目黒本町(めぐろほんちょう)は、東京都目黒区の町名。現行行政地名は目黒本町一丁目から六丁目。郵便番号152-0002[3]。
地理
目黒区の南東部に位置する。全域が南部地区に属し、不動・月光原・向原・碑の各住区に跨る[5]。地域北部は目黒通りに接し、これを境に目黒区中央町・鷹番にそれぞれ接する。地域東部は目黒区下目黒・品川区小山台にそれぞれ接する。地域南東部は品川区小山に接する。地域南西部は目黒区原町に接する。地域西部は目黒区碑文谷に接する。羅漢寺川が流れる。
地域内を26号線通りが通っている。地域内は住宅地となっている。
地価
住宅地の地価は、2021年(令和3年)1月1日の公示地価によれば、目黒本町3-16-6の地点で88万8000円/m2となっている[6]。
面積、世帯数と人口
丁目ごとの面積[1]、および2021年(令和3年)4月1日現在の世帯数と人口[2]は以下の通りである。
丁目 |
面積 |
世帯数 |
人口
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目黒本町一丁目
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0.1170km2
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1,560世帯
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3,021人
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目黒本町二丁目
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0.1726km2
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2,614世帯
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4,665人
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目黒本町三丁目
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0.1092km2
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1,861世帯
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2,993人
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目黒本町四丁目
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0.1657km2
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2,209世帯
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4,198人
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目黒本町五丁目
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0.1888km2
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3,190世帯
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5,377人
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目黒本町六丁目
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0.1586km2
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2,385世帯
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4,322人
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計
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0.9119km2
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13,819世帯
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24,576人
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小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
歴史
1966年(昭和41年)に従前の月光町・東町・向原町と、清水町の大部分、碑文谷一丁目・同二丁目の各一部から成立。
地名の由来
地域的にも目黒の中心にあり、上目黒・中目黒・下目黒はあるが「本町」はないということで住居表示の際に、住民および町会の提案・投票を経て採用された地名である[8]。
「清水東町会誌考」(小川森太郎著)によれば、住居表示実施の際、区から地元9町会に住居表示名を何とするか打診があったが「従来の地名は一切使わず、全く新しい名称にする」ということで、清水東町会では13の案から投票を行った。投票の結果、1位は「清水ヶ丘」であったが、旧称に由来するため不採用となり2位の「目黒本町」に決定された[8]。その他の候補には「南目黒」や「南が丘」の案があった。
町名の変遷
実施後 |
実施年月日
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実施前(各町名ともその一部)
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目黒本町一丁目
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1966年3月1日
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月光町、東町、向原町、清水町、碑文谷1・2
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目黒本町二丁目
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月光町、東町、向原町、清水町、碑文谷1・2
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目黒本町三丁目
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月光町、東町、向原町、清水町、碑文谷1・2
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目黒本町四丁目
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月光町、東町、向原町、清水町、碑文谷1・2
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目黒本町五丁目
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月光町、東町、向原町、清水町、碑文谷1・2
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目黒本町六丁目
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月光町、東町、向原町、清水町、碑文谷1・2
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経済
産業
- 企業
地主
旧:東町の地主は「安藤佐太郎[10]、目黒区会議員の安藤清次郎[10]」、旧:向原町の地主は「安藤貞治[10]」などがいた。
交通
当地域内の南端方向に東急目黒線・武蔵小山駅と西小山駅がある(武蔵小山駅はわずかに地域外の品川区内、西小山駅は南端沿いの品川区との境目付近にある)。地域南東部では武蔵小山駅が、南西部では西小山駅が利用可能である。また地域北部は両駅のほか東急東横線・学芸大学駅も利用可能。
路線バスはいずれも東急バスで、目黒駅から地域北部の目黒通りを走る路線(最遠は東京駅。逆方向は等々力駅や二子玉川駅など)のほか、26号線通り上には武蔵小山駅を経て五反田駅方向、学芸大学駅を経て世田谷区民会館方向へ向かう路線が通る。地域北部〜西部の円融寺通り上には渋谷駅と洗足駅を結ぶ路線が走る。渋谷駅行きは目黒区総合庁舎(区役所)へのアクセス路線も兼ねる。
施設
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。