第3歩兵師団(だい3ほへいしだん、朝: 제3보병사단、第三步兵師團)は、大韓民国陸軍の師団の1つ。別名は「白骨部隊」[注 3]、白骨になるまで戦うという意味である。なお、師団の敬礼口号は「白骨」。
歴史
第3師団の始まりは1947年12月1日に釜山で編成された第3旅団で、1949年5月12日に師団に発展した。編成時、隷下の部隊は第5連隊、第6連隊、第9連隊であったが、部隊移動によって1950年の時点で第22連隊[注 4]、第23連隊の2個連隊、および独立報国大隊となっていた。嶺南地区のゲリラ討伐に従事していた。
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると隷下の第22連隊をソウルに派遣した。1950年7月、東海岸沿いでアメリカ海軍の支援を受けながら朝鮮人民軍第5師団の侵攻を阻止した。7月下旬、第2次再編計画によって、隷下部隊は第22連隊、第23連隊、機甲連隊に変更され、釜山橋頭堡の戦いで朝鮮人民軍第5師団と交戦した。8月16日、戦車揚陸艦4隻で海上撤退(長沙洞撤収作戦)。9月の慶州の戦いでは、兄山江で人民軍の進攻を阻止した。
1950年10月1日に麾下の第23歩兵連隊が38度線を突破し(この日はのちに国軍の日に指定された)、10日には元山を占領した。1950年12月、中国人民志願軍の攻勢により、城津から撤収した。12月15日、韓国軍第2軍団に隷属し、洪川付近に浸透した朝鮮人民軍と交戦した。
1951年2月、アメリカ軍第10軍団(軍団長:アーモンド少将)に配属。
1951年3月7日、韓国軍第3軍団に配属。
1951年5月、中朝軍の五月攻勢で敗走。第3軍団は解体され、第1軍団に編入された。ヴァンフリート中将による集中訓練計画で、9週間訓練を受けて練度が向上した。
1951年10月19日、アメリカ軍第10軍団に編入され、第5師団の作戦地域(加七峰地域)を引き受けた。
1951年10月27日から31日まで加七峰前方の1052高地と1211高地を攻撃。
1951年11月23日、楊口に移動し、11月27日から1952年1月7日まで教育訓練を実施。
1952年2月、662高地で戦闘。1952年4月5日、再建された第2軍団に編入。
1953年4月13日から作戦地域を第5師団に引き渡し、第8軍予備となって部隊整備を実施。
2020年12月には、韓国政府の「国防改革2.0」により、予下3個歩兵連隊・1個砲兵連隊が旅団に昇格した。
編制
- 第18歩兵旅団
- 第22歩兵旅団
- 第23歩兵旅団
- 砲兵旅団
- 第11砲兵大隊
- 第71砲兵大隊
- 第72砲兵大隊
- 第635砲兵大隊
- 直轄隊
- 戦車大隊
- 偵察大隊
- 工兵大隊
- 整備大隊
- 憲兵大隊
- 情報通信大隊
- 補給輸送大隊
- 補充中隊
- 防空中隊
- BGM-71 TOW中隊
- 本部勤務隊
- 医務勤務隊
- 化生放支援隊
師団長
| |
代 |
氏名 |
在任期間 |
出身校・期 |
前職 |
後職 |
備考
|
漢字/片仮名表記 |
原語表記
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1 |
李應俊 |
이응준 |
1947.12.1 - 1948.2.5 |
日本陸士26期 軍事英語学校1期 |
監察総監 |
第1旅団長 |
|
2 |
蔡元凱 |
채원개 |
1948.2.5 - 1949.1.15 |
洛陽講武堂 警士3期 |
第7連隊長 |
第2旅団長 |
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3 |
崔徳新 |
최덕신 |
1949.1.15 - 6.30 |
中央軍校10期 警士3期 |
陸士校長 |
第1軍団参謀長 |
|
4 |
李應俊 |
이응준 |
1949.6.30 - 1950.1.15 |
陸士26期 軍事英語学校1期 |
陸軍参謀総長 |
第5師団長 |
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5 |
金白一 |
김백일 |
1950.1.15 - 4.22 |
奉天5期 軍事英語学校1期 |
智異山地区戦闘司令官 |
陸軍本部行政参謀副長 |
|
6 |
劉升烈 |
유승렬 |
1950.4.22 - 7.10 |
日本陸士26期 |
第1師団長 |
慶尚北道編成管区司令官 |
|
7 |
李俊植 |
이준식 |
1950.7.10 - 8.7 |
雲南陸軍講武堂 |
首都師団長 |
京仁地区戒厳司令官 |
|
8 |
金錫源 |
김석원 |
1950.8.7 - 9.1 |
日本陸士26期 |
首都師団長 |
戦時特命検閲部長 |
|
9 |
李鍾賛 |
이종찬 |
1950.9.1 - 11.12 |
日本陸士49期 |
中央訓練所本部長 |
兵器行政本部長 兼歩兵学校長 |
|
10 |
崔錫 |
최석 |
1950.11.12 - 1951.3.17 |
軍事英語学校 |
第1訓練所長 |
陸軍本部前方指揮所長 |
|
11 |
金鐘五 |
김종오 |
1951.3.17 - 5.23 |
軍事英語学校1期 |
第1軍団参謀長 |
人事局長 |
|
12 |
白南権 |
백남권 |
1951.5.23 - 1952.10.10 |
軍事英語学校 |
首都師団副師団長 |
陸軍歩兵学校校長 |
|
13 |
林善河 |
임선하 |
1952.10.10 - 1953 |
軍事英語学校1期 |
陸軍歩兵学校校長 |
? |
|
14 |
申應均[13] |
신응균 |
1953 - 1954.6 |
日本陸士53期 |
国防部第1局長 |
国連軍総司令部派遣韓国連絡将校団長 |
|
15 |
丁來赫 |
정래혁 |
1954.6 - 1954.8 |
日本陸士58期 陸士7期 |
副師団長 |
歩兵学校長 |
|
? |
李喜権 |
이희권 |
? - 1957.8[14] |
軍英1期 |
第9師団長[15] |
陸軍大学入学 |
|
? |
金相福 |
김상복 |
1957[16] 1959.6.2[17] |
軍英1期 |
20師団長 |
軍事発展局長 |
|
? |
兪義濬 |
유의준 |
1959.6.2[17] - 1959.12.3[18][19] |
|
国防研究院教習部長 |
陸本付 |
不祥事により更迭[19]
|
? |
崔澤元 |
최택원 |
1959.12.3[18] - |
|
第26師団長 |
|
|
? |
張禹疇[20] |
장우주 |
1961.3.15 - 1962.7.7 |
陸士3期 |
国防大学院教授部長 |
国防部企画調整官 |
|
19 |
李東和 |
이동화 |
1962[21] |
陸士2期 |
第31師団長 |
|
|
20 |
曺赫煥[22] |
조혁환 |
- 1966.7.19 |
陸士3期 |
? |
陸軍本部作戦参謀部次長[23] |
准将
|
21 |
柳根国 |
유근국 |
1966.7.19 - 1967.7.11[24] |
陸士6期 |
2軍人事部長 |
国防部予備軍局長[25] |
准将
|
22 |
崔哲 |
최철 |
1967.7.11 - 1968 |
陸士5期 |
砲兵学校長 |
5管区司令官 |
|
23 |
陸章均 |
육장균 |
1968[26] |
陸士7期 |
陸軍士官学校教授部長 |
三士官学校長 |
|
24 |
オ・イルス |
오일수 |
-1972 |
? |
? |
|
|
25[27] |
朴定仁(朝鮮語版)[28] |
박정인 |
1972.3[29] - 1973.4.3[30] |
陸士6期 |
蔚山特定地域警備司令官[31] |
予備役編入 |
准将、独断で朝鮮人民軍に対し砲撃し更迭
|
27 |
金洙重 |
김수중 |
1975[32] |
陸士9期 |
首都師団副師団長 |
合同参謀本部作戦局長 |
|
28 |
権益検 |
권익검 |
1975 - 1977.7 |
陸士10期 |
保安司参謀 |
軍事参謀長[33] |
|
29 |
オ・チョル |
오철 |
1977.7 - 1979.9 [34] |
軍需1期 |
第5軍団参謀長 |
1軍団副軍団長 |
|
30 |
朴世直(朝鮮語版) |
박세직 |
1979.9 - 1980.8.23 |
陸士12期 |
国防部長官補佐官 |
首都警備司令官 |
ハナフェ
|
? |
崔寅洙 |
최인수 |
1982[35]-1984 |
|
陸軍本部秘書室長 |
陸軍本部監察官 |
|
32 |
朴益淳 [36] |
박익순 |
1984 - ? |
陸士16期 |
|
|
|
33 |
李起龍 |
이기룡 |
? - ? |
陸士17期 |
第1空輸特戦旅団参謀長 |
予備役? |
ハナフェ
|
34 |
孫炳翊 |
손병익 |
? - ? |
陸士19期 |
? |
合同人事企画参謀部長 |
|
35 |
具泰道 |
구태도 |
? - 1992 |
陸士21期 |
? |
予備役? |
ハナフェ
|
36 |
朴永一 |
박영일 |
1992 - 1993.10 |
陸士22期 |
? |
予備役? |
ハナフェ
|
37[37] |
趙永來 |
조영래 |
1993.10[38] - 1996 |
甲種177期 |
? |
予備役? |
|
38 |
安忠濬 |
안충준 |
1996 - 1997.3.11 |
陸士25期 |
韓米連合司作戦処長 |
印パPKO司令官[39] |
|
39 |
朴興根[40] |
박흥근 |
1997.3.11 - 2000 |
陸士26期 |
|
陸軍本部監察官[41] |
|
40 |
李成圭[42] |
이성규 |
2000 - 2001 |
陸士28期 |
? |
韓米連合司作戦処長[43] |
|
41 |
高奇源 |
고기원 |
2001 - 2003.4.29 |
陸士29期 |
|
陸軍本部人事運営次長 |
|
42 |
朴守根[44] |
박수근 |
2003.4.29[45] - 2006.11 |
三士4期 |
? |
予備役? |
|
43 |
キム・ジョンヘ |
김종해 |
2005.5.6[46] - 2006.11 |
陸士32期 |
? |
陸軍歩兵学校長 |
|
44 |
金曜煥(朝鮮語版) |
김요환 |
2006.11 - 2008.11.10 |
陸士34期 |
合同参謀本部戦費態勢検閲次長 |
陸軍本部情報作戦参謀部長 |
|
45 |
ユ・ヨンジョ |
유영조 |
2008.11.10 - 2010.6.29 |
陸士36期 |
統合参謀本部戦力企画部1次長[47] |
合同参謀本部戦力企画部長[48] |
|
46 |
申源湜(朝鮮語版)[49] |
신원식 |
2010.6.29 - 2011 |
陸士37期 |
国防政策室政策企画官 |
国防政策室政策企画次長 |
|
47 |
ユン・ワンソン |
윤완선 |
2011 - 2013.4.25 |
陸士38期 |
5軍団参謀長 |
合同軍事大学総長 |
|
48 |
金雲龍 |
김운용 |
2013.4.25 - 2015.4.15 |
陸士40期 |
合同参謀本部海外派遣課長 |
陸軍本部情報作戦参謀部長 |
|
49 |
南泳臣 |
남영신 |
2015.4.15 - 2017.9 |
学士23期 |
陸軍学生軍事学校(朝鮮語版)教授部長[50] |
特殊戦司令官 |
|
50 |
キム・ヒョンジョン |
김현종 |
2017.9 - 2018.5 |
陸士44期 |
第3軍団参謀長 |
国家安全保障室国防改革秘書監 |
|
51 |
シン・サンギュン |
신상균 |
2018.5 - 2020.5.14[51] |
陸士45期 |
|
第2軍参謀長 |
|
52 |
孫湜 |
손식 |
2020.5.14 - 2022.6.15[52] |
陸士47期 |
陸本計画編制次長[51] |
国軍の日行事企画団長 |
|
53 |
パク・ジンヒ |
박진희 |
2022.6.15 - 2024.11 |
三士29期 |
第3砲兵旅団長 |
砲兵学校校長 |
|
54 |
チョン・ジェヨル |
정재열 |
2024.11 - 現 |
陸士52期 |
国防部国会協力団長 |
|
|
脚注
注釈
- ^ 基準は前身である朝鮮警備隊第3旅団の創設であり、今の師団での昇格は1949年5月12日。師団内でも5月12日を基準に創設記念式をする。
- ^ 살아도 白骨 죽어도 白骨, 必死則生 骨肉之情
- ^ 백골부대/白骨部隊
- ^ 1948年11月に反乱を起こした大邱6連隊を1949年4月14日に解体・改称したもの
出典
参考文献
関連項目