本作品の珍しい特徴の1つは「HONI」の文字が刺繍された青色のバンドである。「HONI」とはガーター騎士団のモットーである「Honi soit qui mal y pense」(それを悪く考える者は恥を知れ)の最初の単語とされており、通常「HONI」の文字は、グイドバルドが1504年に騎士団の騎士に任命された返礼として、ヘンリー7世に贈るために本作品を依頼されたことを示していると考えられてきた[2][4]。どのようにしてイギリスにもたらされたかについてはいくつかの説があり、ウルビーノ宮廷に仕えた作家・外交官バルダッサーレ・カスティリオーネによって1506年7月にヘンリー7世にもたらされたか、あるいは1504年秋にガーター騎士団の記章をローマのグイドバルドにもたらしたギルバート・タルボット卿(Sir Gilbert Talbot)を通じて贈られた[4]。ただし、本作品はチャールズ1世以前のロイヤル・コレクションに記録されていない[4]。別の仮説はヘンリー7世に贈られたものではなく、ギルバート・タルボット卿のために描かれたとしている[2][4]。
来歴
絵画の初期の来歴は不明である。絵画が最初に記録されたのは第3代ペンブルック伯爵ウィリアム・ハーバートのコレクションとしてである[4][6]。1628年から1639年の間に、ウィリアム・ハーバートか、あるいは彼の兄弟である第4代ペンブルック伯爵フィリップ・ハーバートからイングランド国王チャールズ1世に与えられた[6]。チャールズ1世の処刑後、サマセット・ハウスでイングランド共和国によってチャールズ1世のコレクションが売却された際に150ポンドと評価された[4]。絵画は英国のバイヤーのエドワード・バス(Edward Bass)が購入したのち、スールディス侯爵シャルル・デスクブロー(Charles d'Escoubleau, Marquis de Sourdis)の手に渡った。おそらく彼はエドワード・バスから絵画を購入した。さらに絵画は金細工職人ローラン・ル・テシエ・ド・モンタルシー(Laurent Le Tessier de Montarsy)が所有し[6]、その後、1729年までにピエール・クロザの有名なクロザ・コレクション(Crozat collection)に入った[4][6]。絵画は甥のシャテル侯爵ルイ・フランソワ・クロザ(フランス語版)、その兄弟のティエール男爵ルイ=アントワーヌ・クロザ(フランス語版)に相続された。彼の死後の1772年、クロザ・コレクションは哲学者・美術批評家ドゥニ・ディドロを通じて、ロシア皇帝エカチェリーナ2世に売却された[4][6]。その後絵画は長らくサンクトペテルブルクのエルミタージュ宮殿(後のエルミタージュ美術館)に所蔵されていたが、1931年、本作品を含む21の絵画がヨシフ・スターリンによって密かに美術商のシンジケートに売却され、ベルリンのマシューセン画廊(Matthiesen Gallery)、ロンドンのコルナギ(英語版)、ニューヨークのノードラー商会を経由して、1931年3月に当時のアメリカ合衆国の財務長官アンドリュー・メロンによって購入された[6]。翌1932年3月30日にピッツバーグのアンドリュー・メロン教育慈善信託(The A.W. Mellon Educational and Charitable Trust)に譲渡され、1937年に寄贈された[6]。