この時、既に無住となっていた細島妙国寺末の本建寺も妙国寺と共に日蓮正宗に合流した。合流後、久妙両山の日向国北部における事実上の末寺頭を務めたこともある定善寺は、日蓮正宗の九州本山となり、妙国寺、本善寺、本蓮寺、法蔵寺、本照寺、本建寺の6ヶ寺は定善寺の旧末寺とされた。しかし妙国寺はあくまで保田妙本寺の末寺であると主張し、定善寺の旧末寺であったとするのは捏造だとして認めず、改宗後も末寺扱いされるのを拒んだ。また、上行寺をはじめとする9ヶ寺が日蓮宗を離脱して大日蓮宗を設立。
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定善寺は小泉久遠寺・保田妙本寺両本山の旧末寺
※日蓮宗内にある旧顕本法華宗(日什門流)の組織
※富士門流関係
※興統法縁会の関係寺院が収録されている各宗派の所属寺院一覧 / 離脱寺院一覧