稲垣 次郎(いながき じろう、1933年10月3日 - 2024年1月18日[1][2])は、東京府出身の日本のサクソフォーン奏者、音楽プロデューサー。
『ハナ肇とキューバン・キャッツ(後の『ハナ肇とクレージーキャッツ』)』の結成当時のメンバーとして知られ、確実な情報があるメンバーの中では最後の存命者であった[3]。
来歴
独学でサックスを習得し、高校時代からプロとして活躍した。
ジョージ川口、白木秀雄、フランキー堺、八木正夫、沢田駿吾らと活動[4][5]。
1962年、徳山陽(ピアノ)、荒川康男(ベース)らと「稲垣次郎クインテット」を結成した。
ジャズ評論家ヨアヒム・ベーレントは、米ジャズ専門誌「ダウン・ビート」の1962年12月6日号で、当時すでにトップサックスプレーヤーであった松本英彦、宮沢昭を引き合いに出す形で稲垣を称賛した[6]。
1963年、ライオネル・ハンプトンの日本公演に参加した[7]。
1969年、「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成した[8]。
1970年9月に録音され[9]、翌1971年1月に発表したスティーヴ・マーカスとの共作『サムシング』 は、世界初のデジタル録音によるアナログレコードである[9][10][11]。
1972年、稲垣は以後ロックコンサートへは出演しないことを表明した[12]。
1973年に発表した『イン・ザ・グルーヴ』は、ジャズ・ロック路線からジャズ・ソウル、ジャズ・ファンク路線へとシフトしていく過程で制作された作品である[13]。
1975年、代表作とされる『ファンキー・スタッフ』を発表。稲垣自ら「ブラック・ファンクをやった」と語ったこの作品は[5]、ジャズ・ロックにブラック・ミュージックの粘りや弾力が融合したものとなり、海外からも高い評価を得ている[14][15]。
2000年代に入って再評価の機運が高まり、廃盤となっていた作品の再発が続いている[13][16][17]。
2024年1月18日、肺炎で死去した。90歳没[2]。
ディスコグラフィ
アルバム
稲垣次郎とソウル・メディア
発表年月
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タイトル
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レーベル
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備考
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共演者
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1970年11月
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真夏の夜のロック
Jazz & Rock "Out"
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日本コロムビア
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ライブ・アルバム
日比谷野外サマー・コンサート
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[共演者 1]
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1970年
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ウッドストック・ゼネレイション
Woodstock Generation
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ユニオンレコード
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レコード会社が異なるためクレジット表記なし
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1970年
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Head Rock
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日本コロムビア
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[共演者 2]
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1971年1月
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サムシング
Something
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日本コロムビア
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スティーヴ・マーカスとの共作
世界初のデジタル録音によるアナログレコード
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[共演者 3]
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1971年
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明日にかける橋
Bridge Over Troubled Water
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日本コロムビア
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[共演者 4]
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1971年
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女友達
Wandering Birds
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日本コロムビア
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[共演者 5]
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1971年
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Rock'n Latin
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日本コロムビア
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東京キューバン・ボーイズとのコンピレーション・アルバム
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1972年6月
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道祖神 -やぶにらみ民謡考-
Dosojin
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日本コロムビア
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[共演者 6]
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1972年6月
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さようならの紅いバラ/瀬戸の花嫁
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日本コロムビア
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1972年7月
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純潔/ひとりじゃないの
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日本コロムビア
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1972年10月
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街は風の港
Dock of My Mind
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日本コロムビア
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沢田靖司のリーダー作品
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[共演者 7]
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1972年10月
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Woman, Robinson Crusoe/Rock Steady
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日本コロムビア
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[共演者 8]
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1973年4月
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バイ・ザ・レッド・ストリーム
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日本コロムビア
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[共演者 9]
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1973年6月
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オメルタ(沈黙)の掟
The Underground Rulers
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日本コロムビア
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[共演者 10]
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1973年7月
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イン・ザ・グルーヴ
In the Groove
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日本コロムビア
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[共演者 11]
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1975年1月
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ファンキー・スタッフ
Funky Stuff
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日本コロムビア
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[共演者 12]
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1981年
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メモリー・レーン
Memory Lane
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日本コロムビア
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[共演者 13]
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稲垣次郎とオール・スターズ
発表年月
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タイトル
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レーベル
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備考
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共演者
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1968年
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知りすぎたのね
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日本コロムビア
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1969年
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恋と夜とテナー・サックス
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日本コロムビア
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1969年
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テナー・サックス・スクリーン・ムード
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日本コロムビア
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1969年
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思案橋のひと/年上の女
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日本コロムビア
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1969年
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港町ブルース/粋なうわさ
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日本コロムビア
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1971年
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ジュークボックス ヒット・ヒット! -男の世界-
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日本コロムビア
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1971年
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Tenor Sax
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日本コロムビア
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稲垣次郎とリズム・マシーン
発表年月
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タイトル
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レーベル
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備考
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共演者
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1969年
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Beatles Hit! Hit!
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日本コロムビア
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1969年
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R&Bのすべて R&Bベスト・ヒット・14
All about R&B
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日本コロムビア
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1970年
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Do You Know the Way to San Jose?
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日本コロムビア
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J. Inagaki & His All Hit Parties
発表年月
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タイトル
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レーベル
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備考
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共演者
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1971年12月
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All Hit Party!
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日本コロムビア
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稲垣次郎 & ヒズ・フレンズ
発表年月
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タイトル
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レーベル
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備考
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共演者
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1975年9月
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Funky Best
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日本コロムビア
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[共演者 14]
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稲垣次郎とジャスト・フレンズ
発表年月
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タイトル
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レーベル
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備考
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共演者
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1981年
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Jazzy
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日本コロンビア
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[共演者 15]
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共演者
- ^ 鈴木重男(アルトサックス)、原田忠幸(バリトンサックス)、鈴木武久(テナーサックス)、伏見哲夫(トランペット)、大野俊三(テナーサックス)、今井尚(トロンボーン)、堂本重道(トロンボーン)、今田勝(オルガン)、川崎燎(ギター)、荒川康男(ベース)、田畑貞一(ドラムス)
- ^ 伏見哲夫(トランペット)、川崎燎(ギター)、今田勝(オルガン)、荒川康男(ベース)、田畑貞一(ドラムス)
- ^ スティーヴ・マーカス(テナー、ソプラノサックス)、川崎燎(ギター)、佐藤允彦(ピアノ)、荒川康男(ベース)、田中清司(ドラムス)
- ^ 佐藤允彦(ピアノ、編曲)、川崎燎(ギター)、荒川康男(ベース)、石松元(ドラムス)、田中清司(パーカッション)、大野俊三(トランペット)、中沢忠孝(トロンボーン)、原田忠幸(バリトンサックス)、猪俣猛(ドラムス)
- ^ サミー(ボーカル)、荒川康男、佐藤允彦、柳田ヒロ
- ^ 沢田靖司(ボーカル)、小山恭弘(編曲)
- ^ 沢田靖司(ボーカル)
- ^ サミー(ボーカル)
- ^ 鈴木重男(アルトサックス)、原田忠幸(バリトンサックス)、大野俊三(テナーサックス)、鈴木武久(テナーサックス)、伏見哲夫(トランペット)、野村毅(テナーサックス)、堂本重道(トロンボーン)、中沢忠孝(トロンボーン)、臼井和雄(トロンボーン)、松木恒秀(ギター)、今田勝(ピアノ、オルガン)、鈴木宏昌(ピアノ)、荒川康男(ベース)、石松元(ドラムス)
- ^ 一文字辰也(浪曲)、浪花家辰丸(台詞)
- ^ 蒲池猛(ピアノ)、今井尚(トロンボーン)、松木恒秀(ギター)、岡沢章(ベース)、石松元(ドラムス)
- ^ 鈴木宏昌(ピアノ)、今井尚(トロンボーン)、安川ひろし(ギター)、岡沢章(ベース)、石松元(ドラムス)
- ^ 前田憲男(キーボード)、松本博(キーボード)、渡嘉敷祐一(ドラムス)、岡沢章(ベース)、立山健彦(ギター)、数原晋(トランペット)、佐野健一(トランペット)、吉岡孝時(トランペット)、橋田章(トランペット)、川口日出男(トロンボーン、フルート)、原田忠幸(バリトンサックス)、大野えり(ボーカル)、シンガーズ・スリー(ボーカル)
- ^ 鈴木宏昌
- ^ 大野雄二(ピアノ)、稲葉国光(ベース)、杉本喜代志(ギター)、伏見哲夫(トランペット)、石松元(ドラムス)
出典
外部リンク