19世紀初頭にクレーマのズルラ伯爵(Zurla di Crema)のコレクションに現れる以前の来歴は全く不明である。その後、1818年頃にミラノの彫刻家ジュゼッペ・ロンギ(イタリア語版)が3,000リラで購入し、1836年に政治家であり美術コレクターでもあったグリエルモ・ロキス伯爵のコレクションとなった[1][5]。伯爵は1858年に自身が編纂した美術コレクションのカタログにおいて、本作品と関連してラファエロについて最も長く熱のこもった解説を付している。伯爵のコレクションは町の郊外に設立予定の市立美術館に収蔵されることになっていた。しかし翌1859年、伯爵が死去するとベルガモ市は遺族と話し合い、コレクションのうち約半分をアッカデミア・カッラーラに収蔵し、残りを売却した[1][5]。実際にアッカデミア・カッラーラに収蔵されたのは美術館が改築され、目録の整備が始まった1866年のことであった[1]。なお、現在のフレームは収蔵当時の物である[6]。
保存状態
保存状態は良好である。薄い板絵にたわみはほとんどなく、絵具層をほぼ完全にとどめている。しかし1932年のマウロ・ペッリチョッリの修復でニスの効果を保つための上塗りが施され、わずかな加筆が行われたが、その大部分は変質してしまった[1]。変質箇所は茶褐色となり、肉眼で容易に確認できたため、長年にわたって絵画の状態の改善が望まれていた。日本でのラファエロ展における出展後の2013年から2014年にかけて、ミラノのピナコテーカ・ディ・ブレラ修復研究所(Laboratorio di Restauro della Pinacoteca di Brera)で修復が行われたが、ラファエロ展の際にアッカデミア・カッラーラに支払われた借用料によって絵画の模範的な科学調査が行われている[7][8]。調査は非破壊検査、蛍光X線による元素分析、採取されたマイクロサンプルのスクリーニング、絵具の層序分析などが行われた[7]。この調査によっていくつかの発見があった。ラファエロがスポルヴェロ技法を使用して下絵を転写していること、顔料に豊富なガラスが含まれており、これを用いることで明るさと透明性を与えようとしたと考えられること[8]、また顔料に古代のラピスラズリを使用しているなどの発見があった[7]。修復においてはアッカデミア・カッカーラのジョヴァンニ・ヴァラグッサ(Giovanni Valagussa)らの監督のもと、パオラ・ボルゲーゼ(Paola Borghese)が絵画の修復を、パトリツィア・フマガッリ(Patrizia Fumagalli)がフレームの修復を行い、その結果、現在では絵画は以前の美しさを取り戻している[4]。