白軍の軍旗
白軍 (はくぐん、ロシア語 : Белая Армия ビェーラヤ・アールミヤ )は、1917年 以降のロシア革命 期における革命 側の赤軍 に対する反革命 側の軍隊 の総称である。
白衛軍 (Белая Гвардия ビェーラヤ・グヴァールヂヤ )、白色運動 (Белое движение ビェーライェ・ドヴィジェーニイェ またはБелое дело ビェーライェ・ヂェーラ )とも呼ばれる。その他、各国語によって異なる名称で呼ばれる。ロシア内戦 において赤軍と戦闘を繰り広げたが、1920年 にクリミア半島 から最後の部隊が撤退・亡命 した。
なお、白軍といえばまず「反革命」とされるが、この場合の「革命」というのはボリシェヴィキ による「十月革命 」のことであって、白軍の多くはその前の「二月革命 」には反対していない。
概要
白軍は、ロシア帝国 旧領内の各地で設立された。白軍の内訳は旧ロシア帝国 軍、白軍派コサック 軍から成り、共和制 派が多く、各地に共和国 を建国した。一般にロシアの右翼 とイメージされるが、左翼 も含まれた。以前はボリシェヴィキ系の共産主義 者以外はすべてが白軍に括られる傾向があったが、これはソ連 によるプロパガンダ であり、今日ではすべての反ソヴィエト 勢力が白軍と呼ばれるわけではない。
また、主要な白軍は反ボリシェヴィキ革命に対する牙城として英 仏 などが支援していた。なお、ロシア内戦期に活動した勢力には、白軍(多数の共和主義者 と少数の専制主義 者)と赤軍(ソヴィエト共産主義者)のどちらともつかない、社会主義 者や非ボリシェヴィキ系の共産主義者の勢力もあった。これらを俗に「ピンク 色」と称することがあるが、侮蔑的な呼称である。
白軍指導者にはアントーン・デニーキン 、アレクサンドル・コルチャーク 、グリゴリー・セミョーノフ などが存在する。一時はロシアやウクライナの多くの土地を支配下に収め、圧倒的な強さを誇ったが内紛などもあり次第に赤軍に敗北を重ねるようになった。最終的に、1920年11月のペレコープ=チョーンガル作戦 で敗れ、多くの兵・市民がフランス 、アメリカ合衆国 などへ亡命した。このときの亡命艦隊はロシア艦隊 と呼ばれ、1930年代 までフランスに抑留されていたことで知られる。
白軍は、ロシア帝国の支配下にあったフィンランド でも設立された。ロシア革命によってフィンランドは独立したが、独立直後の政情不安と混乱を突き、共産主義 者である赤衛軍がフィンランド各地で反乱 を起こした。この赤衛軍は一時首都ヘルシンキ を占領したため、その反対勢力はロシア帝国の軍人だったカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム を登用し、白衛軍を組織した。当時第一次世界大戦 中でロシアと対立していたドイツ帝国 と、中立ながらフィンランドに同情を寄せていたスウェーデン が義勇軍 を送り内戦 となった。1918年 1月から5月まで戦闘 が行なわれ、最後は白衛軍が勝利を収めた。
白軍の「白」については、「白軍を構成する主な勢力が旧ロシア帝国軍であり、白色テロ と関連づけた」という説と、「ロシアでは白(=雪)が悪を示す色で、赤(=火)が正義を示す色であり、ボリシェヴィキが民衆に相手は悪だと印象づける為に白軍とした」という説があるが、よく分かっていない。
なお、満洲国 への移住で日本人 にも馴染の深い「白系ロシア人 」は、革命時に白衛軍側とみなされ国外へ逃亡した人々のことである。
白ロシア(ベラルーシ )は地域名及び共和国名であり、「白系」とは無関係。この場合の「白」の意味についてはベラルーシ#国名 を参照のこと。
主な参加者
主な白軍組織
関連項目
外部リンク
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