本作品は聖ロクスを守護聖人とするサン・ロッコ大同信会および付属のサン・ロッコ教会(英語版)の装飾事業でもかなり初期の1565年に制作された。その前年の1564年、サン・ロッコ同信会は新しく完成した同信会館のアルベルゴの間の天井画を発注する画家を選考するためのコンテストを開いた[5]。アルベルゴの間は同信会を運営する高位のメンバーが集まる広間であり、重要文書や財産、聖遺物などの貴重品を収めた重要な場所であった[5]。そのため同信会は装飾事業に着手する最初の場所として、アルベルゴの間を選択した。このコンテストには、ジュゼッペ・ポルタ(英語版)、フェデリコ・ツッカリ、パオロ・ヴェロネーゼといった画家が参加したが、ティントレットは審査前日に寄贈と称して『聖ロクスの栄光』(Gloria di san Rocco)を持ちこんだ。この行動は同信会の反発を招いたが、テントレットは最終的に他の参加者たちに勝利し、天井画の装飾全体を1564年の夏から秋にかけて無報酬で制作した[5]。その後、アルベルゴの間の壁面装飾を1565年から1567年にかけて行い、正面の壁全体を飾る大キャンバス画として本作品が制作された[3]。ヴェネツィアの同信会では、アルベルゴの間の装飾は守護聖人の生涯のエピソードが描かれる傾向にあったが、サン・ロッコ大同信会館ではサン・ロッコ教会の装飾で聖ロクスの生涯が絵画の主題となっていたため、慣例的な主題を選択する必要はなかった。そこでキリストの受難がアルベルゴの間の壁面を飾る連作の主題として選ばれた[5]。最初の大作『磔刑』が制作されたのち、『カルヴァリオへの道』(La Salita al Calvario)、『この人を見よ』(L'Ecce Homo)、『ピラトの前のキリスト』(Cristo davanti a Pilato)が制作された。ティントレットはこれ以降から1587年まで同信会の装飾に携わり、イエス・キリストや聖母マリアの生涯、『旧約聖書』などを主題に総数68点におよぶ作品を制作した[3]。
ティントレットは10年前の1554年にも、ヴェネツィアのサン・セヴェロ教会(Church of San Severo)の礼拝堂のために同主題の絵画を制作しており、劇的かつ大胆な表現を用いて制作している。その迫力は本作品には及ばないものの[4]、ここで見られる要素のいくつかは10年後の本作品の広大な構図を整理するうえで確実に貢献している。その影響は中央のキリスト、その下で悲嘆する女性たち、画面右端下の賽子でキリストの衣服の所有者を決めようとする兵士たち、画面右端の騎乗した人物像にはっきり窺える。しかし、以前の作品がやや混雑していたのに対して、本作品はキリストを画面上端に配置して構図の緒要素から距離を取り、前景の異時同図的な多くの物語的要素を空間的な間隔によって慎重に配置を決め、整理することで、構図の混乱を緩和することに成功している[2]。
サン・ロッコ大同信会の『磔刑』は、2023年から同信会館のアルベルゴの間でセーブ・ヴェネツィア(英語版)によって修復が行われている[2][38]。ヴェネツィア保護国際民間委員会連盟(The International Private Committees for the Safeguarding of Venice)は、すでに2018年にティントレットの生誕500年を記念して絵画19点と墓の修復を援助していた[38]。2023年の最初の数か月間は科学技術を用いた画面の損傷度合の調査に充てられ、その後、2023年春から汚れ、古いワニス、古い修復による塗り直しなどの、オリジナル以外の部分が慎重に除去されている。この修復は2年間行われる予定である[2][6][38]。