水鳥 寿思(みずとり ひさし、1980年7月22日 - )は、日本の元体操競技選手。慶應義塾大学総合政策学部専任講師。血液型はA型。マネジメント契約先はスポーツビズ。
略歴
静岡県静岡市出身。両親は元体操競技選手で体操クラブを経営し、実家の隣には父親が本業の大工職の傍らで建てた「水鳥体操館」がある。5男1女の6人兄弟の二男。6人のうち5人は体操選手で、あとの1人はオペラ歌手の水鳥繭見(三男)である。女子体操選手の水鳥舞夏(日本体育大学)はいとこにあたる。
このような環境もあり、幼稚園のときから同体操館で体操を始め、6歳から選手コースで学ぶようになった。しかし中学時代、兄弟のうち寿思だけが全国10位以内に入れず、「家族を見返したい」という思いから親元を離れ岡山県の関西高等学校へ入学。ここで実力を伸ばし、1998年(平成10年)、全国高校選抜の個人総合で冨田洋之に次ぐ2位となった。
日本体育大学へ入学後、1999年(平成11年)全日本選手権団体総合の跳馬で右大腿骨を骨折。2001年(平成13年)にはユニバーシアードの日本代表に選抜され、これを機により上位を目指すようになった。2002年(平成14年)の全日本選手権には水鳥家の三兄弟が出場したが、個人総合決勝のゆかで左ひざ前十字靭帯損傷の大怪我を負う。1年余りのリハビリの甲斐あって、アテネ五輪選考会(兼NHK杯)では3位となり五輪代表となった。2004年(平成16年)、アテネオリンピックでは、団体で金メダルを獲得。決勝でつり輪のトップバッターを務めた。彩の国功労賞を受賞。
2007年(平成19年)、鹿島丈博が世界選手権直前に負傷したため、補欠だった水鳥が出場。団体での銀メダル、種目別での3つの銅メダルを獲得する大活躍を見せた。この4つのメダルが日本チームが獲得した全てのメダルであり、代表選考のあり方について波紋を呼んだ[2]。
2008年(平成20年)、左腕の負傷もあり北京オリンピック代表を逃したが、ロンドンオリンピック出場を目指していた[1]。
2009年8月、3歳年上の女性と結婚。
2012年4月、大阪大谷大学人間社会学部スポーツ健康学科の専任講師に就任[3]。
2012年5月、ロンドンオリンピック代表最終選考会で14位に終わり、引退を表明した[4]。
2012年12月、リオデジャネイロオリンピック男子強化本部長に就任。
競技歴
表彰
逸話
脚注
関連項目
外部リンク
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