紋章官には伝統的に、キング・オブ・アームズ (King of Arms) 、ヘラルド・オブ・アームズ (Herald of Arms) 、パーシヴァント・オブ・アームズ (Pursuivant of Arms) の3つの位がある。任命された役職が終身のものである紋章官は常任紋章官 (officers of arms in ordinary) 、一時的又は不定期な任命である場合は、臨時紋章官 (officers of arms extraordinary) となる。なお、日本語ではキング・オブ・アームズは「紋章院長官[5]」や「紋章院部長[6]」、ヘラルド・オブ・アームズは「中級紋章官[6]」、パーシヴァント・オブ・アームズは「紋章属官[6]」、「紋章官補[5]」などとそれぞれ訳されるが、いずれも定訳ではない。
スコットランドでは、コート・オブ・ザ・ロード・ライアンにおいて、ロード・ライアン・キング・オブ・アームズ (Lord Lyon King of Arms)、3名のヘラルド、及び3名のパーシバントがロンドンの紋章官が受けることのない厳しい法的枠組みの範囲内で紋章にまつわる事案を管理する。ロード・ライアンは国王によって任命され、その国王の権限により彼自身が他のスコットランドの紋章官を任命する。
アイルランドでは、紋章及び系譜の問題は、チーフ・ヘラルド・オブ・アイルランド (Chief Herald of Ireland) と称される官公吏の権限の範囲内に属する。アイルランドの紋章に関する権利、つまり1943年以降に承認、登録されたすべての紋章に対する法的根拠に司法長官が疑問を呈したため[7]、2006年5月8日に、ブレンダン・ライアン (Brendan Ryan) 上院議員はこの状況を救済し、アルスター・キング・オブ・アームズ (Ulster King of Arms) からの権限の移行以来の活動を合法化するためにアイルランド上院に系譜及び紋章法案 (the Genealogy & Heraldry Bill 2006) を上程した[8]。
オランダでは、紋章官は終身の役職としては存在しない。私設紋章は法律により保護されておらず、国家の紋章及び貴族の紋章は高等貴族会議 (High Council of Nobility) によって管理される。イギリスのような紋章院は存在しないにもかかわらず、王室の即位式の際には、通常高等貴族会議の一員である2名のキング・オブ・アームズと2名ないし4名のヘラルド・オブ・アームズが列席する。1890年のウィルヘルミナ女王及び1948年のユリアナ女王の即位の際、キング・オブ・アームズは19世紀のスタイルの法服を着用したのに対し、ヘラルドはタバード(tabard、紋章が描かれた伝令官の官服)を着用していた。また、すべての紋章官は職杖を持っており、職位を示す鎖を身に着けていた[9]。1980年のベアトリクス女王の即位では、典礼事務は上級のキング・オブ・アームズであり、対ナチス・ドイツ抵抗勢力のメンバーでもあったエリック・ハーゼルホフ・ルールズマ (Erik Hazelhoff Roelfzema) によって掌握されていた[10]。紋章官はもはや式典用の衣装を着用してはおらず、その代わりに式典の大部分の他の参列者のようなホワイト・タイ(礼服)を着用していた。より上級のキング・オブ・アームズは、これから国王となる者が憲法に対する忠誠を誓った後、即位を宣言する。そしてヘラルドが即位式が開催されるアムステルダムの新教会 (De Nieuwe Kerk) の外に出て、教会の外に集まった人々にこの事実を発表する[11]。
^A.J.P.H. van Cruyningen, De inhuldiging van de Nederlandse vorst. Van Willem Frederik tot Beatrix Wilhelmina Armgard (unpublished thesis, Katholieke Universiteit Nijmegen, 1989) 92.