福岡 堅樹
サンウルブズ vs レッズ戦 (秩父宮ラグビー場 2018年5月12日) |
生年月日 |
(1992-09-07) 1992年9月7日(32歳) |
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出身地 |
福岡県古賀市 |
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身長 |
175 cm |
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体重 |
83 kg |
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学校 |
福岡高校 |
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大学 |
筑波大学 順天堂大学医学部在学中 |
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愛称 |
けんき |
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ラグビーユニオンでの経歴 |
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ポジション |
ウィング |
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アマチュア経歴 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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2008-2011 2012-2016 |
福岡高校 筑波大学 |
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() |
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シニア経歴 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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2016-2021 |
パナソニック |
38 |
(165) |
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更新日: 2021年4月19日 | スーパーラグビー |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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2017-2019 |
サンウルブズ |
13 |
(25) |
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更新日: 2018年5月19日 | 代表 |
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年 |
チーム |
出場 |
(得点) |
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2013-2019 |
日本 |
38 |
(125) |
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更新日: 2019年10月20日 | 7人制代表 |
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年 |
チーム |
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大会 |
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日本 |
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福岡 堅樹(ふくおか けんき、1992年〈平成4年〉9月7日 - )は、日本の元ラグビーユニオン選手。
人物
経歴
祖父は医師、父は歯科医師という環境で生まれ育ち[5]、5歳時に玄海ジュニアラグビークラブでラグビーを始める。中学時代は陸上部と掛け持ちで活動。福岡県立福岡高等学校時代は2010年度の第90回全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場し[6]、1回戦の本郷高校戦では、試合終了間際にトライ(認定トライ)を決め、チームを逆転勝ちに導いた[7]。
医学部のある大学への入学を目指すが受験に失敗し、一浪時の国公立大学二次試験の後期試験で受験した筑波大学情報学群に面接のみで合格したことから2012年に入学し[6]、ラグビー部に入部した。対日本体育大学戦が関東大学ラグビー対抗戦(以下、対抗戦)の初の出場試合となったが、実に6トライを挙げる活躍を見せ[6]、その後も主力メンバーの一人として筑波大学の対抗戦初優勝に貢献した。さらに続く第49回全国大学選手権でも、筑波大学初となる同大会準優勝に貢献している。
2013年2月、ジュニア・ジャパンに選出後[8]、同年4月に日本代表に選出された[9]。初のキャップ獲得試合は4月20日のフィリピン代表戦。そして、6月8日および6月15日にそれぞれ行われたウェールズ戦ではいずれもスタメン出場を果たし、15日の試合では対ウェールズ代表戦初勝利のメンバーとして名を連ねた。
2015年、第51回全国大学選手権で2回目となる大会準優勝に貢献した。また同年8月にはラグビーワールドカップ2015の日本代表に選ばれる[10]。
2016年、パナソニック ワイルドナイツに加入し[11]、同年7月にはリオデジャネイロオリンピックの7人制日本代表に選ばれた[12]。同年9月17日、ジャパンラグビートップリーグ第4節の東京サントリーサンゴリアス戦にて先発出場で公式戦初出場を果たす[13]。さらに、同年11月にはスーパーラグビー・サンウルブズの2017年スコッドに入った[14]。
2019年8月、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出された[15]。大会直前の負傷によりW杯本大会開幕戦のロシア代表戦は欠場したが、2戦目のアイルランド代表戦以降の4試合に出場して通算4トライを決め、大会後に大会公式ウェブサイトが選ぶ、大会を盛り上げた「別格だったマグニフィセント・セブン(豪華な7人)」に選出された[16]。2019年ワールドカップを最後に15人制日本代表を引退する[17]。
2020年、トップリーグに2試合出場した[18]。以降のプランとして、2020年東京オリンピックで7人制ラグビー出場を果たした後に現役選手を引退し医師を目指すことを公言していたが[17]、新型コロナウイルス感染症 (COVID19) の流行により東京五輪が2021年に延期されたことで五輪出場を断念した[19]。
2021年2月20日、順天堂大学医学部に合格したことを自身のTwitterで発表した[20][21]。
選手として最後のシーズンの2021年は、チームの一員としてジャパンラグビートップリーグ2021を戦った。「負けたら引退」ということで臨んだプレーオフトーナメントでも活躍し、5月23日に秩父宮ラグビー場で行われた決勝戦(対東京サントリーサンゴリアス戦)では5試合連続となるトライを決め、チームを5年ぶりの優勝に導いた。この試合は、第58回日本ラグビーフットボール選手権大会の決勝を兼ねていたため、高校大学社会人を通じて自身初の日本一となり有終の美を飾った[22]。翌24日に行われたトップリーグの年間表彰式で初の最優秀選手(MVP)に選ばれ、ベストフィフティーンにも選出された[23]。
テレビ
受賞歴
CM出演
出典
関連項目
外部リンク
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1930年代 (19名) | |
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1950年代 (27名) | |
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1960年代 (11名) | |
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1970年代 (25名) | |
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1980年代 (28名) | |
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1990年代 (30名) | |
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2000年代 (56名) | |
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2010年代 (45名) | |
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2020年代 (20名) | |
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2000年代 | |
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2010年代 |
- 10-11:小野澤宏時, 山田章仁
- 11-12:N.ナドロ, 北川智規
- 12-13:小野澤宏時, 山田章仁
- 13-14:山田章仁, 北川智規
- 14-15:山田章仁, 山下楽平
- 15-16:江見翔太, 北川智規
- 16-17:中靏隆彰, 山下楽平
- 17-18:福岡堅樹, 山田章仁
- 18-19:福岡堅樹, レメキロマノラヴァ
- 20-21:福岡堅樹, T.リー
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