1999年に発行された『ジャーナル・オブ・アイン・ランド』(The Journals of Ayn Rand)[2] の編集者、デイヴィッド・ハリマン(David Harriman)も、ランドの初期の未完の小説のノートに、『水源』のいくつかの要素が既に登場していることを指摘している。この未完の小説の主人公は、ある牧師から耐え難い責め苦を受け、最終的にこの牧師を殺し、刑に処される。世間からは美徳の化身と見なされているが実際には怪物であるこの牧師は、多くの点でエルスワース・トゥーイーに似ており、この牧師の暗殺は、スティーヴン・マロニーによる未遂に終わったトゥーイー殺害に重なる。
ランドは1934年に最初の小説『われら生きるもの』を完成させたのに続き、『水源』の執筆に着手した。最初のタイトルは『セコハン人生』(Second-Hand Lives)だった。ある程度ランド自身の個人的な体験を題材にした『われら生きるもの』と異なり、建築というあまり馴染みのなかった世界を題材にした小説を書くにあたり、ランドは広範な取材を行った。取材の一環として、ランドは建築家の伝記や建築に関する書物を多数読んだほか[3]、建築家エリー・ジャックス・カーン(Ely Jacques Kahn)の事務所で無給のタイピストとして働かせてもらった[4]。
『水源』の執筆作業はたびたび中断された。1937年、ランドは『水源』の執筆から離れ、短編小説『アンセム』(Anthem)を書いた。また、舞台版『われら生きるもの』(We the Living)も完成させた。舞台版『われら生きるもの』は、1940年前半に短期間上演された[8]。1940年には、政治運動にも積極的に関わった。まず米国大統領選挙でウェンデル・L・ウィルキー (Wendell Lewis Willkie) 陣営のボランティア・スタッフとして活動し、続いて保守派知識人ためのグループの設立を目指した[9]。初期の作品の印税が途絶えると、映画スタジオでフリーランスの脚本家として働き始めた。『水源』を出版する出版社がようやく見つかったとき、原稿はまだ3分の1しか完成していなかった[10]。
出版の経緯
既にデビュー小説が出版され、舞台脚本『1月16日の夜に』がブロードウェイで成功していたにもかかわらず、ランドは『水源』の出版社を見つけるのに苦労した。『われら生きるもの』を出版したマクミラン出版社は、ランドに前作以上の宣伝を要求されると、この新しい小説の出版を拒否した[11]。ランドの代理人は、他の出版社にこの作品の出版を持ちかけ始めた。1938年、アルフレッド・エー・クノッフ(Alfred A. Knopf)社は本作品の出版契約に署名したが、1940年10月の時点でランドが原稿を4分の1までしか完成できなかったため、ランドとの契約をキャンセルした[12]。他にも複数の出版社から出版を拒否され、ランドの代理人はこの小説を批判し始めた。ランドはこの代理人を解雇し、自分で出版社を探し始めた[13]。
ランドがパラマウント映画(Paramount Pictures)で映画脚本家として働いていた時、彼女の上司のリチャード・ミーランド(Richard Mealand)が、彼女に出版会の知り合いを紹介することを申し出た。ミーランドは彼女をボブスメリル社の担当者に引き合わせた。同社に雇われたばかりの編集者、アーチボルド・オグデン (Archibald Ogden)は、この作品を気に入った。しかし2人の社内レビューアーは、この作品に矛盾する評価をした。1人は「偉大な作品だが、売れないだろう」と述べ、もう1人は「ゴミだが、売れるだろう」と述べたのである。オグデンの上司でボブスメリル社社長のD・L・チェンバーズ(D.L. Chambers)は、この作品の出版を拒否することに決めた。チェンバーズの決定を知ると、オグデンは本社に「もしこれがあなたの希望にかなう作品ではないなら、私はあなたの希望にかなう編集者ではありません(If this is not the book for you, then I am not the editor for you.)」と電報を打った。オグデンの強い抵抗により、1941年、ボブスメリル社はランドと本作品の出版契約を結ぶことを決めた。ボブスメリル社が出版を決める前に、12の出版社が本作品の出版を拒否した。[14]
『水源』は1943年5月に出版された。売れ行きの出足は鈍かったが、評判が口コミで広がり、ベストセラー・リストをゆっくりと上昇していった。[16]。最初の出版から2年以上が経過した1945年8月には、「ニューヨーク・タイムズ」(The New York Times)紙のベストセラー・リストで6位になった[17]。
1971年には、ランドによる新しい序文が入った25週年記念版がニューアメリカン・ライブラリー(New American Library)から出版された。1993年には、50週年記念版がボブスメリル社から出版された。この版には、ランドの相続人のレナード・ピーコフ(Leonard Peikoff)によるあとがきが追加された。2008年までに、本作品は英語版だけで650万部以上売れ、複数の言語に翻訳された[18]。
ロークのキャラクターは、少なくとも部分的には、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライトにヒントを得ている。ランドは、ライトに関して参考にしたのは「建築上のいくつかのアイデアと、経歴のパターン」だけであり[19]、ロークが表明する思想にも、物語の中の出来事にも、ライトを参考にした点はないと述べている[20][21]。ランド自身が否定したにもかかわらず、ライトとロークの関連性を主張する論者は絶えない[21][22]。ライト自身は、ロークが自分をモデルにしているかどうかについて、明言を避けていた。自分がロークのモデルであることをほのめかす時もあり、否定する時もあった[23]。ライトの伝記を書いたエイダ・ルイーズ・ハックステーブル(Ada Louise Huxtable)は、ライトの思想とランドの思想が大きく隔たっていることを示し、ライトが「自分が(ロークの)父であるとは認めないし、(ロークの)母と結婚する気もない」と言ったと述べている[24]。
本作品のヒロイン。ランドのノートによれば、「ハワード・ロークのような男性のための女性(the woman for a man like Howard Roark)」[25]。ほぼすべての登場場面を通じて、ランドが後に「人生に対する誤った考え」と評する考え方で動く[26]。高名だが創造性は低い建築家、ガイ・フランコンの娘。建築家たちの凡庸さを批判するコラムを多数書き、父を悩ませる。逆境と自律を希求する彼女はロークにのみ自分の匹敵者を見出し、この選好性によって彼女の人生は悲劇的なものになるが、この物語の結末で最終的に解決される。
ドミニクのキャラクターには様々な評価がある。クリス・マシュー・シャバラ(Chris Matthew Sciabarra)は、ドミニクを「この作品の中でもかなり奇怪なキャラクターの一人」と呼んだ[27]。ミミ・ライゼル・グラッドスタイン(Mimi Reisel Gladstein)は、ドミニクを「つむじまがりの興味深いケース・スタディー」と呼んだ[28]。トア・ボックマン(Tore Boeckmann)はドミニクを、複数の前提を一部誤解したまま内在させているキャラクターと評し、彼女の行動を、自身の矛盾する観念がいかに帰結するかの論理的表現と見なしている[29]。
ゲイル・ワイナンド
Gail Wynand
ニューヨークの貧民街出身の富裕な新聞王。ニューヨークの新聞・雜誌の多くを支配下に置く。ロークと多くの気質を共有するが、ワイナンドの成功は世論に迎合する能力に依存しており、この能力が最終的に彼を転落に導く。ランドはノートの中でワイナンドを英雄的個人主義者に「なり得た人物("the man who could have been")」と記し、英雄的個人主義者「になることができ、である人物("the man who can be and is")」ロークと対比させている[30]。ロークのキャラクターの要素の一部は、政治的な影響力を得ようと試みて成功も失敗もしたことを含めて[31]、実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストにヒントを得ている[32]。ワイナンドは、権力を握る試みに最終的に失敗し、自分の新聞社も、妻も、ロークとの友情も失う悲劇的人物である[33]。ワイナンドのキャラクターは、ニーチェの君主道徳の具現化と解釈されてきた[34]。ワイナンドの悲劇は、ランドによるニーチェ思想の否定とも見なされている[35]。この小説の視点では、他人に対する権力を追求するワイナンドのような人物は、順応主義者と同様の「セコハン人間」と見なされる[36]。
ジョン・エリック・スナイト(John Erik Snyte): ガイ・フランコンに解雇されたロークを雇った建築家。5人の部下のアイデアを折衷して設計する手法を取っている。
主題
個人主義
ランドは、『水源』の第一の主題は「政治ではなく個人の魂における、個人主義と集産主義の対立」("individualism versus collectivism, not in politics but within a man's soul")であると述べている[43]。ロークが法廷でアメリカにおける個人の権利の概念を擁護する演説を行う以外は、政治問題を直接論じることは回避されている。歴史家ジェイムズ・ベイカー(James Baker)が述べるように、「1930年代の作品であるにも関わらず、『水源』では経済にも政治にもほとんど言及されていない。第二次世界大戦中に執筆されたにもかかわらず、世界情勢への言及もない。この作品のテーマは一個人と体制の対立であり、それ以外の問題は排除されている」[44]。
『水源』からインスピレーションを受けたと証言している建築家は多い。建築家でサンフランシスコ建築家協会(San Francisco Institute of Architecture)創設者のフレッド・スティット(Fred Stitt)は、著書を「最初の建築の師、ハワードローク」に捧げている[45]。 ネーダー・ヴォスーギアン(Nader Vossoughian)は、「この半世紀で、『水源』以上に建築家という職業の社会的イメージを形作ったテキストはないかもしれない」と書いた[46]。著名な建築写真家のジュリアス・シュルマン(Julius Shulman)は、『水源』を「はじめて建築家に世間の注目を集めさせた作品」と呼び、この作品が20世紀の建築家に影響を与えただけでなく、「すべての近代建築家の人生の最初に、前面に、中心に存在する本」であると述べている[47]。
反響と遺産
同時代の反響
公刊直後から、『水源』に対する批評家たちの態度はニ極化し、賛否入り混じったレビューが発表された[48]。「ニューヨーク・タイムズ」(The New York Times)紙には、ランドを「きらびやかに、美しく、痛烈に」書く「すばらしい力を持つ作家」と呼び、「これは個人を称揚する賛歌である。〔……〕この偉大な作品を読めば、我々の時代における基本的な概念のいくつかについて考え抜かずにはいられないだろう」と評するレビューが掲載された[40]。「ニューヨーク ジャーナルアメリカン」(New York Journal-American)誌のコラムニスト、ベンジャミン・デカッサーズ(Benjamin DeCasseres)は、主人公ロークは「妥協しない個人主義者」で、「現代アメリカ文学の中で最も読者を鼓舞するキャラクターの一人」であると書いた。ランドはデカッサーズに手紙を書き、他の多くのレビューアーがこの小説の主題に触れない中、デカッサーズがこの小説の主題が個人主義であることを説いてくれたことに礼を述べた[49]。他にも肯定的なレビューはあったが、ランドはそれらの多くを、自分のメッセージを理解していない、もしくは掲載紙誌がマイナーであるとして、無視した[48]。否定的なレビューのいくつかは、この小説の長さを批判していた[50]。たとえばあるレビューアーはこの小説を「本の鯨」と呼び、別のレビューアーは「この小説に入れ込む人間には、紙の配給に関する厳しい授業を受けさせる必要がある」と書いた。登場人物に同情心がないと批判するレビューアーや、ランドの文体を「不快なほど単調」と批判するレビューアーもいた[48]。
『水源』が出版された1943年には、イザベル・パターソンの『機械の神』(The God of the Machine)、ローズ・ワイルダー・レイン (Rose Wilder Lane)の『自由の発見』(The Discovery of Freedom)も出版された。これらの作品の出版により、ランド、レイン、パターソンの3人はアメリカのリバタリアン運動の母と呼ばれてきた[51]。たとえばジャーナリストのジョン・チェンバレン(John Chamberlain)は、自分が社会主義を捨て、リバタリアン思想と保守思想の「古きアメリカ思想」に最終的に転向したのは、これらの作品を読んだからであると述べている[52]。
『水源』は前世紀から今世紀に至るまで多くの部数が売れ続け、映画、テレビドラマ、小説など様々な大衆娯楽で言及されてきた[67]。しかし大衆に浸透している割に、本作品に対する批評家達からの継続的な注目は比較的少ない[68][69]。哲学研究者のダグラス・デン・アイル(Douglas Den Uyl)は、『水源』の遺産を評価し、この小説はランドの後の小説『肩をすくめるアトラス』と比較すると相対的に無視されてきたと述べ、「我々の課題は、『水源』で明確に立ち現れ、かつ単純に『肩をすくめるアトラス』の眼で読むことを我々に強要しないような論題を発見することだ」と述べた[68]。
1987年の映画『ダーティ・ダンシング』(Dirty Dancing)では、ペニーの中絶手術費用を払うようにベイビーに迫られたロビーが、責任を取ることを拒否して「大事にされる奴もいるし、されない奴もいる(Some people count and some people don't)」と言った後、ベイビーに自分の『水源』を渡し、「これを読めよ。君なら楽しめるはずだ。余白に書き込みがあるから、読んだら返してくれ」と言うシーンがある[78][79]。
テレビアニメ『ザ・シンプソンズ』(The Simpsons)のエピソード20.20「偉大なる女性たち」(Four Great Women and a Manicure)では、マージがリサをサロンに連れて行き、初めてのマニキュアを体験させる。そこで一人の女性が同時に賢く、強く、美しくなることは可能なのかをめぐって論争が起き、互いに物語を話す。最後の物語で、マギーが『水源』のハワード・ロークの役を演じる「マギー・ローク」になる。
ウディ・アレン監督の2012年の映画『ローマでアモーレ』(To Rome with Love)では、モニカ(エリオット・ペイジ)が、ハワード・ロークと寝て友人のボーイフレンドに感銘を与えたいという自分の欲望について語る。
テレビドラマ『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』(Elementary)のシーズン2、エピソード3には、犯行現場で『水源』が誤って置かれていることが発見され、マーカス・ベル刑事が「ニューヨークの大学生の2人に1人はこの本を持っている」と言い、シャーロック・ホームズがアイン・ランドを「知的破綻者が最高と見なす哲学者」と評するシーンがある。
テレビドラマ『アンドロメダ』(Gene Roddenberry's Andromeda)では、ニーチアン族がかつて暮らしていた惑星ファウンテンヘッドを周回する軌道を、アイン・ランド・ステーションが回っている。 シーズン1、エピソード8「思い出への橋」(The Banks of the Lethe)には、ティア・アナサジがディラン・ハント艦長に『水源』を投げるシーンがある。
1945年、ランドは、キング・フューチャーズ・シンジケート(King Features Syndicate)社から、新聞連載用に挿絵入り圧縮版の『水源』を制作する提案を受けた。ランドは、編集の監督権と登場人物のイラストの承認権の確保を条件に、この提案に同意した。挿絵入り圧縮版の『水源』は、1945年12月24日から30回にわたり、35の新聞に掲載された。挿絵はフランク・ゴッドウィン(Frank Godwin)が描いた[82]。
映画版
1949年、ワーナー・ブラザースは本作品の映画版(邦題『摩天楼』)を公開した。ハワード・ロークはゲイリー・クーパー(Gary Cooper)が、ドミニク・フランコンはパトリシア・ニール(Patricia Neal)が、ゲイル・ワイナンドはレイモンド・マッセイ(Raymond Massey)が、ピーター・キーティングはケント・スミス(Kent Smith)が、それぞれ演じた。監督はキング・ヴィダー(King Vidor)が務めた。映画版の興行収入は210万ドルで、制作費を40万ドル下回る赤字となった[83]。しかしこの映画に公開によって関心が高まった結果、原作の売上は伸びた[84]。公開当初、ランドはこの映画に好意的で、手紙の中で「これまでハリウッドで小説を原作に作られたどの映画よりも、原作に忠実に作られている」[85]と書き、「この映画化は大きな勝利だった("It was a real triumph")」と書いている[86]。しかし、後にこの映画に対する彼女の評価は否定的になり、「この映画は始めから終わりまで嫌い」と語り、編集や演技など様々な要素に不満を述べるようになった[87]。ランドはこの映画化の経験から、監督・脚本家の選択権と編集権を認められない限り、自分の小説の映画化権は絶対に売らないと宣言した[88]。
舞台版
2014年6月、オランダ・フェスティバル(Holland Festival)で、『水源』の舞台版(オランダ語)が、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ(Ivo van Hove)の演出で上演された。ハワード・ロークはラムゼイ・ナスル(Ramsey Nasr)が演じた[89]。同作品は、2014年7月前半にはバルセロナで[90]、同月後半にはアヴィニョン演劇祭で上演された[91]。
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